2011年7月10日日曜日

「古代の東アジアと日本」―最近の見学会で学ぶ―③高槻市今城塚古代歴史館、史跡今城塚古墳見学

11.6.28 (吹田市立博物館ボランティア見学会)

 JR摂津富田駅より北(徒歩約30分、バス南平台経由奈佐原行き「今城塚古墳前」徒歩すぐ)無料。高槻市のボランティアの方々によりご説明いただきました。

① 「今城塚古代歴史館」 
(イ)高槻市近辺の古墳の3世紀から7世紀までの概況がわかるよう時代別に展示されている。
(ロ)平地に1人1回一袋をかついでつみあげた今城塚古墳のなりたちがわかりやすく展示されている。(ハ)その後の地震で崩落した石棺が復元展示されている。(ニ)埴輪のレプリカが展示されている。(埴輪工房が近くにあります。埴輪に船の線刻があるものがありました)(ホ)その他
  

② 「史跡 今城塚古墳」 今城塚古代歴史館を一旦出て、実際に古墳を見学できます。圧巻は古墳から張り出したスペースがあり埴輪がレプリカ展示されています、葬送儀礼の埴輪群で、発掘時の精密な記録により立ち位置が特定されています。被葬の大王が、命じたものと思えます。


③ 被葬の大王 宮内庁は継体天皇陵は、別の陵を指定しています。淀川流域で2重の濠をそなえた6世紀最大の前方後円墳は継体大王(聖徳太子直系の曽祖父)のものといわれています。注)後に、触れますが、天皇の呼称は7世紀の終り頃より使われ、それまでは大王と呼称されていました。

 御陵が宮内庁の天皇陵として指定されていない為、史跡公園として整備されているのは歴史の面白いところです。もし天皇陵として指定されていれば、立ち入り禁止で遠くから眺めるだけのものとなったでしょう。

(尚、当BLOG 2010年2月 思い込み古代史12 継体天皇の登場 を ご参考下されば幸いです。)


 600年代はじめ遣隋使を聖徳太子が派遣します。東アジアの中で、どのような位置づけにあるのか?④遣隋使は対等外交であったか?次回、関大講演会からレポートしましょう。(‘11.7.10 中川 昌弘)

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