2008年6月22日日曜日

小説 -道元禅師求法の人生-(3/3)

3. 正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)

WB 正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を書いた経緯はいかがでしたか?

教授 道元は生涯を通じて、お釈迦様の後継者として、真の仏法を残そうとしたのです。若い頃から著述を重ね、40歳ころから正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)として形にしていかれます。100話を構想したといわれますが、実際は95話となっています。これも後の世の人がまとめることになります。僧としての、心がけを食べ物の用意から、小用大用の始末から、座禅の組み方から、日常生活も仏道そのものと説きます。清冽な一生にただただ、頭が下がります。文章はかなり難解で哲学的です。

WB 内容は難しいようですね。

教授 哲学書ともいえますでしょう。難しいけれども魅力があるのですね。研究は絶えることがありません。

WB ひとことでいいますとどうなりますか?

教授 釈迦が悟りを開いたその姿をそのまま引き継ごうというものです。釈迦が荒行苦行しても悟ることが出来ず、難行苦行では駄目だと、菩提樹の下で座禅を組んで悟りに至りますが、それを続けよう、ということです。悟るために坐るのではなく、ただ坐り無心となれば、悟っている、つまり個々人がもっている本来の自分=仏=の世界を坐ることであらわそうということですね。「仏道をならうといふは、自己をならふなり。自己をならふというは自己を忘るるなり。自己を忘れるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり。」

WB むつかしいですね。

教授 ただ座り続けることです。習禅のためでなく、参禅するのです。何も考えずに。雑念が湧いたら、湧くにまかせ、その内に消えて波長の長い、アルファー波やシーター波の流れる、つまり大脳=考えること、小脳=運動すること、これを静止し、脳幹のみで生きる状態となることでしょうか。その存在は日、月、星、空、山、川、海・・・に証明してもらうこと、となりますか。

WB ・・・。道元禅師をどう思われますか?

教授 一生を仏道の正法が眼に蔵している根本を伝えようとされ、過去1000年日本に生まれた偉人の中で、突出した方だと思っています。「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」が800年後にも読まれているのがその証しです。そして忘れてならないのは、柔らかい心を持った詩人だったということです。「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」と鎌倉で求めに応じて歌っています。55歳、病んで京都の在家信者宅で「今まで、個の跳梁(ちょうりょう)をことごとく押さえ、仏の道を究め、生きながら黄泉(よみ)に落ちていく(意訳)」の言葉を残し次の世界に旅立たれた。超純な求法の一生を締めくくられました。弟子の2代目の懐奘禅師は80歳の死の直前まで、亡き道元禅師に師事、道元禅師の命日の8月28日に死にたいとして3-4月の寿命と医師に言われながら8月20日を過ぎてまでがんばられました。その後の4代目瑩(けい)山禅師も総持寺に本拠を置き活躍され、有能の後進の人を集めたと云えるでしょう。武士や農民の支持を得ました。江戸時代には良寛和尚も道元禅師をお慕いしました。今日の曹洞宗は、1万5千ケ寺を有するに至っています。

WB 有難うございました。壮絶故に魅力的です。人生とは、かくありたいものですね。

教授 人生とは若い時は希望と使命感に燃えた行き方があり、道元は日本で悩んで宋にわたり、如浄禅師に会い、伝えるべきものを持ち帰ります。中年には中年の生き方があり、出会いがあり、よき弟子懐奘に会い、波多野義重に出会って、永平寺という法統の場所を得、熟年には熟年の生き方があり、「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」を世に残されて人生を完成させます。夢を持ち、その実現に向かい、苦闘し、その実りを晩年に得て、過酷な修行のためか55歳で次の世界にいき、後の世の人に指針を残す人生を歩まれました。道元を学ぶ場合は、表現が難しいので細部にこだわらず、何を云わんとされたか、大きな流れを掴むことです。

WB 瞑想するやり方を半跏趺坐や、ベンチに座ったりするやり方をし、場所も気に入りの緑陰の中とか、ベランダとか室内とか電車の中とか、時と場合により変えてリラックスすることを心がけるのをどう思われますか?

教授 いろんな場所でいろんなやり方でなさるのはよろしいのではないでしょうか。下腹に意識をおき、眼は前方下部をみた方がいいでしょう。そして”かど”のとれた人間になることをめざしてください。道元禅師の教えにあるように洗面からトイレ、食事をすることから全てに心をこめて、その時その時を生きていくとよいと思います。禅は東へ、インドから中国を経て日本に伝わり、日本の風土に溶け込んできました。現代では、日本からアメリカへ渡り、広大でゆるやかな禅が広がっていっているようです。禅に興味を持つ私たちは、道元の精神的な支えの中にいるという流れを感じて、自分にふさわしい禅はどういうものかを考えて工夫・実践していけばいかがでしょうか。

 WELL BE君は「自分の納得するスタイルの禅を生活の様式に取り入れて出来るだけ細部に心をそそいで、自分なりの”かど”のとれた生き方を創りあげよう」と思った。謝意教授にお礼をいい、上空の太陽が希望に満ちているように感じて、大学を後にしました。 (END)

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