2008年11月29日土曜日

中国について

 関大渋沢栄一記念財団寄附講座「東アジアと日本 過去・現在・未来」4回受講他NHK教育TVで最近勉強した「中国について」をまとめました。茫洋とした大国の中国を浅学の小生が、先人・偉人から聞いた聞き置きとしてご参考いただければ幸いです。

中国の基本思想の骨格は紀元前500年-同200年の戦国時代にほとんどが出尽くしている。(作家宮城谷 昌光さん) 孔子・孟子・老子・荘子・墨子・・・群雄の諸国が割拠していた時代、支配者は賢人を探し、その意見を入れて政治を行った。・・・そうなのかもしれない、ひるがえって日本には比肩する思想家はまだ国民の間に定着していない。

近代中国の一般語彙のおよそ1/3(約1000字)は明治時代の初め日本より逆輸入された(明治大学 加藤 徹教授) 人民・共和・銀行・金融・民主・自由・経済・権利・義務・国会・憲法・司法・立法・行政・・・清末期の中国の学者は、中国の古典をベースとして新しい概念をいいあらわそうとした為、「経済」は「計学」、「社会学」を「群学」としたり、どうにもならなくなったとのこと。・・・このことが素直に中国の人に伝わっていないかも。。。

中国の歴史家は総じて政権の正当性を主張する役割を持つ(東京大学 北岡伸一教授)
・・・いろいろな日中戦争の犠牲者の数字が出ているが、歴史家が政権の思惑を踏まえて発言しているかもしれません。慎重に発表された数字を見極めねばならないと思います。加害者で侵略者であったことは間違いない事実ですので、一部の指導者にその責をゆだねず、一人一人の国民は先祖の過ちを受けてたち、謝り、賠償請求破棄については今後に報恩の行いが必要と思います。かって小生が上海を旅行した時、頭の陥没した人が、日本人だと知って、頭を指差し、お金を求められました。小額の寄付でその場を済ますことが出来ました。
 
チベットの人権問題を外国の人は云々するが、自国の尺度と自国の利益の視点で見ている(中国中央民俗大学副学長 ショニマさん[チベット族]) 中国の民族自治区に入る前は、奴隷制度で人民の90%は自由がなかった。現在は格段に改善されている。

30年-40年待って欲しい、公害の問題も解決されているだろう、中流層が育ってきている(東洋学園大学 朱 建栄さん) 30年前、日本も公害に悩まされ、克服して今日の日本があるように、中国は日本の30年前と一緒の状態です。時間をいただければ、解決していきます。現在、富みが一部の人に偏り国民の10%の人が国の富の41.6%を占めています。(日本39%、フランス62%、アメリカ69%)格差感がありますが、中間層がそだっています。低所得層7億人、中間層5億人、富裕層1000万人(年1500万円以上)。徐々に改善されていくでしょう。地方の長より選挙によって選ぼうとしています。何十年も経つと国のトップも選挙で選ばれるでしょう。日中は成熟・助け合い・協勝でいかねばならない。・・・あまりに広く、大きい国で、もう少し勉強した後でないと判断がつきません。

中国人は100年、500年先のことをいう(某経営者) 日本人には考えられない遠い先のことを考えて、ものをいう。・・・幾人の方にも聞きました。全員がそうなのか一部の人か判断つきませんが、そのような方が多くおられるのでしょう。 

中国人は国のトップに茫洋たる人を選ぶ(作家 北方 謙三さん) ・・・毛沢東、周恩来を思い描けばぴたりと当たっています。人口が多いので、麻生さんタイプはこの国ではもたないと思います。日本との国交回復で「小異を越えて大同につく」と毛沢東か周恩来がいっていました。

中国の思想・哲学・文化の主流は(天・道・性)「理」(公共哲学共働研究所所長 金 泰昌さん)・・・中国語で「雨が降る」は、まず現象がある何かが降りてくる、それは雨だった。「下雨了」
「雨がやむ」は、既に雨が降っているので、主語+動詞で「雨停了」
 この語順を考えると、中国の人は「理」屈でものをいう、考えるようです。この意味はまだまだ理解できません。ちなみに金さんは「韓国」は(相通・通変・通達)「気」と「日本」は(内面・内側・内向)「場」といわれています。

中国人は家族・友人とのつながりがある(関西大学 竹内 洋教授) 日本では「カウンセリング」が若い人の間でひろまっている概念、中国では現在のところそうでない。このことは日本の若者は孤立して相談相手がいない、中国人はいるということなのだろう。・・・中国人は友人を大切にします。食事でもよばれると大皿でたっぷりと出て、どうぞどうぞと。先の大戦で、中国の人は多くの日本の孤児を里親としてひきとって育てていただいたが、今の日本だったら、どうだっただろうか?まず、家族がつながっていた過去のよい習慣を今に戻さねばならないでしょう。

