2011年3月29日火曜日

[東北関東大震災に思う]阪神大震災を経験したものとして

 H23年3月11日午後2時46分、大阪心斎橋大丸百貨店の某階手摺にじっともたれていた。数分間、体が揺れたので蛍光灯の照明器具をみたが、蛍光灯も揺れていた。
 あの未曾有の大震災が東北関東で起こっていた。その後、30分以内に津波が押し寄せた。

 先月、クリント・イストウッド監督の予知力をテーマとした「ヒアアフター」という映画で主人公の1人が青い海にのまれる津波のシーンが心に残っていた。TVで何回も観たが実際は泥の海だった。
 クリント・イストウッド監督は予知力があったようだ。東北関東大震災で、なくなられた1万1千余人の方々に黙祷をささげます。そして行方不明1万8千余の人々の安否に心を痛めます。

 H7年1月17日、阪神大震災で地震・火事で母を亡くした。消息を尋ねて大阪から電車で乗り継いで、西の宮から神戸まで歩いた。この道々、ボランティアの人々が提供された、無料のうどんのあたたかさは忘れません。パンもおにぎりもありがとうございました。小学校の仮眠所では皆でいたわりあって眠った。自衛隊の皆さんに遺骨探しを手伝って頂いた。会社の皆さんからは、義捐金をいただいた。どれほど感謝しても尽きない思いが残っている。

 人のぬくもりといただいた奉仕のお心は、その後の人生で忘れることは出来ません。

 今回は、原発事故が重なり、原発停止には先行き深刻な日々が続きますが、関係各位のがんばりで安全停止を期待しています。自然の猛威に対して、人類は人智の限界を悟っています。(環境学習をした際、原発で地震の対応を質問した際、電力会社出身者は「原子炉をとめりゃいい」との答えに、更なる大きな地震に対して
どうするのか「別のところで話をしょうか」と絶対的安全を強調していました。何でもできるというおごりは
一番恐いです。)

 遠隔各自治体の献身もすばらしいです。日本全体で、被災地の皆様を支えましょう。

 被災された方々には、勇気を失わず、新しい未来を信じてがんばって下さい。(H23年3月28日 中川 昌弘)

2011年3月4日金曜日

[エッセー]マイブックに描く心の旅

 マイブック(文庫本タイプの空白の日記ノート)新潮文庫340円(税込)を3年ほど使っている。中身は色鉛筆でその日その日のことを絵にする。素人目ながら、毎日描いていると多少はうまくなるもののようだ。きっかけは、妻からプレゼントされたことと、脳の活性化のために、その日のことを画像化すると、よいとの情報を得たからだ。画題の例は、観た映画の印象的なシーン、思い入れのスポーツの選手像、読書中の本の表紙、風景、植物、気にいった漫画・・・・。3年ほどたった今、その感想を記して参考になればと思う。

① 前日の3食を手帳に記しているが、絵を書いている以前は言葉として思い出していたが、現在は映像で覚えるようになっている。前夜の夕食の食卓をビジュアルにカラフルに思い出す。これは絵を描いているからだろうと思う。

② 風景や事物を見た場合、対象を視覚的に左右、上下、遠近と脳で分解し、再構成していることに気がつく。つまり絵を描くように脳でシュミレーションしている。このことは何気なく通過する事物、風景を分析的に見ていることになる。どんなメリットがあるかは知れないが、脳を活性化していることには間違いない。

③ 日によって、余裕のある日は、じっくりと描ける。この場合に達成感が生ずる。いわゆる「ヤッター!」という感覚だ。時間がないと新聞等から題材を探し、義務感で描く。この場合おもしろくもなんともないが、たまに自画像も描く。結構これがおもしろい。自分を客観視するのも、よいことだと思う。

 別に書いている日記は、一日のけじめをつけている。見直すことはほとんどない。
 マイブックに描く絵を、ときどき、ぱらぱらと振り返る。一瞬に過ぎ去る過去たちが、現在という時間を生きているということを知らせてくれる。人に見せることのないこころの旅路だ。(H23.3.4 中川 昌弘)

2011年2月23日水曜日

[Let's watch movies]「ヒアアフター」クリント・イーストウッド監督

 クリント・イーストウッド監督マット・デーモン主演「ヒアアフター」を観ました。次の感想をご参考下さい。

<主題> HEAR は ここ AFTER は その後。生きている後はどうなるだろうか?という万人の疑問へクリント・イーストウッドが 少し 扉を開いてくれ その一端を みせてくれる。

