2009年5月26日火曜日

伊藤亜人著「文化人類学で読む 日本の民俗社会」=文明の周縁系に位置した日本=

 琉球大学教授(東京大学名誉教授)伊藤亜人氏の説を拝聴しょう。

 日本が地理的に東アジアの文明圏の周縁に位置したことで、漢文明を受け入れても体系的でなく、断片的であった。
仏教にしても民衆に何処まで体系的に受け入れられていたか疑問。論理において説くよりも仏像で、禅宗のように座ることによって悟ることが受け入れられ、(韓国では経典、僧侶の著作が大きな位置を占めている反面、物的なことは重視されていない)華道、茶道あるいは庭園などの物的表象や実践を介する事によって受け入れられてきた。

 日本の民俗文化とは、身の回りの具体的な物とのかかわりにおいて生活像を描く物であり、そのよりどころは抽象的な観念の体系でなく、即物的な土着の民俗信仰である。時に霊的・精神的にも交流する包括的で連続的な世界観である。ものに対する細やかな感性と知識を重視し、あるいは生活に即した経験や知識を蓄積しながら絶えず、改善と洗練を目指すという生活姿勢に特徴がある。

 江戸時代の荷田春満は「唐土の文明道理を説くに対して、日本は身の回りのものに託して表現する」と指摘した。日本人にとって大事なのは論理の観念でなく、身の回りの具体的な“もの”に対する感性が大切とされる。ものにも何か主体があるとされる「もののあわれ」ということとなる。
物や場から脱却できない未開な状態とみなすことができる。物や場からはなれたことを抽象的に言うと「例えばどういうことか」と具体的にしめすことが求められる。

 伊藤教授は「日本は東アジア文明圏の周縁部で、中国文明を断続的に受け入れたが、根は土俗社会で、ものと場との関連で考えてきた民族で、論理性が論議されてこなかった。明治維新以来、一挙に近代化したが、精神の根底部分はそのままであった。周縁部のため、この点が看過され、先進国に伍している。日本人はこのことを忘れずに、分を持って貢献していかねばならない」と。思えば、サラリーマン時代を通じても、論理のある人が出世してきたように思う。多くはその人達に右にならえであったようである。論理的思考をはぐくむのは一つは読書であろう。また人と議論をすることであろう。世界が小さくなった。日本の位置はアジアの辺縁部に属するが、論理性を高めて文明先進国に対していかねばならないと思う。(WELL BE)

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