H23年3月11日午後2時46分、大阪心斎橋大丸百貨店の某階手摺にじっともたれていた。数分間、体が揺れたので蛍光灯の照明器具をみたが、蛍光灯も揺れていた。
あの未曾有の大震災が東北関東で起こっていた。その後、30分以内に津波が押し寄せた。
先月、クリント・イストウッド監督の予知力をテーマとした「ヒアアフター」という映画で主人公の1人が青い海にのまれる津波のシーンが心に残っていた。TVで何回も観たが実際は泥の海だった。
クリント・イストウッド監督は予知力があったようだ。東北関東大震災で、なくなられた1万1千余人の方々に黙祷をささげます。そして行方不明1万8千余の人々の安否に心を痛めます。
H7年1月17日、阪神大震災で地震・火事で母を亡くした。消息を尋ねて大阪から電車で乗り継いで、西の宮から神戸まで歩いた。この道々、ボランティアの人々が提供された、無料のうどんのあたたかさは忘れません。パンもおにぎりもありがとうございました。小学校の仮眠所では皆でいたわりあって眠った。自衛隊の皆さんに遺骨探しを手伝って頂いた。会社の皆さんからは、義捐金をいただいた。どれほど感謝しても尽きない思いが残っている。
人のぬくもりといただいた奉仕のお心は、その後の人生で忘れることは出来ません。
今回は、原発事故が重なり、原発停止には先行き深刻な日々が続きますが、関係各位のがんばりで安全停止を期待しています。自然の猛威に対して、人類は人智の限界を悟っています。(環境学習をした際、原発で地震の対応を質問した際、電力会社出身者は「原子炉をとめりゃいい」との答えに、更なる大きな地震に対して
どうするのか「別のところで話をしょうか」と絶対的安全を強調していました。何でもできるというおごりは
一番恐いです。)
遠隔各自治体の献身もすばらしいです。日本全体で、被災地の皆様を支えましょう。
被災された方々には、勇気を失わず、新しい未来を信じてがんばって下さい。(H23年3月28日 中川 昌弘)
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