2011年7月1日金曜日

「古代の東アジアと日本」―最近の講演会で聴く―①(古代日本の姿)河内王朝と倭の五王

11.6.26 大阪府立図書館名誉館長 上田正昭氏 於大阪府立図書館

 上田名誉館長の講演要旨は次のようなものでした。
 「5世紀に河内に王朝があった。(1967年に発表)その根拠は、
① 和泉(757年に河内から分離呼称)に巨大古墳 大山古墳(伝仁徳天皇陵)全長486m 河内に誉田山古墳(伝応仁天皇陵)430m 和泉にミサンザイ古墳(伝履中天皇陵)360m 巨大古墳ベスト3があり、ベスト5の内4までが河内にある。
② 古代には天皇即位の儀式に“八十島祭り”が行われていた。八十島とは国生みが、大阪湾で行われたことをあらわしている。
③ 和風諡号にワケのつく人が仁徳天皇除き続く。15代応仁天皇(ホムダワケ)16代仁徳天皇(オホサザキ)17代履中天皇(オホエノイザホワケ)18代反正天皇(タジヒノミズハワケ) ワケのかたまりをさす。尚、10代崇神天皇(ミマキイリヒコイニエ)11代垂仁天皇(イクメイリヒコイサチ)は吉備からヤマトに入ったイリヒコとのこと。

 その河内王朝は、中国南朝の宋に使いを出し、百済に迫っていきた高句麗に対抗するため、倭の5王が421年から60年にわたり朝貢する。讃(履中天皇)・珍(反正天皇)・済(允恭天皇)・興(安康天皇)・武(雄略天皇)である。

 上田名誉館長は、巨大古墳リスト、大王号和風諡号関連一覧、「宋書」関係原文、稲荷山古墳鉄剣、江田船山古墳太刀資料を元にされ、自説の絶対的自信と自説の弱点なども明確に説明され、400人にも及ぶ聴衆は魅了されたしだいです。そこに完成された人格を仰ぎ見ました。

 尚、小生 本BLOG 2010年1月「思い込み古代史」11「5世紀、ヤマトから大阪湾沿岸南地区へ」として関連項目の自説を記載していますので よろしければ ご参考下さい。 

 シリーズとして7回掲載予定です。次回は②5~7世紀の中国の状況について 関西大学吹田市民大学の講演会のレポートをします。酷暑の候 御身ご自愛下さい。各位のご活躍を祈念申し上げます。(2011年7月1日 中川 昌弘)

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