11.7.7 関西大学文学部教授 米田 文孝氏 於関西大学
米田教授の高松塚・キトラ古墳の講演から壁画の東洋思想の一部を次のようにご紹介します。
① 高松塚・キトラ古墳が築かれたと思われる “飛鳥時代”とは
663年白村江で唐・新羅連合軍に。百済と共に戦って敗戦し、対外的に緊張し、部族連合国家から中央集権国家へ転換していった。その一つの表れが次最終回に取り上げますが、7世紀末には国名を日本、大君を天皇と号しました。文明開化の時代で、大化の薄葬令により陵墓は大から小へ、埋葬から火葬へ転換初期(701年、道昭火葬)、隋唐から学んで、都城制度・官僚機構を整え、陰陽五行東洋思想にのっとった宮廷儀礼(元旦には、、外国の人も招き、お祝いをする。日・月四神の旗をかかげた宮廷庭の旗跡が発見されている。)も行われていた。
② 高松塚・キトラ古墳の壁画は陰陽五行説により配置装飾されている
そんな時代に成立した奈良県高市郡明日香村にある直径18メートル高さ5メートルの円墳・高松塚古墳の底部に切り石で組み合わされ長さ265.5cm巾103.5cm高さ113.4cmの石槨があり内部の四周天井に漆喰により壁画が描かれていました。
墓室の天井には星宿が配置されている。
4周をみれば次の壁画が極彩色にみられます。
北→玄武(亀と蛇による神像)
東北→女子群像
東→青龍(キリンのような龍神) 日像(3本足のヤタガラス)
南東→男子像
南→朱雀(鳥の神像)・・・あったと思われるが長年の劣化により消えている。
南西→男子像
西→白虎(虎の神像) 月像(うさぎとかえる)
西北→女子群像
陰陽五行とは、万物には陽と陰があり、5つの行 木・火・土・金・水 でなりたつ。方位・季節・色・・・を表す。木=東・春・青・・・、火=南・夏・赤(朱)・・、土=中央・黄、金=西・秋・黒・・、水=北・冬・白・・。4つの方位には守護神がいる。方位の4神と日月星宿に守られ被葬の貴人は鏡、太刀、宝玉を身近に置き眠られる。キトラ古墳は12支の神で守られています。朝鮮の古墳や石室壁画にも同様の画像があり、よく似ています。朝鮮との密接な交流がうかがわせます。
7世紀-8世紀はじめ、隋唐の政治制度のよきところを取り入れ、朝鮮の人々の技術的指導を得て、日本の国が確立していきます。高松塚・キトラ古墳に葬られた貴人は、その後の日本の変容を、みまもってどう思われているでしょうか。約1300年の静寂の眠りの後、発掘等で世間に騒がれましたが、どうぞ安らかにお休み下さい。尚、高松塚古墳石槨の復元模型が関大博物館前にあります。
日本の国号と天皇の呼称の時期はいつか、次回本稿最終回⑦として府立図書館講座からレポートします。(‘11.7.17 中川 昌弘)
0 件のコメント:
コメントを投稿