2008年9月15日月曜日
父が娘に語る「ヨーロッパ」(1/5)
今のヨーロッパは欧州(EU)連合として、27ケ国域内、パスポートでフリーで入れるようになっているとのことだ。1988年、お父さんが物流視察団でイギリス・オランダ・ベルギー・東西ドイツ・スエーデン・フランスのヨーロッパ6ケ国に行った時は、旅行社が面倒を見てくれたが、入出国は時間がかかり大変だったよ。聡子はフランスに行ったんだよね。
その後、1992年から2006年まで年1冊づつ発行される塩野七生さんの「ローマ人の物語」1-15を読んだが、聡子も何冊か読んだよね。中世以降のヨーロッパは精神として、ギリシャ文明、キリスト教のDNAをもちローマ帝国の栄光を深いところで追い求めてきたように思うんだ。ローマ帝国は、紀元前753年に起こり、ゲルマン民族の移動も影響を与えて紀元後395年に東西に分かれ、西ローマ帝国は476年に滅び、東ローマ帝国は1453年まで栄えたのだった。図はHP辞典によるが、ローマ帝国版図の拡大(赤)紀元前133年、(橙色)紀元前44年、(黄)14年、(緑)117年だ。
一番の貢献は帝国のインフラ整備に努め、ヨーロッパ大陸の今で言う、スペイン・フランス・ドイツ西の一部、イギリス、そしてアフリカ、小アジアにまで街道、いわゆる“ローマ街道”を発達させた。塩野七生さんの「ローマ人の物語」10から借用するが、構造は、①最下層 通常 巾4-4.2m深さ1.5mまで掘り下げ最小でも30cmの深さで砂利を敷き詰めていく。②石と砂利と粘土層の土を混ぜ合わせて敷き詰める。③小ぶりの石を弓状に詰め込んでいく。④接面がぴたりと合うように切った一辺が70cmはある大石を隙間なくつめていく。ここを軍隊が進んでいったのだよ。戦争がなければ旅人が行き来して、今のドライブインのようなものもあったのだよ。またローマ人は風呂好きだった。大浴場が作られ、都市に水道も整備したのだ。だが、残酷な面もあり、円形闘技場で剣闘士同士や猛獣と戦わせ、それを見物したことだ。お父さんはヨーロッパを観光で2度行った。ポンペイで古代の道路を見た。両端の馬車の通る凹んだ溝が車輪で石が磨り減っていた。すごいものだった。その頃、日本では弥生時代で農耕社会だった。文明度は天と地の違いがあった。(WELL BE続く)
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