2012年1月6日金曜日

[エッセー]笑いの効用

かって、「笑わない人だ」といわれたことがある。またある時は、「笑う門には福来る」の色紙を贈られたことがある。小生に「笑い」が少ないことを示しているようだ。

 昨年末、多胡輝著「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」を読んで「笑い」の脳へのよい影響を知った。この本は5章からなるが、第1章に「ボケ防止に笑いはつきもの」と多胡氏の強い「笑い」へのメッセージを汲み取ることが出来る。

 ダグラス・フェアバンクスは「10時までに顔に微笑をたやすな。そうすれば微笑みは1日中、顔から消えないでいるだろう」といっている。

 触発されて、朝、寝床で昨日のことを思い浮かべ、笑いのネタを探すようにしている。この時、頭の中がくるくると回転しているのがわかる。「笑い」のネタが見つかったら、誰かに言ってみる。相手の「笑い」をとれれば、その時自分も「笑っている」。

もう何十年も前に、このことにきづいていたら、多分、もっと出世していたろう。

 ボケ防止の決定打は「笑い」であると多胡さんの意見に同感します。

今の日本を明るくするのも「笑い」だ と思います。

明治時代はじめの東北の日本人は、暮らしぶりは素朴だが、「みな笑って生活していた」とイギリスの女流探検家ルースさんが記録に残しているとのことです。

「笑い」の根源は「足るを知る」ことかもしれません。(2012.1.6 中川 昌弘)

2011年12月6日火曜日

[Let’s Watch  Movies]「家族の庭」マイク・リー監督(2010年イギリス映画)

映画は、定年まじかの主人公トム(地質学者)とジェリー(心理カウンセラー)が平和な家庭での日常や、市民菜園での土いじりと作物のできる喜びを春夏秋冬のさままな出来事を演じながら、主人公にかかわる1人で生活するジェリーの同僚のメアリーや、孤独な友や、トムの兄や1人息子がからむ、イギリスでの中流の普通の人生を、切り取ってみせてくれる映画です。

 夫婦は幸せをどのようにしてつむぐのか、自然な形で見せてくれるし、一人で生きるのがどんなにさびしいことかも、主人公を取り巻く周りの人々が演じてくれる。

 この映画を観て、「人」という字が人が人を互いに支えあうことにあるのだと、あらためて考えさせてc@hくれました。

 またこの映画の主人公たちのように健全な夫婦になるために、何が自分にかけているのかも、考えさせてくれる映画でもありました。

 出演者はシチュエーションを与えられ、会話を紡ぎながら、脚本づくりがなされるというマイク・リー監督の独特の手法が、美しい映画を作り出しています。

 以上は私の観た感想にすぎず、観る人がどのようにみるか、それぞれの人に、その解釈はゆだねられています。テアトル梅田で公開中。(☆☆☆☆)(2011.12.6中川 昌弘)

2011年11月30日水曜日

[エッセー]「近くて近い国、韓国を旅して」

過日、韓国ソウルへ団体旅行しました。近くて近い国、韓国の一端を知ることができました。

 ソウルの繁華街“明洞(ミョンドン)”を歩けば、大阪の繁華街を歩いているのと錯覚しましたし、南大門(ナンデモン)周辺を歩けば、大阪の鶴橋駅前の商店街を巨大にしたように感じましたし、東大門(トンデモン)の繊維品商店街では、大阪本町の繊維街を巨大にしたようだと思いました。
むしろ、日本よりパワフルなエネルギーが溢れているように思いました。

 ここは、親戚の国だと親近感をいだきました。

TVではKARAが、NHKTV「イ・サン」BS歴史ドラマ「トンイ」が親近感を助長しているようです。BSプレミアムでトンイ役の女優k笑顔をみて、驚きと喜びを感じました。

 残念な過去もありましたが、2000年前頃以降、多くの人々が半島から列島へ技術をもって移住してきたはずですから、ルーツを共有するところがあるようです。

 蓮池薫さん著「半島へふたたび」によれば、ソウルには、巨大な書店もあるとのことですし、TVによれば静かな町並みも、グルメなお店もあるようですので、自分達で地下鉄に乗れるように最低限の言葉を覚えて(妻は私のことをソンセンニン=先生=と呼んでいます。)「韓国へふたたび」訪れることを楽しみとしています。「近くて近い国」が名実ともに友好関係と絆が深まることを願っています。(2011.11.30 中川 昌弘)

2011年11月13日日曜日

[エッセー]「千里の道」

この4日間、妻と団体旅行として台北周辺旅行をしました。
台湾は3度目の、訪問でした。

① 食は台湾にあり ツアーで用意された店へ行きましたが、全てといってよいほど、海鮮料理をむ中心としておいしかったです。(台湾人は食通ですね。外食多いようです。)
② 故宮博物館はやはり逸品をおいて素晴らしい。 ただし、中国・日本の修学旅行生がきていてごった返していた。喧騒の中、有難い仏様に手を合わしました。(その他、総統府の衛兵交代式、思い出のつまった龍山寺、十分、九分、淡水・・・、)
③ 人との出会いを楽しんだ。 名前もわからぬが、数日すると何とはなしには解る。ふとした偶然の出会いが、楽しかった。

