2012年2月11日土曜日

[ギリシァ神話を学ぶ(1/3)]「アポロン」

少し、ギリシァ神話を勉強しました。3回にわけて記します。

 アポロン(英名アポロ)は大神ゼウスとレトの間にエーゲ海にうかぶ3km2のディロス島に生まれた双子の1人、芸術・予言・弓術・医療・牧畜・哲学の神様です。

 昔、昔のギリシァでは毎日、陽があがるころから陽が沈むまで太陽をアポロンがヘイバイトスの造った4輪馬車を駆動して引っ張っていると考えられていました。(双子のもう1人はアルテミス[英名ダイアナ]月を馬車で駆動していると考えられていました・狩猟の女神)アポロンはニュンペーのクリエメネーとの間にバエトーンという子がいました。バエトーンはアポロンの子ではないと人々にいわれたので、真偽を父アポロンに聞いた。「本当にわたしの子だ」とアポロン。「本当なら何でも聞いてくれますか?」とバエトーン。「それでは、太陽の運行の4輪馬車を貸してほしい」とバエトーン。その危険性故にアポロンは断りましたが、どうしても、バエトーンがいうことを聞かないので、あまりのひつこさに、しぶしぶアポロンは了解せざるをえませんでした。
ある日、4輪馬車のたずなを息子にゆだねました。喜んだバエトーンですが、馬車の制御が出来ず、蛇行、大地は、炎と化しました。大神ゼウスはやむなく、自身の得手の雷電をバエトーンに投げつけました。バエトーンは馬車から放り出され、炎の中に死んでいきました。バエトーンの妹のへーリアスたちは、兄の運命を悲しんで、河岸のポプラの木になりました。彼女らの涙は琥珀の球になりました。

 アプロディテ(英名ビーナス)はクロノスから生まれ、西風に吹かれてキプロス島に流れ着きました。アプロディテの子エロス(英語名キューピット)は相手に黄金の矢を射ると、恋こがれるようになり、鉛の矢を射ると、きらいにする力を持っていました。エロスはアポロンに黄金の矢を、ダプネに鉛の矢を射ました。アポロンはダプネに恋こがれるのでした。ダプネは逃げ切れず、月桂樹になってしまいました。アポロンは悲しみ、ダプネのことを思って月桂樹を冠としました。現在でも、スポーツの勝者に月桂冠があたえられているのはその名残です。

 アポロンはヒィアキントスという少年を愛しました。二人で円盤投げの遊びをしていたら、アポロンの投げた円盤がヒィアキントスの頭に当たってしまいました。そこから鮮血しヒィアキントスは死にましたが、倒れたところから真っ赤な花が咲きました。その花をヒァシンスというようになりましたとさ。

 アポロンは芸術の神として、世界のオペラの殿堂ミラノ・スカラ座の建物上部に4輪馬車の駆動姿が浮き彫りとなって今も勇姿を人々に魅せています。
 (参考図書 阿刀田 高「私のギリシャ神話」、トマス・ブルフィンチ 大久保博 訳「ギリシャ神話」上下)(2012.2.11 中川 昌弘)

2012年1月27日金曜日

[エッセー]「いのち を はぐくむ お食事」

先日、新聞に「100歳までサビない生き方」という本の宣伝が出ていました。その中に“「水」の飲みすぎはよくない“との一項がありました。さっそく大手の1-2FあるT書店に行き、店員に問い合わせしました。「しばらく待って下さい。」と端末を操作され、2Fの係員に携帯電話で調査依頼2Fになし、1Fまで探して頂いた。この間、5分。やっと手にとらせて頂いた。一目見て、買わざるをえなかった。(笑い)

 白澤卓二(順天堂大学大学院教授・医学博士)著。30-60歳の女性をターゲットとした本だった。水については、日々、ジュースやお茶などで摂っている程度でよいと書かれていた。(それまでの私の知識は、医学博士等の著書と雑学によって、食事の1時間前に、良質の水を飲む、朝起きて、肌温度のコップ一杯の水、お風呂に入ってコップ一杯、同様・・・)そのおりおりごとに判断したい。年齢とともに、水の飲み方も変わるだろう。こうだとの思い込みはさけたいと思いました。

 「100歳までサビない生き方」の一部を紹介しましょう。

 食事については、食材の色を注意して、からフルにとる。野菜をべースにミソ・しょうゆ・キムチなどの醗酵食品を摂る(肉・魚も必要)。朝食は必ず摂る。昼は20分、夜は30分かけて、良くかんで食べる。その他・・・・食べることに注意してインナーからビューティーをつくる。免疫力をつくるポイントは整腸であること、(いらない用済みのものを排出して、おなかの中をすっきりさせておく)等々101のポイントがわかりやすく述べられています。

