2011年1月24日月曜日

Let's watch movies 「海炭市叙景」監督 熊切 和嘉 原作 佐藤 泰志

 十三第七芸術劇場で「海炭市叙景」監督 熊切 和嘉 原作 佐藤 泰志 を観ました。次のような感想を持ちました。

 どこでもある風景、例えば、電車に乗り合わせた隣の人、向かえ側の人 それぞれの人生がある、そんな日常を、作者佐藤 泰志は自身の故郷の函館を模して海炭市として、さまざまな普通の人を登場させ「海炭市叙景」を残し、41歳の若さで自らの命を絶った。

 話は1989年頃、好況の日本経済も曲がり角に立っていた。造船会社では首切りの話、地上げしてショッピングセンターにしょうとする動き、燃料屋は浄水器などを扱って売り上げ低迷を打開しょうとするしたり、定年前の市電運転手が黙々と働いているし、プラネタリウムの職員は妻の夜の仕事に悶々としている・・・・ そんなこまごました日常をつなぎあわせた物語だ。

 画面に出てくる男女や子供がどんな関係かを画面の細部から推理していく。くどくどしい説明はない。

 その家にはひっこししてきたと思わせる包装材につつまれた家具がある。奥さんは30前後か、子供が小学高学年のようだ。夫は暴力をふるう二代目社長。夫婦仲は悪い。そこで観客は次のような想像をする。最近再婚した後妻か?妻がつらく子供にあたるのは継母だからか?夫が浮気しているからか?このような人間関係をそれぞれに類推させるシーンで多くが構成されている。その点、画面に見入ることになる。

 熊切監督は大阪芸大出身の若手である。バブル後の一都市のできごとを精力的にしかし淡々と描いた。

 2009年カンヌ映画祭でグランプリを取った第一次世界大戦前の次代を描いたドイツ映画「白いリボン」も、同様な手法で、主人公の先生を除く登場人物たちに、次々と事件が起こるが、余計な説明がなく観客が推理していく。その回答もない。子供たちが不気味なのは、後のナチスの登場を暗示しているという。

 「海炭市叙景」は低迷のしりすぼみなこの20年の原点を暗示していると読むのか?その答えは観客にゆだねられている。どっしりと重たい。(11.1.24 中川 昌弘)

2011年1月8日土曜日

[Let’s Watch Movies]「最後の忠臣蔵」監督杉田成道 主演役所広司 桜庭ななみ

人形浄瑠璃「曽根崎心中」を絡めながら、討ち入らなかった二人の侍(寺坂吉右衛門=佐藤浩一、瀬尾孫左衛門=役所広司)と大石内蔵助の隠し子 可音(かね)= 桜庭ななみ で展開される物語。
梅田ピカデリーで観ました。当時の武士道を想い、現代の日本にかけてしまったことを憂います。
瀬尾孫左衛門の子孫に20代の頃、仕事でお会いして、一食のご恩があります。瀬尾種苗店が赤穂にあり、先祖の孫左衛門さんが諸所全国を回り長門にもたちより、自分の立場を説明してまわったと、お食事をいただきながら、子孫からお聞きしました。この映画の、内蔵助の隠し子可音(かね)を育てたという内容とは異なるように思います。瀬尾孫左衛門は大石内蔵助の1500石とりの家臣で、浅野家の陪臣でした。そんなエピソードを思い出しています。
可音(かね)が結婚する花嫁行列に、次々と元浅野家の家臣がはせ参じるところは感動的でした。
梅田ピカデリーをでた後、泉の広場から梅田地下道を通り、地下鉄梅田駅に向かいました。途中、リニューアルした富国生命ビルB1Fフコクフォレストに立ち寄りました。ちょうど18時58分くらいより、時報を知らせる音楽が鐘の音のように心に荘重に響き、木のフロアに映じられる花々の映像を見ながら、「最後の忠臣蔵」の余韻を反芻していました。この数分の音楽は私の子息の作曲によるものです。その人のこころのありように共鳴します。(10時ころより22時くらいまで、映像と音楽が時報を知らせます)

忠臣蔵と鐘のような時報を告げる音楽が私の心で不思議な共鳴をしていました。よい時をもつことができたと心が喜んでいました。(11.1.8中川 昌弘)

2010年12月28日火曜日

[Let’s Watch Movies]「武士の家計簿」森田 芳光監督 堺 雅人主演

 師走、今年のことも、目処をつけて「武士の家計簿」森田 芳光監督 堺 雅人主演を梅田ピカデリーで観てきました。

 加賀100万石の、あるソロバン武士3代のお話。その名も猪山直之(堺 雅人)という。小さい頃から父(信之)・・・東京金沢藩邸の門を前面のみ赤に塗り、コストを抑えたのが自慢の種・・・にお家芸のソロバンを仕込まれ、超まじめ。直之の子を直吉、後に成之という。子にもソロバンを仕込むはいうを待たず。直之は家計簿を残した。家計簿をつけることにより一家の借財を、思い切った切り詰め生活で完済していく。

 この家計簿が、後の現代に磯田道史という人が古書店で16万円で買い、長年にわたって研究された。その結果として、映画で私たちが江戸末期のソロバン武士の生活の苦闘を知ることとなる。今年もノーベル化学賞に2人の日本人が入ったし、過去にも多くのノーベル物理学賞学者もだしたDNAが、既に江戸時代に一生を藩の財政計算にささげたソロバン武士にあったのだという。

