2011年11月30日水曜日

[エッセー]「近くて近い国、韓国を旅して」

過日、韓国ソウルへ団体旅行しました。近くて近い国、韓国の一端を知ることができました。

 ソウルの繁華街“明洞(ミョンドン)”を歩けば、大阪の繁華街を歩いているのと錯覚しましたし、南大門(ナンデモン)周辺を歩けば、大阪の鶴橋駅前の商店街を巨大にしたように感じましたし、東大門(トンデモン)の繊維品商店街では、大阪本町の繊維街を巨大にしたようだと思いました。
むしろ、日本よりパワフルなエネルギーが溢れているように思いました。

 ここは、親戚の国だと親近感をいだきました。

TVではKARAが、NHKTV「イ・サン」BS歴史ドラマ「トンイ」が親近感を助長しているようです。BSプレミアムでトンイ役の女優k笑顔をみて、驚きと喜びを感じました。

 残念な過去もありましたが、2000年前頃以降、多くの人々が半島から列島へ技術をもって移住してきたはずですから、ルーツを共有するところがあるようです。

 蓮池薫さん著「半島へふたたび」によれば、ソウルには、巨大な書店もあるとのことですし、TVによれば静かな町並みも、グルメなお店もあるようですので、自分達で地下鉄に乗れるように最低限の言葉を覚えて(妻は私のことをソンセンニン=先生=と呼んでいます。)「韓国へふたたび」訪れることを楽しみとしています。「近くて近い国」が名実ともに友好関係と絆が深まることを願っています。(2011.11.30 中川 昌弘)

2011年11月13日日曜日

[エッセー]「千里の道」

この4日間、妻と団体旅行として台北周辺旅行をしました。
台湾は3度目の、訪問でした。

① 食は台湾にあり ツアーで用意された店へ行きましたが、全てといってよいほど、海鮮料理をむ中心としておいしかったです。(台湾人は食通ですね。外食多いようです。)
② 故宮博物館はやはり逸品をおいて素晴らしい。 ただし、中国・日本の修学旅行生がきていてごった返していた。喧騒の中、有難い仏様に手を合わしました。(その他、総統府の衛兵交代式、思い出のつまった龍山寺、十分、九分、淡水・・・、)
③ 人との出会いを楽しんだ。 名前もわからぬが、数日すると何とはなしには解る。ふとした偶然の出会いが、楽しかった。

 人生を極めるに「万里の道、万巻の書」といわれる。ようやく千里の道、千巻の書といったところでしょうか。次なる非日常を求めて、日頃身近に、何くれとなく世話になる妻と旅に出たいと思っている。(2011.11.12 中川 昌弘)

2011年11月3日木曜日

[エッセー]関西大学ミュージアム講座「吹田の文化遺産」を受講して

 2011年10月3回シリーズで関西大学大阪都市遺産研究センターの諸先生3人の方から吹田の文化遺産―歴史・建物・祭り―をお聞きした。次のように、聞き取り間違いや独断と偏見もあるやもしれませんが、参考情報として下されば幸いです。

① 歴史 実に明快な4区分はつぎのとり。
(A)聖武天皇の後期難波の宮の建立の際、都造営プロジェクトの一環として行基による治水、垂水の布施や(医療・救援施設)が造られたこと。

(B)中世に下り、三国川が整備され、京都とむすばれ京都貴族のウォーターフロントリゾートとなったこと。

(C)江戸時代になると、京都・大阪の中間地帯として川を利用した交通の要衝となったこと。特産品として、小粒のすいたくわいが朝廷にも献上されたこと。

(D)近代にはいり、鉄道が通り貨物車仕分け操作上として日本でも有数の規模て、吹田の良水ではビール工場が出来たこと。この2つが吹田の発展を支えた。後は千里ニュータウンと万博の開催で名実ともに吹田が近代都市となった。

② 建物 明治に入ってドイツの工場を模しれんが作りのビール工場たことができたこと。大阪のベットタウンとして私鉄が千里山まで開通し、往路は人々を大阪へ、昼間の車両の有効利用を考えて、関大が大阪市内から吹田に移動してきたこと。戦後は、千里山に公団による日本発トイレ・風呂付の集合住宅ができたこと。すでに50年たてかえが計画されている。

③ 祭り 都内の主だった神社の祭りが調査されている。伊勢神宮をキーとして、江坂神社・泉殿宮・吉部神社でそれぞれ工夫を凝らした祭りが継続されている。

以上は、小学生むけに副読本として学校に配布され各図書館にもDVDCDとして保存されている。2011年1月15日NPO SELFが 「自然と環境を考えると」としてシンポジゥムがメイシアターで行われ、市民文化部の一員として参加したが、SELFとして世に問うほど、「自然と環境」の研究に成熟しておらず、東北大震災でその情緒的営みも、あっけなくふっとんでしまったと、先輩諸兄を差し置いて自戒している。

 本講座は、さすが大学の専門研究員が足と知恵で練りこまれたてつくらたもので十分、次代に納得できるものをあたえてくれたと思う。
(2011.11.3 中川 昌弘)