2012年2月11日土曜日

[ギリシァ神話を学ぶ(3/3)]「パリスの審判」


 ギリシァ神話を描いたネサンス絵画の中の「パリスの審判」をみてみましょう。

 エーゲ海を臨む小アジアの地にトロイアと呼ばれる国があった。紀元前1250年頃、ギリシャ連合軍がトロイアに戦勝したことが、吟遊詩人ホメロスによって「イリアス」として語られた。ローマ時代になって、ギリシャ神話をオウィディウスが「変身物語」として記録した。それをもとに16世紀以降ルネッサンス画家たちが絵画にした。代表的なものにルーベンス(1577-1640)の「パリスの審判」があります。

 スパルタ王妃カッサンドラはトロイが燃えるさまを見て次男のパリスを生んだ。よくない夢だったので、パリスを野に捨てた。後に牧童に育ちます。

 大神ゼウスはレトを見初めます。レトが白鳥が好きなことを知り、白鳥に変身してレトと交わりレトは卵を産みます。その内の一つより、美しいヘレンが生まれます。ヘレンはスパルタ王の妃となりました。その美貌は羨望の的でした。
 
 「不和の神」は黄金のりんごをメリクリウス(英名マーキュリー)にさずけ、神々の使者となって、3人の美女に美しさを競わせ、牧童のパリスが黄金のりんごを一番美しい人へ渡すこととなりました。一人はアテナ(英名ミネルバ)自分を指名すれば軍事力を与えると、もう一人はアプロディテ(英名ビーナス)自分を選べば世界一の美(ヘレン)を与える、最後の1人ヘラ(英名ユーノ)は政治力を与える、と。結局パリスは「美」を与えてくれるアプロディーテを選び、へレンを略奪しトロイに連れて行きます。絵画はその選ぶさまを描いています。各々にいわくのあるアットリビュート(目印)で、誰かがわかるようにしています。アテナはフクロウ・カブトと盾、アプロディーテは幼神エロス、ヘラはくじゃくです。

 トロイに連れて行かれたヘレンの奪回を目指してギリシァ連合軍が10年にわたって、トロイを攻め、最終局面で木馬の中にギリシァ兵士が隠れ、贈り物と思ったトロイ軍が城内にもちこみ、ギリシァ兵士が夜陰にまぎれ城門を明けて攻め込みトロイを滅ぼします。

 長い間、単なる神話伝承の世界と思われていましたが、近代になってドイツのシュリーマンがトロイの地を発掘してトロイとギリシァの戦争があった事を実証しました。

 そんな神話の有名な部分をルーベンスをはじめ多くのルネッサンス期の画家が絵画としました。トロイで敗残の人々の一部がローマに渡って、ローマを建国したとの一説もあります。ヨーロッパ人の青年期は科学(紀元前に地球の外周距離をほぼ想定、ピタゴラスの定理、AD120年には48の星座を記録)・芸術(アイスキュロス・ソフォクレス・エウリピデスの悲劇や彫刻や線絵の壺)・哲学(ソクラテス・プラトン・アリストテレス)民主制(多数決による統治・裁判)・オリンピック等マラソン等スポーツを他を立ち上げたのはギリシァ人であり、他民族を取り込み、他者を認めるこころの広さを発揮したのが壮年期としてのローマであり(BC1世紀のキケロはギリシァ人の優秀性は認めるも、証言の重要性等フーマニタースと称する人間性をを知らないといっている。議論をふっかけて人間とは何かを考えたソクラテスは裁判で多数決により死刑を宣告された)、ギリシャ・ローマを引き継いだ現在のヨーロッパは熟年期とも例えられるのでしょうか。

 ギリシァ連合軍とトロイとの戦争から気の遠くなるような年月、およそ3250年ほどが過ぎ、その後の他民族の流入で現在のギリシァは、古代のギリシァではありませんが、ECの中で大変な財政危機の状況に追い込まれています。ギリシァ神話を勉強して思いましたのは、古代の叡智を今一度、呼び戻し、ヨーロッパが一つとなって今回の危機を脱出して欲しいことです。
 (参考図書 阿刀田 高「私のギリシャ神話」 逸見喜一郎「ギリシャ神話」 地中海文化を語る会編「ギリシャ世界からローマへ」)(2012.2.11 中川 昌弘)

[ギリシァ神話を学ぶ(2/3)]「メディア」

ギリシァ悲劇「メディア」を記します。

 紀元前のずっと昔、エーゲ海の奥深く、イオルコスという地をアイソン王が治めていたが、父親違いのベリアスに図られ、王位を失う。王子が成年に達するまでということでしたが、次々とベリアスは王子たちを殺し、末弟のイアソンだけが残り、山中に逃げ、半人半馬の賢人ケイロンに育てられ、厳しい教えを受けました。
 成人になってベリアスの前にイアソンが出て行って王位の返還をこいました。ベリアスはコルキス(コーカサス)にある金の羊の毛皮を取り戻してほしい、王位はそれからだ、といったのでした。イアソンはアルゴー船で東に向かいました。