<構成> 3つの話からなる。女性ジャーナリストが覗く瞬間の死後の世界、霊能力のある男性が、死者とインスピレーションでつながっている苦悩の世界、双生児の少年の弟と兄の時空を越えてつながる世界。3つの都市(パリ、サンフランシスコ、ロンドン)に住む3人が一つの都市につながっていく。

<感想> 覗いたことのない次の世界をふと垣間見たような気がしていますが、クリント・イーストウッドも確たるものとは提示し得ない。誰も観たことがない世界だからこそ、ありえると思う人にある世界。観終わって現実の世界が明るく、現在が希望と爽快なんだと感じました。

 クリント・イーストウッド監督は80歳になっても、若々しいエネルギーをもち、「硫黄島からの手紙」「グラントリノ」「インビクタス」と人間のいきざまをさまざまな人種(それぞれ、日本人・ベトナム少数民族・南アフリカ人VS白人)で探究し、チャレンジする人々を描いてきました。今回は、次なる世界を観客と一緒に探検しています。音楽も自作だし、あふれるエネルギーの源は、次々と求める大きなテーマをもっていることだと思いました。この映画も素晴らしいですが、創ったクリント・イーストウッドという人は、素敵な人生をおくっている。(☆☆☆☆)(2011.2.23 中川 昌弘)

2011年2月20日日曜日

[エッセー]ヘソヒコウキ教室を舞う

「FREEDOM!」
13世紀末イングランドにとらえられて拷問の刑で死ぬ前に国王に慈悲を請えば安楽死させる、という獄吏の言葉をさえぎって、民衆に叫んだアイルランドの英雄ウイリアム・ウォーレスの言葉(メル・ギブソン監督主演「ブレイブハート」68回アカデミー賞6部門受賞映画より)

 ボランティアの6名の方々と年6回の最終日としてH23.2.19江坂大池小サタデースクール昔遊びコーナーに同校1-6年40人ほどの児童に「ヘソヒコウキ」の折りかたを教え、各々好きな絵を翼に書いていただいた後、児童で飛ばし競争をしました。
 
 最高の人は10メートルまで飛ばしました。飛ばない子に「飛行機修理」をと、ボランティアの方に言われ、とまどいました。「ヒコウキは左右対称、翼が曲がっているよ。ここをこう改良すれば飛ぶよ」といって、修理?した飛行機をやさしく飛ばしてみると、うまく飛び、ほっとしたのです。参加の生徒も楽しんでいました。

 紙ヒコウキはH22年5月、万博公園で休日に紙ヒコウキを飛ばしている堀川先生に北千里の吹田自然体験交流センターでヘソ・イカなど数種、教えて頂き、紙飛行機デザイン工房 長松康男氏の「とってもよく飛ぶ紙飛行機」という2冊の本で学びました。

 別にNPOでも児童の環境教育に参加していますが、組織的に動きます。リーダーがいて、命令があり、復命があり仕事がなされます。今回のサタデースクールは、応援いただくボランティアも自発的で出欠をとるでなく、参加してほしいなという希望の祈りのみがあります。テーマも、進行方法も自分流で、悩みます。結果は子供たちが翌年に判定します。今年は去年の実績によつて、47人が他にもいろいろとある中で「昔遊び」を選びました。

 あるボランティアの方が言われました。「来年度、参加人数が維持できれば及第ということ。少なくなれば、"よくない"ということ、多くなれば"よかった"ということ。生徒が選択の"自由"をもっている。」

 選ばれたもののみが残っていく。世の中の自然の流れを江坂大池小サタデースクールで感じました。(H23.2.20 中川 昌弘)

2011年2月18日金曜日

[エッセー]視力回復へエクササイズ

 高等学校のころまでは、両眼とも視力1.5でした。大学では、試験前の徹夜、企業戦士ではパソコン朝星夜星の激務、通勤車中での読書で、乱視付きめがねをかけるに至り、熟年となり遠近両用めがねをかけています。
 さる人が、視力を向上する方法を実践されており、回復に顕著として次の方法を教えて頂いた。

