2008年9月17日水曜日

父が娘に語る「ヨーロッパ」(3/5)

ドイツ


1871年普仏戦争で、プロシャがフランスに勝ち、鉄鉱石や石炭の豊富なフランスとドイツの国境に位置するアルザス=ロレーヌ地方を自国領土として「ドイツ帝国」成立を宣言した。この地域はその後、仏独の確執の地域となり、戦争のたび領有が変わる。ドイツにはその後、ノイシュバンシュタイン城を作ったバイエルン公ルードヴィヒ2世の狂気があった。ワーグナーに魅せられて夢の空想の世界の城を1886年に創った。現在では有力なドイツ観光ルートとなっている。一見の城だと思うよ。是非、訪問していただきたい。では、何故実用的でないものを作ることが認められたのか?ミュンヘンのビアホールに先に言及したが物流使節団の時にいった。知らない同士が肩を組んで大合唱していく。こんなところにドイツの農村的なまとまりが感ぜられる。裏返せば、ヒトラーのような狂気にもだまって受け止めて従って行くところがあると思っている。ルードヴィヒ2世は、ノイシュバンシュタイン城建設の後、精神病として失脚させられている。

イギリス

イギリスはインドを植民地して、アヘンを生産し、清に売り、清がこれを拒否することでアヘン戦争が起こる。イギリスは戦争に勝つ。中国の科挙制度は598年から1905年まで続いたが、この弊害が過去のことをよく知ることで権益を得た階級による中華思想を生み出し、清は軍事的に強力になった西の世界を知らなかったため、イギリスに破れ、香港を割譲する。一方の日本は、明治の初めに100人に近い有能な人々による使節団をイギリス他ヨーロッパに派遣して先進文明を学んだのはその後の明治日本づくりに大いに役立ったのだった。立憲君主国のため、日本の皇室はイギリスの大学に留学して帝王学を学んでいる。イギリスはこの500年対外戦争に負けていない。堅実な国である。しかし、食事は種類少なくおいしくないのは風土と国民性からだろうか。

世界大戦

1914年、オーストリア皇太子の暗殺で始まった第1次世界大戦では、ドイツとハプスブルグ家のオーストリアがフランス、イギリスと戦う。日本は、日英同盟を結んでいることによってドイツに参戦、海南島を占領し、漁夫の利を得る。やがてアメリカが加わって、ドイツは敗れる。
 ドイツは敗戦後の莫大な賠償金が支払えず、各国の猶予をとりながら次第に、ナチスが入り込む余地を作ってしまう。国民は現状の小市民的平和に眼を向けて、ややこしいことは耳を閉じて通り過ぎ、聞こえのよい言葉のみを聞いてゆく。一か八かのヒットラーに従い、ポーランドに侵攻し、第2次世界大戦に突入してしまう。ロシアでは1914年、帝政が滅び共産党が国を継ぐ。ポーランドの一部割譲の密約を結んで、ドイツと不可侵条約を結ぶ。一方では。ヒットラーには理にかなうビジョンもなく、ドイツ民族が優秀であるというなんの根拠もない考え方で狂信的に戦争を推し進めていく。一旦結んだ条約も、都合によって解約してロシアに侵入する。しかし、地力の差というか結局1945年、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦の側が戦争に勝つ。ヨーロッパの戦後を2分したのは、イデオロギーの違いの自由陣営とソビエト連邦だ。長い間、冷戦が続いたが、EU結成の動きやソ連のゴルバチョフのペレストロイカにも影響されて、1989年ベルリンの壁がとり除かれ東西ドイツは統合される。1992年には、ソビエト連邦もロシア・ウクライナ・ベラルーシ・リトアニア・グルジア他各民族ごとに解体される。(WELL BE To Be Continued)

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