2008年9月27日土曜日

映画「おくりびと」を観て

 監督滝川洋二郎、主演本木雅弘、広末涼子、山崎努 助演 笹野高史他 映画「おくりびと」を観ました。良い映画でした。納棺師の物語です。

 良いところは、「生」と「死」を考えることにあります。様々な人の「死」があります。観るものは生きている俳優の「死」という作り事と思って観ます。対極にある「生」は「食べる」ことにあり、そのシーンは多く出てきます。何処まで行っても観る人は「生」の立場です。

 音楽は久石 譲、チェロの音色が何ともいえない情感を誘います。

 3人の男優が魅せます。本木さんの真面目な演技が締めます。納棺師としての立ち居振る舞いは、歌舞伎の役者の所作に似ていました。山崎さんの存在感は大きくどっしりして映画全体をまとめています。笹野さんの、脇役として陽性な役どころをこなします。「死」とは次の世界への「門」とは言いえて妙です。

 監督の滝川さんはややもすれば暗いテーマを随所にユーモアを織り込んで、明るくテンポ良く話を進めて行きます。モントリオール映画祭グランプリおめでとうございました。映画館は月曜にかかわらず一杯でした。(WELL BE妻と観る)

2008年9月24日水曜日

映画「ノーカントリー」を観る

 千里中央セルシーシアターで先日、コーエン兄弟監督「ノーカントリー」を観ました。

 映画は最初の数分間で観客の心を掴まねばならないと、クロサワ監督が語っていた。その点も合格、アメリカの砂漠に死体がごろごろ、車の残骸も数台。観るものはこれは一体ナンなのかと考える。
 また私は言う、「よい映画ってのは、観終わって、この映画は何を言いたいのかと考えさせる。」と。その点も合格。狩にいって冒頭のシーンにであって、大金が残っていた。これをもって逃げる男。これを追う男たち。悪を懲らすシェリフもまた追う男を追う。
 この間、死体がごろごろできる。「生」と「死」を語っているのか、アメリカのひどい状態を語っているのか"NO COUNTRT FOR OLD MEN"という原題の意味は何なのか?興味は尽きない。今ひとつ、妻のいうには、アカデミー賞等映画賞を何らかの形で取っていると見ごたえあるはずと。もう一つは誰が監督かも観るポイントだと。その点、「ノーカントリー」は本年度アカデミー作品賞他4冠とっていた。

 よい映画はもう一度観たい映画のことでもある。この映画を機会があればもう一度観てみたいと思っています。(WELL BE)

2008年9月18日木曜日

父が娘に語る「ヨーロッパ」(5/5)

下図は2007年現在のEU加盟国図だ。右上は海外領土だ。オーストリア、ベルギー、キプロス(2004年)、チェコ(2004年)、デンマーク、エストニア(2004年)、ドイツ、ギリシャ、フィンランド、フランス、ブルガリア(2007年)、ハンガリー(2004年)、アイルランド、イタリア、ラトビア(2004年)、リトアニア(2004年)、ルーマニア(2007年)、ルクセンブルク、マルタ(2004年)、ポーランド(2004年)、ポルトガル、スロバキア(2004年)、スロベニア(2004年)、スペイン、スウェーデン、オランダ、英国の27ケ国だ。主な拠点は、ブリュッセル(ベルギー)[欧州委員会=定員27名 任期5年 他]、ストラスブール(フランス アルザス・ロレーヌ地方にありドイツとの国境に近くEUの象徴的な場所といえる)[欧州議会=定員784名 任期5年 他]、ルクセンブルク[欧州司法裁判所=判事27名 任期6年 他]


最後に地球のパイは一つ、どこかの国がプラスになればマイナスの国がでる。主な要因は2つある。1つは資源、あるところと、ないところがある。これはどうしょうもない。2つめは、総合知力だ。自然や人間社会を学ぶことができるものが勝つと思っている。ヨーロッパも過去に学び、機軸を中欧のフランス・ドイツにおいて、各国が喧々諤々議論をしてきた。ヨーロッパの総合知力がEUを生んだと思っている。

聡子も子育てが大変だが、いろいろな方面に興味を広げ知識を深めていって欲しいと思う。お父さんもがんばるからね。
[断りのない画像はHP辞典より拝借した]            (終)  

父が娘に語る「ヨーロッパ」(4/5)