 目を左右、上下、斜め上下と顔を動かさず、目の玉をぐるぐるまわすこと。

それを、繰り返し数年行ううち、新聞情報もとりいれ上のエクササイスに加え、「遠くの木を標的に選ぶ。片目をつぶり、遠くの木を凝視する。反対側の目も、片目をつぶり、遠くの木を凝視する。これを数度行う。次に近くの看板の文字などを標的にえらび、どうよう、片目づつ凝視すること数度。」

 これにより、自身の目の状況がわかり、エクササイズにより視力が回復していくと思います。特に、読書した後やパソコンした後に、効果があります。

 両親からいただいた視力は年齢と共に衰えるのはやむを得ないことですが、できるだけ現状を以前に回復していきたいものです。(H23.2.18 中川 昌弘)

2011年2月12日土曜日

[本棚から]シモーヌ・ド・ボーヴォアール「ある女の回想-娘時代」

 シモーヌ・ド・ボーヴォアール(1908-1986)「ある女の回想-娘時代」をこのほど読みました。

 フランスの20世紀の「知」の人。サルトルと交友があり、50歳代になって 幼児から20歳前後の自分の魂の遍歴を著述したのは、おさえがたい娘時代の思いがあったのだと思う。

 彼女は、哲学であるいは文学で、他者に訴えようと10代の頃から沸々としたものをもっていた。そのほんの一部をひも解いてみよう。

 父母とは、理解し得なかった。宗教とは何か?何度も問いかけている。20前の結論は「神はいるのか」という疑問を持ち続けている。友は、女性にも男性にも絞り込んだ人がいた。将来の夫は誰なのか?で会う男性で、絞ろうとしたが、絞りきれなかった。真の女性の友は、20前後のその頃、亡くしてしまった。意中の男性は、煮えきらず、結局、分れてしまう。その男性は、40代のころ、事業に失敗して、亡くなってしまう。

 この二人はシモーヌ・ド・ボーヴォアールの青春の時代の魂を反問・行きつ戻りつした希望の人であった。

 20代以降に生涯を通じて、インスピレーションを与えつづけたのは、知友サルトルであるということを、終章でだけ述べている。

 まわりくどくなったが、20歳までのこころの遍歴と、20歳以降のこころの遍歴は違うということだ。しかし前者の思いは生涯を通じて消えなかったということである。

 緻密な振り返りは、3歳くらいからはじまっている。シモーヌ・ド・ボーヴォアールの精神の遍歴を辿る時、若い人たちが読めば、益すことが多いと思う。熟年の人が読むとき、毎日の大切さを思うかもしれない。

 ローマは一日にしてならず、である。(11.2.12 中川 昌弘)


 

2011年2月4日金曜日

「Let’s Watch Movies」「息もできない」監督・脚本ヤン・イクチュン2008年韓国映画

 家族の苦しみと戦いを描く物語。世界の映画祭(ロッテルダム・東京フィルメックスなど25以上)で賞をとっている。

 主人公はチンピラヤクザ(ヤン・イクチュン監督が主役を演ずる)、道を行き交う少女につばをかけた。ここから物語りは始まる。少女は高校3年生。ただものではない。家庭に悩みを持つ。父はベトナム帰還兵で、心の障害を持つ。チンピラヤクザの父も家族に暴力をふるって妹を死にいたらしめ刑務所に服役して孤独に生きている。両方とも、母が死亡。殺伐たる家族たちの風景。チンピラヤクザは不良債権を暴力を使って回収するのを業としている。こころのよりどころは姉の息子である。高校生少女の兄も定職につかず、少女を悩ませる。

 こんな二人がソウルを流れる漢江の土手でしみどみと語り痛みを癒しあう。

事態は急転していく。

 雑誌の2010年度の優秀外国映画一位をとり、シネマート心斎橋で異例の延長上映を行っていたので見る事が出来た。最近、台湾映画「モンガに散る」という映画も観たが、若いヤクザの抗争で、家族がからんでいた。一般的に、現役世代の家族が平穏であることは少ない。日本の園子温監督(「冷たい熱帯魚」2/5封切り)は「おだやかな家族が登場する日本の映画やTVドラマは、現実を癒す麻薬であり、麻薬は常用すれば更なる癒しを求める。」という主旨のことを日経新聞1月12日夕刊に載せていた。符合するかのように韓国のこの映画は、日本のそれらとは逆にどろどろ生々しい家族の闘争を描いている。

 混沌としているはずの日本の家族の今と、混沌としている世界の今を考えさせる映画だった。(11.2.4中川 昌弘)