 広大で巨大な中国のことを一匹の蟻が勉強しています。また、3ケ月後くらいにレポートいたしましょう。(WELL BE)
 





 

2008年11月19日水曜日

映画における人生の時間=講演を聴いて=

 11月18日大阪谷町四丁目さいかくホールで公開講座フェスタ2008、羽衣国際大学安東教授の映画における人生の時間-その縮小と拡大-を聞きました。概要は次の通りです。

人生とは再会と別離
 小津安二郎監督「東京物語」で冒頭と最後のシーン はじめに夫婦二人の会話があり、最後に夫1人の映像有、それぞれ第3者が窓越しに挨拶する。

 木下恵介監督「二十四の瞳」高峰秀子の扮する先生が、教え子の戦後の姿に戦争での別れ、病による別れ、等々に出会う。

 いじー・メルツェル監督の「老優の一瞬」では人生は10分ほども長くはないと、老優の皮膚にしみこまれた人生を若い頃の映像と帰し方の映像を織り交ぜ、人生の一瞬を映像で見せてくれる。

 ろべーる・アンリコ監督の「ふくろうの河」では、南北戦争で敗れた南軍の兵士の処刑場面を映す、首に縄がかかり、下は渓流、処刑の寸前、受刑者は瞬間の希望に思いを馳せる、・・・河へおとされた、手の紐を解く、もがき、足の紐を解く、もずもに出る、鉄砲が撃たれる、かいくぐって必死で泳ぐ、激流を下る、砂場に手をかける、生の喜び、ひたすら林道を走る、眼前に愛妻の顔が、・・・・はたして結末はどうだったのだれぞれのろうか・・・・

 安東教授のゆるやかでなめらかな講演は続く、まるで映画を観ているようだった。

 今回の映画講演に観たのは、人生の別れと希望、終焉の姿だった。受講者はしんみりと安藤監督の映画を味わった。人生とは、生きるとは、それぞれの思いをもって帰途についたのでした。(WELL BE)

2008年11月12日水曜日

格差感社会から信頼社会へ

 11.11(火)公開講座フェスタ2008で大阪市谷町4丁目のさいかくホールにいき、関西大学教授 竹内 洋教授の「ポスト格差社会論:信頼社会の構築にむけて」を聴講しました。

 氏の講演の要約をすれば「現在は、格差社会というより、格差感社会であり、お互いを信頼しない”不信社会”であり、お互いが信じあえる、信頼社会の構築にむかうべきである。」とのことであった。

 格差社会について:江戸時代にももっと厳しい士農工商という格差があったが、誰もそのことを問題にしなかった。経済格差が増えると、凶悪犯が増えるという説があるが、そこまでいっていない。格差があるとマスコミにあおられて思い込んでいるが、現実は格差感社会ではないだろうか。

 信頼社会について:カラオケ社会というべき状態で、人に自分のことを一方的に聞かせるが、人の歌(こと)はきかず、次に何を歌うか(話そうか)としている。学生がよく、自分探しというが、親・親戚とつながっているはず、つながりの中に自分がいることになっていない。日本で臨床心理学がはやっているが、これは、自分がどうしたらよいかと相談する人を探しているから。中国ではそのニーズはなく、親・親戚・友人とつながっているのだろう。夏目漱石が「それから」で主人公のダイスケにいわしているが、「昔は人と人がつながっていて、よかった。(日露戦争後)どうもバラバラになってきてよくない。」といっている。これからもわかるように、かなり、以前から、人と人とのつながりが希薄となつてきている。
 これからは「つながり」の中で自分を考えることが大切である。

 示唆に富んだ講演でした。格差については厳然と広がりつつあるという認識を持っています。これは、就業人口の1/3が非正規社員となっていることが所得格差を生み、若年層に「富むルーチンの人たち」と「貧しいルーチンの人たち」に2分化していることが、活力をそぎつつあるのではないでしょうか。この解決の糸口は見えず、グローバル化と金融不安による不景気が更に非正社員の数を増やす傾向にあるのは困ったことです。もう一つは、IT化による対面コミュニケーションの減少と、アメリカの金融危機で見られた机に座っての”浮業”で簡単に稼ぎ、簡単に無くす、汗のかかない”産業”が蔓延しつつあることでしょう。

 信頼社会をつくっていくことは、大賛成です。先日、NHKTVでカンサンジュンさんが夏目漱石の「こころ」を解説されていたが、真にこころを許せる人を見つけることは難しく、またそれが人生の大きな目的であり力となるというようなことを、いっておられた。親・親戚と深くつながり、信頼の置ける人を見つけてその友情をはぐくむことが、人生の大きな力となると思いました。(WELL BE)