2009年5月5日火曜日

河田悌一著「中国を見つめて」(1998年研文出版)を読んで=章炳麟の考え方=

 吹田市立図書館で借りて読みました。長年にわたる新聞他のエッセー集でした。中国への柔らかで、温かい目が全エッセーを貫いています。飛ばし読みせず、精読しました。その価値がラストの「東洋と西洋のはざまで―西欧近代文明と夏目漱石そして章炳麟―」で発揮されました。

 夏目漱石は日本の明治以降の開国は、江戸時代までの自発的なものでなく、外発的なものであったとしていたとのことです。

 章炳麟(1869-1936)は中国の辛亥革命(1911)の3傑(孫文、黄興と章炳麟)の一人で、画期的と思われる次のような持論を発信していた。①進化論は全てに適用できず、陰陽あるがごとく、経済発展では、適者生存した優位なもののみが残ると同時に、劣者はますます劣者となり、富も増えるが、反対の汚職等の醜いことも増えると。百年前にいったことが、前者は現日本で、後者は現中国で実感できそうである。中国の思想家は、考えを表明するだけでなく、政治行動に移すという“士大夫”の伝統を持つという。政治体制では、共産党は中庸をめざす中国には適さず、いずれは中庸に向かうだろうとも予測している。また省等の自治の範囲の大きい連邦制を唱導した。
 章炳麟は日本について興味深い辛らつな指摘をした。アジアでは文明は中国とインドのみあり、日本は固有の文化もなく、ただ模倣のみであった。西欧人を手紙の発信人に例えれば、日本人は手紙を受け取る人で、日本の学者・学生は、郵便配達人に例えられる。即ち、西欧の技術ものの受け売りで中国に伝えたということ。そう言われると当たっている。小生思うに、章炳麟が現在に生きていれば、一旦は第2次世界戦争に負けて60余年後、日本の繁栄をどのように説明するだろうか?ということです。中華思想での自己本位の断言だということでしょう。しかし、この大づかみはあたらずともいえど、遠からずのところあり、詳細を見落としているといえそうです。その詳細は何かを勉強して行きたいと思っています。(日本人では芥川龍之介が面識を持っていました)

 顧炎武(1613-1630?)は「国家の興亡に匹夫も責あり」といった。300年を有にたった時点で、NYでの靴磨きの中国人が「天安門では大変だったね」との返答に「匹夫も責あり」と言ってテレたようであった、と。

 日本人固有の言葉で他国人に語れる過去の偉人の言葉があるだろうか、と河田悌一さんが思った由です。
王敏(ワンミン)さんが「宮沢賢治のアメニモマケズ、カゼニモマケズ・・・」がありますよ、といってくれそうですね。

 尚、河田悌一さんは現在、関西大学学長に就任されています。(WELL BE)

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