EU

 第2次世界大戦後、ジャン・モネーがフランスとドイツ両国にまたがる地域の鉄鋼と石炭を有効に活用しょうとして、経済の共同管理を発案し、具体化に向かう。それまでにあったベネルックスのオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの関税同盟とフランス、ドイツ、イタリアなどの3ケ国とで1958年ローマ条約が結ばれた。聡子もローマ条約というのは学校で習わなかったかな。EECヨーロッパ経済連合体の発足だよ。まずは関税同盟から次に人の往来の自由をめざすものだった。1973年にはイギリス、アイルランド、デンマークが加わった。1979年ギリシャが加わり、1989年スペインとポルトガルが加わって10ケ国となる。1991年聡子もきいたことがあるだろう、オランダの保養地マーストリヒトでEU首脳会議が開かれEU設立条約に15ケ国が調印し、1993年正式にEUが発足し、経済、安全保障、司法からなる統合がはかられる。1995年にはスエーデン、フィンランド、オーストリアが加わりEUヨーロッパ連合となる。1999年、このうちの11ケ国で単一通貨ユーロが導入された。これは大きな前進だ。2004年には、東に広がり、ポーランド、ハンガリー、チェッコ共和国、バルト諸国が加わつた。そして現在27ケ国となっている。域内移住が自由となった。国境を越える物流のトラックも、そのまま走り去ることができるようになった。建築家も芸術家もよその国で同じ権利を保障されるようになったのは画期的なことだ。

 冒頭にいったが、1988年訪欧物流使節団に参加してベルギーのブリュッセルを訪れた。欧州共同体スタートにむけて、物流がどうなるかという視点と世界における欧州がどうなるかとの観点もあった。当時、心配していたのが域内が自由化され、スペイン等の安い労働力がフランス、ドイツの物流労働者の職を奪わないかとのことだった。現在も同じ悩みはあるようだ。東ドイツにも行ったが、小さな車が目立ったよ。西から東、東から西に入るのは大変なことだった。ベルリンの壁も見てきた。奇妙な落書きがあるのが印象的だったよ。EUに向かうエネルギーがベルリンの壁をとりはらった遠因だ。また、ソビエト連邦の崩壊も時代が要請したペレストロイカによるが、EUへの動きがそうさせたともいえるのではないか。域内を自由に往来できるのは画期的なことたが、EUという経済的にも人口的にもアメリカを凌ぐ一つのパワーとなって、農業の保護のため関税自由化に反対するなど外の世界へ意見発信している。ソビエト連邦はイデオロギーでくくった連邦国家だった。それが内部矛盾を生じ、解体した。EUは、ばらばらな国々が経済、司法などを軸にまとまってきた。ここに軍事、行政を統合しょうとして大国のエゴ、つまり国の大小で票数を設定する等が出始めている。

 不戦のヨーロッパ、聡子はどう思うかな。1ついえることは長いヨーロッパ内部の抗争、戦争がこの共同体で多分なくなることだろう。これはすばらしいことだ。どれほど、国が違うということで、戦争をし続けてきたことだろうか。今後に望まれることは各国の経済等のせめぎあいは残しながらも現在試行中の広域リーダーの選出によるギクシャクしたエゴをなくした、中央政府と各国(地方)の調和のとれた連邦経営を望みたいところだ。(続く)

2008年9月17日水曜日

父が娘に語る「ヨーロッパ」(3/5)

ドイツ


1871年普仏戦争で、プロシャがフランスに勝ち、鉄鉱石や石炭の豊富なフランスとドイツの国境に位置するアルザス=ロレーヌ地方を自国領土として「ドイツ帝国」成立を宣言した。この地域はその後、仏独の確執の地域となり、戦争のたび領有が変わる。ドイツにはその後、ノイシュバンシュタイン城を作ったバイエルン公ルードヴィヒ2世の狂気があった。ワーグナーに魅せられて夢の空想の世界の城を1886年に創った。現在では有力なドイツ観光ルートとなっている。一見の城だと思うよ。是非、訪問していただきたい。では、何故実用的でないものを作ることが認められたのか?ミュンヘンのビアホールに先に言及したが物流使節団の時にいった。知らない同士が肩を組んで大合唱していく。こんなところにドイツの農村的なまとまりが感ぜられる。裏返せば、ヒトラーのような狂気にもだまって受け止めて従って行くところがあると思っている。ルードヴィヒ2世は、ノイシュバンシュタイン城建設の後、精神病として失脚させられている。

イギリス

イギリスはインドを植民地して、アヘンを生産し、清に売り、清がこれを拒否することでアヘン戦争が起こる。イギリスは戦争に勝つ。中国の科挙制度は598年から1905年まで続いたが、この弊害が過去のことをよく知ることで権益を得た階級による中華思想を生み出し、清は軍事的に強力になった西の世界を知らなかったため、イギリスに破れ、香港を割譲する。一方の日本は、明治の初めに100人に近い有能な人々による使節団をイギリス他ヨーロッパに派遣して先進文明を学んだのはその後の明治日本づくりに大いに役立ったのだった。立憲君主国のため、日本の皇室はイギリスの大学に留学して帝王学を学んでいる。イギリスはこの500年対外戦争に負けていない。堅実な国である。しかし、食事は種類少なくおいしくないのは風土と国民性からだろうか。

