11.7.8 大阪府立図書館名誉館長 上田正昭氏 於大阪府立図書館
上田名誉館長の講演要旨は歴史的な資料14種の抜粋でご説明され次のようなものでした。
「天武・持統朝には(遅くとも690年以降は)、倭国から日本国となり、大王から天皇の呼称となった。その要因は2つある。一つは対外的に663年白村江の戦いに唐・新羅連合軍に百済と共に戦って敗戦したこと。二つ目は対内的に天智天皇崩御後、672年壬申の乱で天智天皇の弟、大海人皇子(おおあまのみこ)が天智天皇の子息、大友皇子に勝利し、673年、天武天皇として即位したこと。国際的にも国内的にも緊張し、体制一新が必要とされた。」
① 日本の国号について
「新唐書」東夷伝日本の条 670年に唐に使者が日本と自称
(前略)咸享元年(670年) 遣使賀平高麗(使をおくって高麗を平定したお祝いをのべた) 後稍習夏音(しばしば中国の音を習って) 悪倭名(倭=小さい=という名をにくんで) 更号日本 使者自言 国近日所出以為名 (使者は自ら、日が出るところに近いため 日本と自称した)
「日本紀」(日本書紀のこと)天武天皇3年(674年)の条 内では、674年倭と。
対馬国銀産出献上に関して凡銀有倭国 初出干此時
「古事記」神倭伊波礼昆古命(かんやまといわれひこのみこと)云々 「古事記」は712年成立(伝承を記録するスタンス)
「日本紀」神日本磐余彦天皇云々 「日本紀」は720年成立(国史編纂のスタンス)
「令集解」公式令 (前略)御宇日本天皇詔旨(後略)大宝元年(701年)
② 天皇号
稲荷山古墳出土鉄剣銘文に 471年と想定される時期に大王と刻印
「古事記」序に「飛鳥の清原(きよみはら)の大宮に大八洲(おおやしまぐに)御(しら)しめしし天皇の御世・・・
「日本紀」天智天皇8年(669年)10月の条 (前略)天皇(後略・・・藤原鎌足の大臣位授与文言)
天武持統朝のときに、(少なくとも690年以降は)日本国、天皇の呼称がされていた。
③ 大倭から大和 大倭→大養徳→大倭→大和
「続日本紀」天平9年(737年)12月の条 改大倭国(やまとのくに)為大養徳国(やまとのくに)
「続日本紀」天平19年(747年)3月の条 改大養徳国(やまとのくに)為大倭国(やまとのくに)
「令集解」田令 凡畿内置宮田・・中略・・大和。摂津各町。河内・・・後略
757年5月11日以降には大和が使われていた。
大和となにげなく使っていますが、歴史的に大倭から大和へ8世紀半ばより使われだした。大和は奈良の地域をさすと同時に、日本のこころの部分をさす言葉として今日にいたっています。大和とは大倭だったんだと知ると、古代史が自分のものとなりそうです。
京大名誉教授でもある上田正昭先生は、「古事記」1300年祭が、2012年行われる際、基調講演をされるとのことでした。天皇陛下にもご進講されたとのことです。完璧な講演(資料は原典抜粋のみ、何年何月何日の記録と暗記された中からいわれる。)を聴く機会を得て、皆様にもその一端が伝われば、幸いと思います。
シリーズとして古代史講演会受講等により今7回で終了いたします。ご愛読ありがとうございました。また、BLOGを続けますのでよろしくお願いします、(2011年7月19日 中川 昌弘)
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