2008年6月22日日曜日

達磨会行われる

 読書会をG氏、U氏とで6年ほど前より回り持ちでおこなっています。6月22日、豊津の喫茶店で私の担当として「道元・禅・禅の言葉」をテーマとして実施されました。達磨会とは、読書会のネーミングです。

「何故、道元・・・をとりあげたのですか」
私が30歳代の前半の頃、40歳代前半の上司から
「君、道元は“只管打座(しかんたざ)”といっているんだよ」
「・・・・」
「つまり、座ることが全てなのだよ。」
「・・・・」

 以上の問答がありましたが、その時はさっぱりわかりませんでした。

 その後、30何年にして勉強しました。それでBLOGに掲載の「小説」を作りました。「何故、小説か」ですって?レポートとして断定するには、自信がないからです。

 メンバーより「自己より世界を見るのでなく、世界から自己を見る。(世界から見ていれば”秋葉原”の事件は起こらない)」「座禅のおり呼吸を意識してあげる」「自己主張すると、”不満”が残る。自己防衛すると、”不安”が残る。第3の自由自在な生き方をすればどうでしょう」「道元は心身脱落、心身一如、修証一如と禅を実践することを説いている。」「5分でも10分でもそれ以上でも、“無”に到達するまで気楽にやればいい。座禅中“無”となって、座禅後、“普通”に戻れば、また翌日、座禅で“無”になればよい。」

 人によりいろいろな座り方あります。世界から自分を見て、第3の生き方を目指す限り、大過なく生きられそうです。(WELL BE)

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