世界大戦

1914年、オーストリア皇太子の暗殺で始まった第1次世界大戦では、ドイツとハプスブルグ家のオーストリアがフランス、イギリスと戦う。日本は、日英同盟を結んでいることによってドイツに参戦、海南島を占領し、漁夫の利を得る。やがてアメリカが加わって、ドイツは敗れる。
 ドイツは敗戦後の莫大な賠償金が支払えず、各国の猶予をとりながら次第に、ナチスが入り込む余地を作ってしまう。国民は現状の小市民的平和に眼を向けて、ややこしいことは耳を閉じて通り過ぎ、聞こえのよい言葉のみを聞いてゆく。一か八かのヒットラーに従い、ポーランドに侵攻し、第2次世界大戦に突入してしまう。ロシアでは1914年、帝政が滅び共産党が国を継ぐ。ポーランドの一部割譲の密約を結んで、ドイツと不可侵条約を結ぶ。一方では。ヒットラーには理にかなうビジョンもなく、ドイツ民族が優秀であるというなんの根拠もない考え方で狂信的に戦争を推し進めていく。一旦結んだ条約も、都合によって解約してロシアに侵入する。しかし、地力の差というか結局1945年、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦の側が戦争に勝つ。ヨーロッパの戦後を2分したのは、イデオロギーの違いの自由陣営とソビエト連邦だ。長い間、冷戦が続いたが、EU結成の動きやソ連のゴルバチョフのペレストロイカにも影響されて、1989年ベルリンの壁がとり除かれ東西ドイツは統合される。1992年には、ソビエト連邦もロシア・ウクライナ・ベラルーシ・リトアニア・グルジア他各民族ごとに解体される。(WELL BE To Be Continued)

2008年9月16日火曜日

父が娘に語る「ヨーロッパ」(2/5)

グローバル化とワリをくう人々と国

 ルネサンスはイタリアからフランス・ドイツへ向かっていく。この時代の大きな出来事は、11世紀ごろ中国で発明されてイスラム経由でヨーロッパに入ってきた、羅針盤だ。航海術のレベルアップとなり、船は多くの人で漕ぐガレー船だった。コロンブスによるアメリカ発見、バスコ・ダ・ガマによる喜望峰周りのインドへの到達によるグローバル化の第一歩が記される。マゼランは世界一周を果たす。グローバル化は16世紀からはじまっている。タバコ、じゃがいも、トマトがアメリカからヨーロッパに渡る。東洋の香料=胡椒がヨーロッパにもたらされる。胡椒は肉の保存に必要だった。遠洋航海による貿易で富を蓄積した、スペイン、ポルトガル、次いでオランダが隆盛してくる。イギリスでは、グローバル化の後の食卓にはインド方面からの紅茶、アメリカからの砂糖が輸入された。

 聡子、これらの生産地は植民地化していくのだよ。アメリカの労働力はアフリカから奴隷として提供されたのだよ。一つの国が、楽しい食卓やティーパーティーを囲むと、他方で、安い労働を提供してこれを満たしていく構図が出来る。英米合作映画「おいしいコーヒーの真実」(2006年)によると現在のコーヒーも一杯330円のコーヒーとすればエチオピア等の農民にわたるお金は3-9円、生活し教育を子供にするためには2倍のお金がいるといっている。世界の15歳以上の非識字者9億人15%、後発途上国では60%の人が字が読めない。無知な人々の搾取の上においしいコーヒーが飲める現実があるという構図だよ。16世紀から20世紀はそのようなヨーロッパ先進国の住民の満足のために他方が搾取される歴史といってそう誤りでない。

 綿花をインドから安く輸入して、少ない人手で織物を織って付加価値を高めて輸出して利益をあげる、そのために紡績機械が必要となる、人や物の移動手段も必要となって蒸気機関車の発明といった産業革命もその延長線上に考えられるのだよ。また今のアフリカ問題も奴隷売買の行われていたころからのワリをくっていることの延長線上にあるといえる。1500-2000万人という、黒人労働力がアメリカに移動して、農産物を作るための過酷な労働を強いられ、アフリカでは金ダイヤモンドの産出にも駆り出され、白人はよい上澄みのところをとってきたと思うよ。アフリカの低迷は今に続いている。16世紀以降ヨーロッパ内部でも経済的な覇権をアジア・アメリカ・アフリカに植民地を作る事によって競い合ってきた。オランダ、スペインが新航路開拓によって新世界が発見されて、16世紀半ばから興隆する。またイギリスとフランスは君主制をひき10世紀以降、たびたび戦ってきた。100年戦争というのもあった。イギリスの方が優勢で、ヨーロッパ大陸の今のフランスの領地を一部得ていた。