 コルキスのアイエテス王は申し出を断りました。

 幼神エロスが神々の意向を受けて、コルキスの王女メディアに金の矢を射て、イアソンを恋こがれるようにしました。王女メディアはイアソンに首ったけとなり、イアソンに煎じた薬を体に塗り、やけどをしないようにして、不眠の竜も薬草で眠らせ、金の羊の毛皮を奪い、イオルコスに持ち帰ったのでした。

 譲位を迫りますが、ベリアス王は「少し待て」というのをメディアは若返りの薬を与え、ベリアス王を殺します。イアソンはようやくイオルコスの王となりました。

 イアソンとメディアの間に子供が出来ます。イアソンはコリントスの王女とねんごろになります。コリントスの地もイアソンとメディアの間にできた子供が継ぐことで、イアソンはメディアの了解を求めたのでした。

 メディアの怒りは心頭に達し、コリントスの王女を猛毒の衣装で殺し、一粒種の子も殺してしまいます。愛する夫イアソンに対しては何も出来ませんでした。その後のメディアは、ようとして消息は不明でした。メディアの子孫が王になる、それでいいではないか、は男の論理。夫は憎い、でも愛している、結局、分身の子供を殺すその情念たるや現在でも涙を誘います。
 
 BC5世紀ごろ、ポリスと呼ばれる都市国家が200はあったようです。当時は、ソクラテスもアテネの町を闊歩し、議論をふっかけていたことでしょう。このころにエウリピデス「メディア」が製作されたのでした。当時の人々は、ペルシャとの戦争に勝ち、奴隷制のもとに過酷な労働からは解放され、昼間、悲劇(喜劇)が人生を考える場として円形劇場で上演され、楽しんだのでした。コロン=合唱隊の歌と仮面をつけた語り部の俳優で構成されていたようです。近代に一大発展している姿が歌・ストーリー・背景と五感を総動員して楽しむ歌劇だと思います。

 
 (参考図書 阿刀田 高「私のギリシャ神話」、地中海文化を語る会編「ギリシャ世界からローマへ」)(2012.2.11 中川 昌弘)

[ギリシァ神話を学ぶ(1/3)]「アポロン」

少し、ギリシァ神話を勉強しました。3回にわけて記します。

 アポロン(英名アポロ)は大神ゼウスとレトの間にエーゲ海にうかぶ3km2のディロス島に生まれた双子の1人、芸術・予言・弓術・医療・牧畜・哲学の神様です。

 昔、昔のギリシァでは毎日、陽があがるころから陽が沈むまで太陽をアポロンがヘイバイトスの造った4輪馬車を駆動して引っ張っていると考えられていました。(双子のもう1人はアルテミス[英名ダイアナ]月を馬車で駆動していると考えられていました・狩猟の女神)アポロンはニュンペーのクリエメネーとの間にバエトーンという子がいました。バエトーンはアポロンの子ではないと人々にいわれたので、真偽を父アポロンに聞いた。「本当にわたしの子だ」とアポロン。「本当なら何でも聞いてくれますか?」とバエトーン。「それでは、太陽の運行の4輪馬車を貸してほしい」とバエトーン。その危険性故にアポロンは断りましたが、どうしても、バエトーンがいうことを聞かないので、あまりのひつこさに、しぶしぶアポロンは了解せざるをえませんでした。
ある日、4輪馬車のたずなを息子にゆだねました。喜んだバエトーンですが、馬車の制御が出来ず、蛇行、大地は、炎と化しました。大神ゼウスはやむなく、自身の得手の雷電をバエトーンに投げつけました。バエトーンは馬車から放り出され、炎の中に死んでいきました。バエトーンの妹のへーリアスたちは、兄の運命を悲しんで、河岸のポプラの木になりました。彼女らの涙は琥珀の球になりました。

 アプロディテ(英名ビーナス)はクロノスから生まれ、西風に吹かれてキプロス島に流れ着きました。アプロディテの子エロス(英語名キューピット)は相手に黄金の矢を射ると、恋こがれるようになり、鉛の矢を射ると、きらいにする力を持っていました。エロスはアポロンに黄金の矢を、ダプネに鉛の矢を射ました。アポロンはダプネに恋こがれるのでした。ダプネは逃げ切れず、月桂樹になってしまいました。アポロンは悲しみ、ダプネのことを思って月桂樹を冠としました。現在でも、スポーツの勝者に月桂冠があたえられているのはその名残です。

 アポロンはヒィアキントスという少年を愛しました。二人で円盤投げの遊びをしていたら、アポロンの投げた円盤がヒィアキントスの頭に当たってしまいました。そこから鮮血しヒィアキントスは死にましたが、倒れたところから真っ赤な花が咲きました。その花をヒァシンスというようになりましたとさ。

 アポロンは芸術の神として、世界のオペラの殿堂ミラノ・スカラ座の建物上部に4輪馬車の駆動姿が浮き彫りとなって今も勇姿を人々に魅せています。
 (参考図書 阿刀田 高「私のギリシャ神話」、トマス・ブルフィンチ 大久保博 訳「ギリシャ神話」上下)(2012.2.11 中川 昌弘)