 人生を極めるに「万里の道、万巻の書」といわれる。ようやく千里の道、千巻の書といったところでしょうか。次なる非日常を求めて、日頃身近に、何くれとなく世話になる妻と旅に出たいと思っている。(2011.11.12 中川 昌弘)

2011年11月3日木曜日

[エッセー]関西大学ミュージアム講座「吹田の文化遺産」を受講して

 2011年10月3回シリーズで関西大学大阪都市遺産研究センターの諸先生3人の方から吹田の文化遺産―歴史・建物・祭り―をお聞きした。次のように、聞き取り間違いや独断と偏見もあるやもしれませんが、参考情報として下されば幸いです。

① 歴史 実に明快な4区分はつぎのとり。
(A)聖武天皇の後期難波の宮の建立の際、都造営プロジェクトの一環として行基による治水、垂水の布施や(医療・救援施設)が造られたこと。

(B)中世に下り、三国川が整備され、京都とむすばれ京都貴族のウォーターフロントリゾートとなったこと。

(C)江戸時代になると、京都・大阪の中間地帯として川を利用した交通の要衝となったこと。特産品として、小粒のすいたくわいが朝廷にも献上されたこと。

(D)近代にはいり、鉄道が通り貨物車仕分け操作上として日本でも有数の規模て、吹田の良水ではビール工場が出来たこと。この2つが吹田の発展を支えた。後は千里ニュータウンと万博の開催で名実ともに吹田が近代都市となった。

② 建物 明治に入ってドイツの工場を模しれんが作りのビール工場たことができたこと。大阪のベットタウンとして私鉄が千里山まで開通し、往路は人々を大阪へ、昼間の車両の有効利用を考えて、関大が大阪市内から吹田に移動してきたこと。戦後は、千里山に公団による日本発トイレ・風呂付の集合住宅ができたこと。すでに50年たてかえが計画されている。

③ 祭り 都内の主だった神社の祭りが調査されている。伊勢神宮をキーとして、江坂神社・泉殿宮・吉部神社でそれぞれ工夫を凝らした祭りが継続されている。

以上は、小学生むけに副読本として学校に配布され各図書館にもDVDCDとして保存されている。2011年1月15日NPO SELFが 「自然と環境を考えると」としてシンポジゥムがメイシアターで行われ、市民文化部の一員として参加したが、SELFとして世に問うほど、「自然と環境」の研究に成熟しておらず、東北大震災でその情緒的営みも、あっけなくふっとんでしまったと、先輩諸兄を差し置いて自戒している。

 本講座は、さすが大学の専門研究員が足と知恵で練りこまれたてつくらたもので十分、次代に納得できるものをあたえてくれたと思う。
(2011.11.3 中川 昌弘)

2011年10月25日火曜日

[エッセー]関西大学講座「アジアの経済・社会と日本」を受講して

2011年9~10月4回シリーズで関西大学経済学部教授・准教授の方々による「アジアの経済・社会と日本」を受講しましたので次のように覚え書きとしました。聞き取り間違いもあるやもしれませんが、参考情報として下されば幸いです。

① ベトナムの縫製業の調査をされたお話として、外資企業が47%をしめ、日系企業のパートナーは品質にうるさく生産面で鍛えられているが、欧米の数でこなす品質に甘く育てられたところは、今日に至って、他産業と労働力獲得競争で困っている。縫製ビジネス100として5程度が加工費としてベトナムにおち、95は素材メーカーや流通・発注元におちる。最近は中国の動向も変化ある模様で、人件費増から、外資系は生産先として政情安定化のきざしあるミャンマー等が検討されはじめているとのこと。

② 中国の状況について ・日本各地で過疎化が進む中、上海近辺では日本人が10-15万人くらいいる ・大卒4-500万人毎年卒業するが、約100万人就職出来ず(日本の場合は毎年大卒の2-30%留年している。)GDP8%成長しないと雇用維持できず・農産戸籍から都市戸籍へ編入できない(学校等インフラ追いつかないため)低賃金労働力は農村の出稼ぎ労働にたよっているが、じりじり賃金があがっている ・土地は国家のもの、借地権のみあり(道路を簡単に造れ、多車線として都市間を結ぶことができる)・社会保障制度未整備・未冨先老 先富論の見直し(豊かにならない間に老いていく)・鉄鋼生産世界の40% ・自動車生産 世界一の1500万台/年(日本500万台弱)但し上位10社中7社まで外資系 ・2007年中国企業ベスト50社中民営・外資各1社(48社国営) ・外資系50万社(内3.5万社日本出資)

