2009年10月17日土曜日

歴史を辿るエッセー(上)「思い込み古代史」はじめに 1. 日本にいつごろから人が住みはじめたのでしょうか?

はじめに

 中国、朝鮮を勉強するうちに、日本の古代に興味をもつようになって、関連する本を読んでいます。日本にはいつごろから人が住み始め、その人たちはどこから来たのたのでしょうか?縄文時代の人々はどのような生活をしていたのでしょうか?稲作技術をもってきた弥生人の生活はどうであったのでしょうか?「後漢書」によりますと1-2世紀倭国は乱れるとありますがどうであったでしょうか?「魏志倭人伝」に登場する邪馬台国は何処にあったのでしょうか最大の疑問です。そして、大和に展開された纏向(まきむく)遺跡の意味するものは?倭の五王と古代朝鮮の関係、巨大な堺の古墳の意味、継体天皇の継体とはどのような“体”を継いだのでしょうか。6-7世紀大和朝廷の成立の過程は、「大化改新」「壬申の乱」とぎくしゃくしますが、その実相は?天皇の権力が如何に作られていったのでしょうか。縄文時代からの精霊信仰(アミニズム)がどのように残り、また変容していったのでしょうか。仏教の受容の動向は? 少し飛躍しますが、日本のきめ細やかな「もののあわれの文化」、微細技術の伝統や「もったいない」の思想の原点は奈良時代までの古代の歴史に痕跡があるのでしょうか。

 順を追って粗い読書による先達の知識の収集と近場の博物館通いからの雑駁な知識で(上)として奈良時代までを1週間に1回づつで17回掲載していきます。平安時代以降は(中)(下)として勉強しつつ準備していきます。

1. 日本にいつごろから人が住みはじめたのでしょうか?
・ ウルム氷期の極相期、日本は大陸とほぼつながっていた
200万年前にはじまった氷河期の中の最終氷期が約7万年前に始まり、約1万年前に終わっています。日本にいつごろから人が住みはじめたのでしょうか?12万年前の島根県出雲市の地層から旧石器とみられる長さ5~1.5cmの石片が発見されたという報道が09年9月、朝日新聞であった。しかし、人工品かどうかの判定には資料が少ないとのコメントが識者によりなされていた。
一般的には、旧石器時代の黒曜石の石器が群馬県岩宿で発見されています。3万年以前にに人が住んでいたと考えられる。豊橋市牛川町、静岡県三ヶ日町、同県浜北市でも一部の骨が発見されているが、身長男性150cm女性134cmと背の低いピグミー的な人達であった。

 ウルム氷期の極相期の約2万年前頃、気温が現在より6-7度低いと仮定して、海水は現在より110-120m低かった。大陸とほぼつながっていたと考えられる。北と南から中国雲南から東南アジアにいた古モンゴロイド人が日本に渡ってきた。ウルム氷期の極相期が過ぎると、海面上昇により日本はしだいに大陸ときり離された列島になっていく。日本人の痕跡としては沖縄の港川原人の16000~18000年前ころの骨が見つかっている。顔の骨から四角型あごの骨の張った人が図のように復元されている。(埴原和郎「日本人の顔」より)身長は男性156cm女性144cmであったと推定されています。川や海から漁労し原生林の中より動物を狩猟し木の実等を採取して生活していたものと想像されます。[約4万年前頃から人が生息していた可能性があります。極寒な環境で生き抜くことが困難だったでしょう。]
(参考図書 池田次郎「日本人の起源」、埴原和郎「日本人の骨とルーツ」他)

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