 現在、注意深く摂っていますのは、良質のヨーグルト、キムチ、納豆、プルーン、ひじき、少量のナッツ類、酢のもの、鮭、じゃこ等一物全体食などで、ベースはカラフルな野菜。コーヒー・お茶(プーアール)もひんぱんに飲んでいます。

 前回レポートの多胡輝さんの本では「まごわやさしい」 「ま(マメ)」「ご(ごま)」「わ(わかめ)」「や(野菜)」「さ(魚)」「し(しいたけ)」「い(いも)」がよいと紹介されていました。

 食が人間を創る、究極は整腸が免疫力をつくるわけでして、よく考えて日々の食材を選び、よくかんでいただきたいと思っています。そしたのちに、生かされるいのちを精一杯生きていきたいものと願っています (2012.1.27 中川 昌弘)

2012年1月6日金曜日

[エッセー]笑いの効用

かって、「笑わない人だ」といわれたことがある。またある時は、「笑う門には福来る」の色紙を贈られたことがある。小生に「笑い」が少ないことを示しているようだ。

 昨年末、多胡輝著「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」を読んで「笑い」の脳へのよい影響を知った。この本は5章からなるが、第1章に「ボケ防止に笑いはつきもの」と多胡氏の強い「笑い」へのメッセージを汲み取ることが出来る。

 ダグラス・フェアバンクスは「10時までに顔に微笑をたやすな。そうすれば微笑みは1日中、顔から消えないでいるだろう」といっている。

 触発されて、朝、寝床で昨日のことを思い浮かべ、笑いのネタを探すようにしている。この時、頭の中がくるくると回転しているのがわかる。「笑い」のネタが見つかったら、誰かに言ってみる。相手の「笑い」をとれれば、その時自分も「笑っている」。

もう何十年も前に、このことにきづいていたら、多分、もっと出世していたろう。

 ボケ防止の決定打は「笑い」であると多胡さんの意見に同感します。

今の日本を明るくするのも「笑い」だ と思います。

明治時代はじめの東北の日本人は、暮らしぶりは素朴だが、「みな笑って生活していた」とイギリスの女流探検家ルースさんが記録に残しているとのことです。

「笑い」の根源は「足るを知る」ことかもしれません。(2012.1.6 中川 昌弘)

2011年12月6日火曜日

[Let’s Watch  Movies]「家族の庭」マイク・リー監督(2010年イギリス映画)

映画は、定年まじかの主人公トム(地質学者)とジェリー(心理カウンセラー)が平和な家庭での日常や、市民菜園での土いじりと作物のできる喜びを春夏秋冬のさままな出来事を演じながら、主人公にかかわる1人で生活するジェリーの同僚のメアリーや、孤独な友や、トムの兄や1人息子がからむ、イギリスでの中流の普通の人生を、切り取ってみせてくれる映画です。

 夫婦は幸せをどのようにしてつむぐのか、自然な形で見せてくれるし、一人で生きるのがどんなにさびしいことかも、主人公を取り巻く周りの人々が演じてくれる。

 この映画を観て、「人」という字が人が人を互いに支えあうことにあるのだと、あらためて考えさせてc@hくれました。

 またこの映画の主人公たちのように健全な夫婦になるために、何が自分にかけているのかも、考えさせてくれる映画でもありました。

 出演者はシチュエーションを与えられ、会話を紡ぎながら、脚本づくりがなされるというマイク・リー監督の独特の手法が、美しい映画を作り出しています。

 以上は私の観た感想にすぎず、観る人がどのようにみるか、それぞれの人に、その解釈はゆだねられています。テアトル梅田で公開中。(☆☆☆☆)(2011.12.6中川 昌弘)

2011年11月30日水曜日

[エッセー]「近くて近い国、韓国を旅して」

過日、韓国ソウルへ団体旅行しました。近くて近い国、韓国の一端を知ることができました。

 ソウルの繁華街“明洞(ミョンドン)”を歩けば、大阪の繁華街を歩いているのと錯覚しましたし、南大門(ナンデモン)周辺を歩けば、大阪の鶴橋駅前の商店街を巨大にしたように感じましたし、東大門(トンデモン)の繊維品商店街では、大阪本町の繊維街を巨大にしたようだと思いました。
むしろ、日本よりパワフルなエネルギーが溢れているように思いました。

