サルを飼っている人がいました。あるときサルに言いました。「朝は3つ、夜は4つだ」サルたちはギャーギャー文句を言いました。
そこで、飼い主は「朝に4つ、夜に3つだ」といい直しました。するとサルたちはキャッキャ、キャッキャと喜びました。これを「朝三暮四」といいます。
BC4Cの初め頃、宋の国で荘周が釣り糸をたれて、のんびりと世の中は相対的なのだといっていました。思い方で気持ちが違うだけで、結果は7つで同じです。「荘子」という書となり、孔子・孟子の難しい話から「老子」も含めて、ほっとする思想をまとめました。他に、有名な「胡蝶」の夢というのがあります。荘周が夢で胡蝶になったのか、胡蝶が夢で荘周になったのか。それはどちらも正しいといえる。・・・とらえ方によるということで、事実は変わらず、人の思い込みで荘周が胡蝶になったと思いがちになりますが、逆も真なりです。
また、こんな話もあります。個人が喧嘩し傷つけると罪となりますが、国家が戦争で大義名分を立てると、人を傷つけることが正当化されます。つまり、罪であることが罪でなくなる理屈で、人々は何とも思わない。ものごとは、相対的だとこんなことも荘周は言っています。
生きるも死ぬも状態が変わるだけ、万物は皆同じ「万物斉同」といっています。生きるものは全て死ぬ、そのことは自然、死んだらそのからだを大自然にまかせればよい。2,300-2,400年前の中国の生んだ荘周という思想家の考えがその後の中国の人々に加筆修正され今日に「荘子」として残っています。運命論というものが、ありますが、「荘子」がルーツであるようです。ジタバタしても始まらない、過去も未来もない、今ここにある巡り合わせが運命である、と私たち東洋人は考えがちですが、その根源が「荘子」に由来するものなのでしょうか。
仏教がインドから中国に紀元後はいってきて、「荘子」の思想のあった中国の人々に仏教の「無」という原理が共感を覚えられて、受け入れられました。結局は「禅宗」(自力本願で座り無に同化する)、「浄土宗」(他力本願、南無阿弥陀仏と唱えて全てお任せ)が混然なってと中国に残りました。(WELL BE)
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