今からおよそ3500年前、中国で文字が生まれた。殷という国が中国東部(山東省・山西省)にあった。殷王が、ことを起す際に占い、結果を獣や亀の甲羅に文字(甲骨)を彫り付けた。甲骨文字から、文字が作り出されていった。文字がなかったころはヒモを結んでお互いに示し忘れないようにした結縄の世(「周易」他にみえる)であったという。文字は権力の支配の道具として生まれた。「人」、「子」、「女」は形をなぞらえて作る象形文字として生まれたが、3300年前ころ動態漢字として、女が子どもをあやして、すきすきする様を「女+子」とし、「好き」、人が木陰で休むのを「人+木」で「休む」としていった。殷第27代 武乙(ブオツ)のころには2~3000の記号が揃って、一連の事柄をメモできる「文字」の体系ができあがった。(以上*)
文字は残虐な支配者の記録でもあった。例えば「懸」という字は「首」を逆さにして糸で吊るしてぶらさげるという字源です。心をとれば「縣」として○○縣として境を表す字となります。20世紀前半まで、中国では「字を書いた紙」を鎮魂のため燃やす「惜字炉」がありました。漢字には魂が宿っていると信じられてきました。(以上**)中国の古いことわざに「文字あらわれて鬼(人魂)すすりなく」(列氏という書にみえる)とありました。(以上*)
日本には紀元前後中国から漢字が伝えられましたが、当時は言霊の世界で、言葉にして言うことに霊がこもるという考えがあり、以心伝心の世界に容易に文字が踏み込みませんでした。6世紀、仏教が百済から招来され聖徳太子の時代以降、漢字が採用されるようになってきました。支配者として道具が必要になったのでしょう。500年間、漢字を受け入れるのに躊躇してきた国民性にも思いを馳せてみるのも、興味深いことです。(以上**)
中国の古い歴史をことわざでたどろうと、先学の書籍を勉強して、紹介しながら断続的に掲載していきます。ご笑覧くだされば幸いです。(WELL BE)
(*)朝日文庫 中国名言集(上)=藤堂明保=より一部または大要を引用 、(**)NHK日中二千年漢字のつきあい=加藤 徹=、より一部または大要を引用)
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