2009年6月2日火曜日

吉川幸次郎著「漢文の話」=漢文は近代まで95%、白話(口語)文は5%、現在はその逆(中国でのおはなし)=

 自家の書庫から、ちくま文庫の吉川幸次郎(1904-1980 京大教授)著「漢文の話」を取り出して毎日少しづつ読み進め、ようやく読了しました。中国では、漢文は近代まで95%、白話(口語)文は5%、現在はその逆の口語文95%、漢文5%とのことです。

 漢文とは何かを原文を中国の歴史から「史記」「資治通鑑」等サンプリングし解説し、伊藤仁斎等の日本人の漢文までを論評している。その中より司馬遷「史記」(人物ごとの編集で、年代別ではない)の「呂后本紀」から恐ろしい話を要約して記してみましょう。

 紀元前202年、漢の高祖(劉邦)が天下をとり、安泰となると戚姫を妾とした。本妻の呂后には孝恵皇太子がいた。高祖は戚姫の間に如意がさずかったが、戚姫は孝恵皇太子を排し、如意を替わりに皇太子とするよう、ひつこく高祖に迫っていた。とりあえす、趙王としたが、高祖は崩御してしまった。皇帝に孝恵皇太子がついたが、呂太后はここぞとばかり、戚姫と趙王に仕返しをしていく。詳細は省きますが、すさまじい権力者の業によって、呂太后は戚姫と趙王を滅ぼし、この一部始終を知った息子の孝恵帝も政務をみず、自暴自棄となり、病を得たということでした。

 中国の歴史家は時の王朝から命じられ、前王朝の時代をそれぞれ書き残し、24紀の漢文で書かれた歴史書をつくっています。。今後、先に滅んだ清が書かれると第25紀となります。清の歴史書は口語体となるのでしょうか。司馬遼太郎さんのペンネイムが司馬遷にはるかに及ばないとのことでつくられた由です。司馬遼太郎さんもなくなられてからも、日本人の心に生きていますが、司馬遷も中国人のこころの中に2000年も生き続けているのでしょうが、中国文明とは、およそ3500年前の漢字の発明一つとって見ても、すごいものだと思います。日本は漢字の恩恵を受けておよそ1500年です。感謝したいですね。公害防止技術等日本の先進技術部門で少しはお返しせねばならないのではないでしょうか。(WELL BE)

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