 ここは、親戚の国だと親近感をいだきました。

TVではKARAが、NHKTV「イ・サン」BS歴史ドラマ「トンイ」が親近感を助長しているようです。BSプレミアムでトンイ役の女優k笑顔をみて、驚きと喜びを感じました。

 残念な過去もありましたが、2000年前頃以降、多くの人々が半島から列島へ技術をもって移住してきたはずですから、ルーツを共有するところがあるようです。

 蓮池薫さん著「半島へふたたび」によれば、ソウルには、巨大な書店もあるとのことですし、TVによれば静かな町並みも、グルメなお店もあるようですので、自分達で地下鉄に乗れるように最低限の言葉を覚えて(妻は私のことをソンセンニン=先生=と呼んでいます。)「韓国へふたたび」訪れることを楽しみとしています。「近くて近い国」が名実ともに友好関係と絆が深まることを願っています。(2011.11.30 中川 昌弘)

2011年11月13日日曜日

[エッセー]「千里の道」

この4日間、妻と団体旅行として台北周辺旅行をしました。
台湾は3度目の、訪問でした。

① 食は台湾にあり ツアーで用意された店へ行きましたが、全てといってよいほど、海鮮料理をむ中心としておいしかったです。(台湾人は食通ですね。外食多いようです。)
② 故宮博物館はやはり逸品をおいて素晴らしい。 ただし、中国・日本の修学旅行生がきていてごった返していた。喧騒の中、有難い仏様に手を合わしました。(その他、総統府の衛兵交代式、思い出のつまった龍山寺、十分、九分、淡水・・・、)
③ 人との出会いを楽しんだ。 名前もわからぬが、数日すると何とはなしには解る。ふとした偶然の出会いが、楽しかった。

 人生を極めるに「万里の道、万巻の書」といわれる。ようやく千里の道、千巻の書といったところでしょうか。次なる非日常を求めて、日頃身近に、何くれとなく世話になる妻と旅に出たいと思っている。(2011.11.12 中川 昌弘)

2011年11月3日木曜日

[エッセー]関西大学ミュージアム講座「吹田の文化遺産」を受講して

 2011年10月3回シリーズで関西大学大阪都市遺産研究センターの諸先生3人の方から吹田の文化遺産―歴史・建物・祭り―をお聞きした。次のように、聞き取り間違いや独断と偏見もあるやもしれませんが、参考情報として下されば幸いです。

① 歴史 実に明快な4区分はつぎのとり。
(A)聖武天皇の後期難波の宮の建立の際、都造営プロジェクトの一環として行基による治水、垂水の布施や(医療・救援施設)が造られたこと。

(B)中世に下り、三国川が整備され、京都とむすばれ京都貴族のウォーターフロントリゾートとなったこと。

(C)江戸時代になると、京都・大阪の中間地帯として川を利用した交通の要衝となったこと。特産品として、小粒のすいたくわいが朝廷にも献上されたこと。

(D)近代にはいり、鉄道が通り貨物車仕分け操作上として日本でも有数の規模て、吹田の良水ではビール工場が出来たこと。この2つが吹田の発展を支えた。後は千里ニュータウンと万博の開催で名実ともに吹田が近代都市となった。

② 建物 明治に入ってドイツの工場を模しれんが作りのビール工場たことができたこと。大阪のベットタウンとして私鉄が千里山まで開通し、往路は人々を大阪へ、昼間の車両の有効利用を考えて、関大が大阪市内から吹田に移動してきたこと。戦後は、千里山に公団による日本発トイレ・風呂付の集合住宅ができたこと。すでに50年たてかえが計画されている。

③ 祭り 都内の主だった神社の祭りが調査されている。伊勢神宮をキーとして、江坂神社・泉殿宮・吉部神社でそれぞれ工夫を凝らした祭りが継続されている。

以上は、小学生むけに副読本として学校に配布され各図書館にもDVDCDとして保存されている。2011年1月15日NPO SELFが 「自然と環境を考えると」としてシンポジゥムがメイシアターで行われ、市民文化部の一員として参加したが、SELFとして世に問うほど、「自然と環境」の研究に成熟しておらず、東北大震災でその情緒的営みも、あっけなくふっとんでしまったと、先輩諸兄を差し置いて自戒している。

 本講座は、さすが大学の専門研究員が足と知恵で練りこまれたてつくらたもので十分、次代に納得できるものをあたえてくれたと思う。
(2011.11.3 中川 昌弘)