EU
第2次世界大戦後、ジャン・モネーがフランスとドイツ両国にまたがる地域の鉄鋼と石炭を有効に活用しょうとして、経済の共同管理を発案し、具体化に向かう。それまでにあったベネルックスのオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの関税同盟とフランス、ドイツ、イタリアなどの3ケ国とで1958年ローマ条約が結ばれた。聡子もローマ条約というのは学校で習わなかったかな。EECヨーロッパ経済連合体の発足だよ。まずは関税同盟から次に人の往来の自由をめざすものだった。1973年にはイギリス、アイルランド、デンマークが加わった。1979年ギリシャが加わり、1989年スペインとポルトガルが加わって10ケ国となる。1991年聡子もきいたことがあるだろう、オランダの保養地マーストリヒトでEU首脳会議が開かれEU設立条約に15ケ国が調印し、1993年正式にEUが発足し、経済、安全保障、司法からなる統合がはかられる。1995年にはスエーデン、フィンランド、オーストリアが加わりEUヨーロッパ連合となる。1999年、このうちの11ケ国で単一通貨ユーロが導入された。これは大きな前進だ。2004年には、東に広がり、ポーランド、ハンガリー、チェッコ共和国、バルト諸国が加わつた。そして現在27ケ国となっている。域内移住が自由となった。国境を越える物流のトラックも、そのまま走り去ることができるようになった。建築家も芸術家もよその国で同じ権利を保障されるようになったのは画期的なことだ。
冒頭にいったが、1988年訪欧物流使節団に参加してベルギーのブリュッセルを訪れた。欧州共同体スタートにむけて、物流がどうなるかという視点と世界における欧州がどうなるかとの観点もあった。当時、心配していたのが域内が自由化され、スペイン等の安い労働力がフランス、ドイツの物流労働者の職を奪わないかとのことだった。現在も同じ悩みはあるようだ。東ドイツにも行ったが、小さな車が目立ったよ。西から東、東から西に入るのは大変なことだった。ベルリンの壁も見てきた。奇妙な落書きがあるのが印象的だったよ。EUに向かうエネルギーがベルリンの壁をとりはらった遠因だ。また、ソビエト連邦の崩壊も時代が要請したペレストロイカによるが、EUへの動きがそうさせたともいえるのではないか。域内を自由に往来できるのは画期的なことたが、EUという経済的にも人口的にもアメリカを凌ぐ一つのパワーとなって、農業の保護のため関税自由化に反対するなど外の世界へ意見発信している。ソビエト連邦はイデオロギーでくくった連邦国家だった。それが内部矛盾を生じ、解体した。EUは、ばらばらな国々が経済、司法などを軸にまとまってきた。ここに軍事、行政を統合しょうとして大国のエゴ、つまり国の大小で票数を設定する等が出始めている。
不戦のヨーロッパ、聡子はどう思うかな。1ついえることは長いヨーロッパ内部の抗争、戦争がこの共同体で多分なくなることだろう。これはすばらしいことだ。どれほど、国が違うということで、戦争をし続けてきたことだろうか。今後に望まれることは各国の経済等のせめぎあいは残しながらも現在試行中の広域リーダーの選出によるギクシャクしたエゴをなくした、中央政府と各国(地方)の調和のとれた連邦経営を望みたいところだ。(続く)
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