グーテンベルクの活版印刷機の発明

 15世紀の半ば、ドイツ出身のグーテンベルグは活版印刷機を開発し、ラテン語の聖書を印刷した。一冊、当時の一人の年収の2年分だったようだ。高価だが、聖書の普及という地底水脈として脈々として流れ、ローマ教会に対抗するプロテスタントを生み、宗教改革につながっていった。ヨーロッパの民衆レベルの精神的改革に大きなインパクトを与え、やがて国家をローマカソリックのくびきから解放していくのだよ。

フランス

 劣勢のフランスを持ち返したのが、ジャンヌダルクだ。イギリス軍に一泡も二泡もふかせたのだった。その後の帝政は1792年の革命によって一旦は滅びるが、ナポレオンがかってのローマ帝国の再興が頭にあり、ヨーロッパ・アフリカを統一しょうとして立ち上がり、フランク帝国をつくった。ナポレオンはロシアに攻め入り敗れる。フランス人は起死回生の一念をもち立派な文化をきづいているという自負と気位が高いのは歴史のせいだと思う。フランス料理も人々に洗練されてきたので、おいしいね。(WELL BE)

2008年9月15日月曜日

父が娘に語る「ヨーロッパ」(1/5)


 今のヨーロッパは欧州(EU)連合として、27ケ国域内、パスポートでフリーで入れるようになっているとのことだ。1988年、お父さんが物流視察団でイギリス・オランダ・ベルギー・東西ドイツ・スエーデン・フランスのヨーロッパ6ケ国に行った時は、旅行社が面倒を見てくれたが、入出国は時間がかかり大変だったよ。聡子はフランスに行ったんだよね。

 その後、1992年から2006年まで年1冊づつ発行される塩野七生さんの「ローマ人の物語」1-15を読んだが、聡子も何冊か読んだよね。中世以降のヨーロッパは精神として、ギリシャ文明、キリスト教のDNAをもちローマ帝国の栄光を深いところで追い求めてきたように思うんだ。ローマ帝国は、紀元前753年に起こり、ゲルマン民族の移動も影響を与えて紀元後395年に東西に分かれ、西ローマ帝国は476年に滅び、東ローマ帝国は1453年まで栄えたのだった。図はHP辞典によるが、ローマ帝国版図の拡大(赤)紀元前133年、(橙色)紀元前44年、(黄)14年、(緑)117年だ。

 一番の貢献は帝国のインフラ整備に努め、ヨーロッパ大陸の今で言う、スペイン・フランス・ドイツ西の一部、イギリス、そしてアフリカ、小アジアにまで街道、いわゆる“ローマ街道”を発達させた。塩野七生さんの「ローマ人の物語」10から借用するが、構造は、①最下層 通常 巾4-4.2m深さ1.5mまで掘り下げ最小でも30cmの深さで砂利を敷き詰めていく。②石と砂利と粘土層の土を混ぜ合わせて敷き詰める。③小ぶりの石を弓状に詰め込んでいく。④接面がぴたりと合うように切った一辺が70cmはある大石を隙間なくつめていく。ここを軍隊が進んでいったのだよ。戦争がなければ旅人が行き来して、今のドライブインのようなものもあったのだよ。またローマ人は風呂好きだった。大浴場が作られ、都市に水道も整備したのだ。だが、残酷な面もあり、円形闘技場で剣闘士同士や猛獣と戦わせ、それを見物したことだ。お父さんはヨーロッパを観光で2度行った。ポンペイで古代の道路を見た。両端の馬車の通る凹んだ溝が車輪で石が磨り減っていた。すごいものだった。その頃、日本では弥生時代で農耕社会だった。文明度は天と地の違いがあった。(WELL BE続く)

2008年9月4日木曜日

映画「スカイ・クロラ」を観て

 先日、押井 守監督の「スカイ・クロラ」を梅田ブルグでみました。森博嗣原作で、アニメ映画でした。昨日の新聞によると、ベニス国際映画祭に出品されているとのこと。

 死なない若者が主人公。現場は、ショーとビジネスとなった空戦の舞台。「生きる」とはを映画は問いかけてくる。同じことを繰り返すが風景は異なるという人生、どこにでもある現実だ。それをメランコリックなアニメの主人公が演じている。愛して、憎んで、また愛して生きていく。その人生を観客に静かに問いかける。観終わって、アニメという創作を超えた声がささやいてくる。「生きるってどういうことなのだ」と。アニメの画像も似たものが時間をおいて、どこか少し違えて現れてくる。やたらにタバコをふかす若者の不安な心中がタバコを吸うという行為に現れている。THINKINGを残す不思議な映画だ。ベニス映画祭での幸運を祈りたい。(WELL BE)