③ この20年日本の来た道 ・グローバル化は先進国の事情でおこなってきた ・お金は儲かるところへ集まってくる ・比喩的にいえば困った人を陸から助けていた時代より、国家が海となりどっぷり浸かって人を助けようとしている(国が借金を繰り返し景気浮揚しょうとしてきた。GDP2倍の国債の発行残となっている) ・アメリカ・EUにしても、日本のきた道を世界が歩み始めた ・システムを変えねばなラない時期となっている

④ アセアン+3(中国、韓国、日本)13国で東アジア経済圏を2015年までに作ろうという、中国・韓国の動きと、オーストラリア・ニュージーランドを加えていこうとする日本と意見が分かれている。TPPは日本の路線を環太平洋とするか、しないかの分かれ目と考えてよい。鳩山・小沢ラインが東アジア共同体構想で菅・野田ラインが環太平洋へむかつているのではないか。

深刻な国内事情をかかえて経済運営を迫られているアジアの中の日本、どこにいくのだろうか。答えは見えてこない。日本丸の進路にさらに波風が高くなるようだ。
(2011.10.25 中川 昌弘)

2011年10月10日月曜日

[エッセー]ドイツをかいまみて思うこと

 この3ケ月ほど、ドイツを勉強しました。

 ドイツは約200年前まで300の領邦国家等に分かれ、有力な7人程度の選定候で多数決で神聖ローマ帝国皇帝を選び、分権割拠しナていましたが、ナポレオンの進攻により、39の国に整理され、プロイセンのビスマルク等の活躍で140年前にドイツ帝国となりドイツが統一されました。その後、2つの世界大戦の引き金を引き、62年前に東・西ドイツとなり、21年前に統一ドイツとなりました。
第2次大戦以降、フランスと協力し、EU設立の中核として、国土35万km2(EU中4位)人口8209万人(1999年)GDP2兆ユーロ(EU15の25%)EU予算拠出(同19.6% 参考仏=17.6%英=11.9%ギリシャ=2%)また環境先進国として2002年に2022年には原発(現17基稼動)を0に、再生可能エネルギー35%(現在17%)にと打ち出しています。

① 政治面 明治時代、大久保利通は遣欧使節団を派遣した際、ドイツのビスマルクの官僚制を学ぶべきものとして、今日の日本の国の元となる官僚制を築きました。明治以降の富国強兵策を推進した日本はドイツがこの意味で発展の起因となっております。


官僚制のもとはドイツにあります。(官僚制をチェックして行き過ぎを是正する装置がなく、官僚制の問題が今日に至っています。)

② 芸術面 音楽はバロック時代(1600-1750年)バッハ、古典派時代(1750-1900年)オーストリアのハイドン・モーツアルト、ベートーベン、楽劇のワーグナー(ザクセン王フリードリッヒ2世が17年かけてノイシュバンシュタイン城を創りワーグナーの楽劇の壁画でかざり、バイロイトには歌劇場をつくり今日もワーグナーが年一回上演され、数年間予約でうまっています。フリードリッヒ2世は精神病で後に退位)他が活躍しました。これは当時39~300もの領国に分かれ、寺院もふくめて、有力な楽団を擁していた社会背景もあったでしょう。今日、CDとして手軽に楽しめているのは当時の作曲者の苦労を思うと、あり難いことです。詩ではH・ハイネ(ローレライの作詞でも有名)、H・ヘッセが生と死をテーマとし、小説ではトーマス・マン(療養生活者の真剣に生死愛を探求する「魔の山」)、ゲーテ(悪魔に精神を売ってギリシャ神話のヘレンにも恋する「ファウスト」60年にわたり創作した)が真面目に人生と向き合うことを語っています。(尚、ドイツの領域は変転して現在に至っていますが、オーストリアについては中世はドイツの領域でした)

芸術遺産、とくにクラシック音楽が世界の人々を楽しませています。

③ ドイツと日本 以前から知っていたことですが、ベルツ他が明治時代初めに来日し、後の東大の医学部となる先駆をなした医学での貢献があった、カルテにドイツ語習慣があるのはそのためでしょうか。草津温泉もドイツのバーデンバーデンの温泉を日本にもと、ベルツが開発に関与したと記憶しています。1940年のヒトラーと松岡外相が握手した日独伊三国同盟は、にがい過去でした。ともに壊滅的な敗北におわりましたが、ともに勤勉さと真面目さと清潔さと地道な努力で立ち直りました。
 
どこか似ていると感じるドイツと日本ですが、ともに正念場の時を迎えているようです。

 現在債務過多をかかえるギリシャ他の国をかかえるEUを、当初の理想に向けてドイツに頑張ってほしいと思います。また東アジアでは、興隆するGDP1位の中国の背を見ながら、震災復興と超円高で苦しむわが国は、膨大な国債発行残高をかかえ産業空洞化するままに進むと危うく、今後10年20年先を見据えた、財政再建プラス日本再建ビジョンが必要とされています。ドイツのことを勉強してそう思いました。(2011.10.10 中川 昌弘)