ギリシァ悲劇「メディア」を記します。
紀元前のずっと昔、エーゲ海の奥深く、イオルコスという地をアイソン王が治めていたが、父親違いのベリアスに図られ、王位を失う。王子が成年に達するまでということでしたが、次々とベリアスは王子たちを殺し、末弟のイアソンだけが残り、山中に逃げ、半人半馬の賢人ケイロンに育てられ、厳しい教えを受けました。
成人になってベリアスの前にイアソンが出て行って王位の返還をこいました。ベリアスはコルキス(コーカサス)にある金の羊の毛皮を取り戻してほしい、王位はそれからだ、といったのでした。イアソンはアルゴー船で東に向かいました。
コルキスのアイエテス王は申し出を断りました。
幼神エロスが神々の意向を受けて、コルキスの王女メディアに金の矢を射て、イアソンを恋こがれるようにしました。王女メディアはイアソンに首ったけとなり、イアソンに煎じた薬を体に塗り、やけどをしないようにして、不眠の竜も薬草で眠らせ、金の羊の毛皮を奪い、イオルコスに持ち帰ったのでした。
譲位を迫りますが、ベリアス王は「少し待て」というのをメディアは若返りの薬を与え、ベリアス王を殺します。イアソンはようやくイオルコスの王となりました。
イアソンとメディアの間に子供が出来ます。イアソンはコリントスの王女とねんごろになります。コリントスの地もイアソンとメディアの間にできた子供が継ぐことで、イアソンはメディアの了解を求めたのでした。
メディアの怒りは心頭に達し、コリントスの王女を猛毒の衣装で殺し、一粒種の子も殺してしまいます。愛する夫イアソンに対しては何も出来ませんでした。その後のメディアは、ようとして消息は不明でした。メディアの子孫が王になる、それでいいではないか、は男の論理。夫は憎い、でも愛している、結局、分身の子供を殺すその情念たるや現在でも涙を誘います。
BC5世紀ごろ、ポリスと呼ばれる都市国家が200はあったようです。当時は、ソクラテスもアテネの町を闊歩し、議論をふっかけていたことでしょう。このころにエウリピデス「メディア」が製作されたのでした。当時の人々は、ペルシャとの戦争に勝ち、奴隷制のもとに過酷な労働からは解放され、昼間、悲劇(喜劇)が人生を考える場として円形劇場で上演され、楽しんだのでした。コロン=合唱隊の歌と仮面をつけた語り部の俳優で構成されていたようです。近代に一大発展している姿が歌・ストーリー・背景と五感を総動員して楽しむ歌劇だと思います。
(参考図書 阿刀田 高「私のギリシャ神話」、地中海文化を語る会編「ギリシャ世界からローマへ」)(2012.2.11 中川 昌弘)
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