1996年、横浜で単身赴任していたときに読んだフォレスト・カーター(1925-1979 インディアンの血が入っている)著「リトル・トリー」を1日1章で再読しました。純真なインディアンの生き様に目から鱗の気持ちとなり、心が洗われました。
その内の3章の挿話をご紹介しましょう。
1839-40年13,000人のチェロキーが集団ごと順次オクラホマの保留地に強制移住された。この行進は涙の旅路と呼ばれている。(4,000人がなくなった)リトル・トリーの祖父の父がその中にいた。全てのチェロキーがそうしたわけでなく、祖父の父(仮に名をビッグトリーとしておこう)は、途中にとどまって自活した。とある木の下にあるかすかなしるしをみつけた。ビッグトリーは鹿の肉と銃とナイフをおいておいた。次の日、鹿の肉はなくなっていたが、銃とナイフはそのままで、新しく別のインディアンナイフとトマホークをみつけた。そこでビッグトリーは、とうもろこしを足してそこにおき、一日そこにいて、印の主を見つけた。その一家は12人の人達だった。末娘と先々結ばれた。ムクドリモドキの羽を髪に挿していたので「レッド・ウィング」とよばれた。柳のようなほっそりしたからだつきの娘で、いつも夜になると唄を歌った。
(ものをそっと人目につかずおいて、あげたともいわず、黙って立ち去る心と心を通わす控えめなインディアンの流儀に心うたれる)
次はリトル・トリーががらがら蛇に襲われた話です。
リトル・トリーは不気味な音を聞いた。正面を見ると、ガラガラ蛇が音を発しながら、リトルトリーをにらんで鎌首をもたげている。そばにいた祖父が「じっとして、目をそらすんじゃない」といって、リトルトリーと蛇の間に手を差し入れた。しばらくの後、蛇は祖父の手をかんだ。祖父は振り落とそうとして片方の手で頭を押さえつけた。ガラガラ蛇は祖父の腕に巻きついてあばれた。やがて、祖父は勝ったがその場でうずくまった。トリーはあわてて祖母を呼びに行った。大急ぎでかけつけた祖母はかまれた祖父の手をナイフで切りさき、血を吸い出しては吐き出した。なんども繰り返し、小康を得た。つめたくなりかけた祖父の体をトリーは体をよせ温めた。祖母は着ていた服を脱ぎ、祖父に着せ、自分も裸となり、祖父を温めた。祖父は一命をとりとめた。トリーは「すまない、おじいちゃん」といつた。祖母は「おじいちゃんが蛇にかまれたのは誰のせいでもない。起こったことは誰のせいにしても始まらない。」といった。
もう一つは、ローソクと星の話です。
あるユダヤ人が、リトルトリーの家でろうそくをともしてお祈りした。トリーが言った。「何をしているの」
家族が離れていても、同じ時間にローソクをともしてお祈りすると、
「はなれていても一つになれるのだよ」
リトルトリーはろうそくのかわり、天狼星を見て祈るから、と祖父にも見てほしいと頼んだ。
リトルトリーは孤児院にいれられた。
天狼星を見てがんばった。星を通じて心を通わせた。一人ではない。つながっている。
心の内にある本それが「リトルトリー」です。リトルトリーは木と話が出来ます。鳥とも会話できます。インディアンは自然と共に生き、自然を大切にする「環境」のことを教えてくれる本でもあると思いました。(10.5.26)
0 件のコメント:
コメントを投稿