 金沢加賀藩100万石で150人のソロバン武士をかかえていた。明治の代になって、この後裔たちが軍のロジスティックの算術をまかされたという。金沢の会計人たちは、他国人に群を抜いて優れていたといわれる。見ごたえある映画でした。(10.12.28中川 昌弘)

2010年12月26日日曜日

[本棚から]モーパッサン「女の一生」ささやかな真実 斎藤 昌三訳

 高等学校の頃、その名を知っていた、モーパッサン。「女の一生」を読みました。

 1800年代のフランス、ノルマンディー地方の片田舎でのお話。
 ジャンヌの夢一杯の乙女の頃、いとしの君を想いうかべていた。
 結婚の現実は、夢が幻滅であったことを知る。
 夫の浮気。あきらめ。その後の夫の惨事。
 唯一の希望は子供ポール。ポールの成長後の、母ジャンヌからの離反。
 子を信じようとする母心。孫を得て、自らの継承を確認。
 ついに一生を終える。

 かっての女中ロザリーは、かっての夫の不倫の子を宿し、そのことをもって
 一財産と他の男を与えられ、一家をつくる。
 老後は、傷心のジャンヌの介護をする。ロザリーは語る。

 「人生ちゅうもんは、まんず、人の思うほど良くも悪るくもねぇもんだのう」
(10.12.26 中川 昌弘)

2010年11月3日水曜日

[本棚より]スタンダール 佐藤 朔訳 「赤と黒」

 このほど、スタンダールの「赤と黒」を読みました。高校生の頃、友人が読んでいて、ジュリアン・ソレルという名前は覚えていた。以下は、感想です。今後、読まれる方はあらすじを飛ばしてお読み下さい。

[あらすじ] 1830年代、フランスの片田舎の大工のせがれ、ジュリアン・ソレルは背の高い細身の美青年だった。家庭教師に入った家のレナール婦人と道ならぬ恋をし、パリに出ては、秘書となった公爵の娘マチルドと恋に落ちる。当時のフランスの貴族の女性がいだく、差別感、世間体、高貴な女性の乗り越える幾多の心理的葛藤、ついに2人の愛と恋にジュリアン・ソレルは自らが、断頭台の露と消える結末をもって、小説の幕が閉じられる。

[恋愛小説の一究極]スタンダールの女性心理を透徹した筆力に酔ってしまう。
わが国の平安時代の「蜻蛉日記」、「和泉式部日記」、「源氏物語」といずれが上とも下とも判断できかねますが、違いは、男性が書いているところがミソで、スタンダールの観察眼に感心して脱帽します。読むその年代により、感動の度合いは異なるだろうと思います。それは本との出会いですので、各人のおかれた環境に任されています。名作とよばれているものは、いつ読んでも素晴らしいものが多く、人生を豊かにしてくれます。人生の充実を感じた数日間と読後も心を奮い立たせてくれます。名作ってすばらしいものです。(10.11.3)

2010年10月17日日曜日

[本棚から]ジャン・クリストフ(3)(4)ロマン・ローラン作 豊島与志雄訳

 初め少しを、若い頃に読みました。分厚い本を貸してあげた友の読後の感動の顔が忘れられません。いつか読んでみようと思っていました。その本は捨ててしまいました。


 その後数十年を経て 6ケ月かけて、岩波文庫の(1)(2)(3)(4)を読みきった。

 ジャン・クリストフとは、ライン河沿いの生まれのドイツ人で、純なるこころを持つ人生を闘争する音楽家である。作者の後記によるとベートーベンに境涯は似せているが、厳然と違うとのことだ。

 聖クリストフの像が中世の教会堂(ノートルダム寺院)の入り口に飾られているようだ。そこに「いかなる日もクリストフの顔を眺めよ。その日、汝は悪しき死を死せざるべし。」と言葉が掘り込まれている。作者は1890年から1910年の20年間、片時もクリストフと一緒でなかった日はなかったようだ。20年以上かけて作品は完成した。


 多くの女性を愛し、親友の死をみとり、官憲に追われ、その音楽は酷評に会い、ひるまずヨーロッパ各地に逃亡し、愛する人も亡くし、愛した人々の心と共に生き抜いていく。その死は、再生の予感をもって、闘争の人生を再び生きぬかんとする。


 この長編は、今後の人生でじんわりと教訓を生かしてくれるだろうと思っています。

ノーベル文学賞を獲得した作品でした。(10.10.17)

2010年9月22日水曜日

Let’s watch Movies 「悪人」

 主役の深津絵里さんが、モントリオール映画祭最優秀女優賞を受賞した李相日監督の「悪人」を観た。評判どおの映画だった。

 社会のそこここにいる人たちの現実、「1人ではさびしい、より沿って生きたい。」一方、未来のあるはずの軽くおもしろおかしく生きている若者に問う『失くしたら困る誰かがいるのか』

 それぞれが、人を見下げ、自分が優位であると思い込む。現在の処々方々の片隅に生きる人たちにストーリーに展開される殺人事件の「悪人」は誰かと問いかけつつ、深い言葉をいくつも観客に投げかける。

 現在の社会のひとこまを切り取った映画である。今を、考えさせられる。(10.9.22)