2012年4月12日木曜日

[エッセー]易筋功(いきんこう)

岡本裕著「一生、薬のいらない体のつくり方」を読んで文中の易筋功(いきんこう)を実践しています。体によろしいようですので、次のようにご紹介します。

中国の少林寺拳法や太極拳から誘導された皮膚・筋肉の体操のようです。最近ですが、毎朝、約20分程度実行しています。

<狙い>皮膚を手でこすることで。皮膚刺激による毛細血管とリンパ管を活性化する。

<方法>胸を張ってたち、腹式呼吸(約30秒)
手のひらをこすりあわせる。(約30秒)
左手をのばし右手のひらで左手の付け根から手のひらへすーっとこする。180度左手を反転させ左手先から肩先へ右手のひらでこする。これを繰り返し(約3分)
反対側の手でこれを繰り返し(約3分)

手のひらをこすりあわせる。 (約30秒)
右手のひらを右の胸部におき、ななめに左腹へすっとすべらせる。今度は左手のひらを左胸におき、ななめに右腹へすっーとこする。十字をきって乳部と腹部をクロスさせること
(ななめにおりた手は次の動作で反対側の腹におく)( 約6分)

手のひらをこすりあわせる。(約30秒)
背中を両手の裏でこする。(約3分)

手のひらをこすりあわせる。(約30秒)
頭のうしろから頭頂にむけて両手を交互にすべらす(3分)
顔を両手のひらでこする。(約1分)
耳のうしろを両手のひらでこする。(約1分)

岡本裕著「一生、薬のいらない体のつくり方」143-149Pご参照

以上にプラスして10分程度のケアを加えます。両足の裏から太ももをもみます。(約6分)
背中・おしりを布団等にこすりあわせる。(約1分)
手の指のつめの部分を反対の手の親指と人差し指で側面でしめつける。(約100秒)

首・くちびる(発声練習いー・うー・ぱぱぱ・ららら・かかか)・舌の運動(約2分)
腹式呼吸(約30秒)
コップ一杯の白湯を肌温度にあっためて飲む。一通りの皮膚運動でリンパを通じて体の毒素を流しさる。

さてさて、効能はどうでしょうか?自分ではよろしいと思いますが、それぞれの体にあったトレーニングを、したいものです。(2012.4.12 中川 昌弘)

2012年3月31日土曜日

[Let‘s Watch Movies]イ・ヒョンスン監督「青い塩」2011年韓国映画

イ・ヒョンスン監督「青い塩」(2011年韓国映画)を梅田ブルグで観ました。
実に爽快感溢れるスカッとしたまるでフランス映画をみたようなそんな映画でした。

 元ヤクザの幹部ドゥホンと カレの監視を命ぜられた若い娘、セビンを結ぶのが、「料理」。
2人は料理を港町プサンで習っている。

 ヤクザの抗争はソウルにとぶ。友人の死をドゥホンのしわざと思い込んだセビンはドゥホンの暗殺をかってでる。2人はソウルの高層ビルで向き合う。

 愛・サランは赤もあれば紫もある。青もある。とドゥホンは部下に語る。

 人生の大事な3つのキーワード①富②塩とそしてもう一つ。

 この映画の題名「青い」と「塩」が料理の味付け、プサンの塩田少しづつ現れてくる。観客は3つのキーワードや題名に隠れた意味を追いながら、プサンとソウルの夜景を楽しむことが出来る。ことし2月ソウルを訪れていたのでなお更、ソウルのビル街に親しみが湧いた。

 結論は見て確認して欲しい。

 韓国の人は芸術の表出に長けているようだ。青い海、直裁でない愛の表現は人情の近さを感ぜられて美しい。(☆☆☆☆)(2012.3.31中川 昌弘)

2012年3月22日木曜日

[本棚から]三浦しをん著「舟を編む」

辞書編纂の気の長いが営々と努力を重ねている主人公たちの物語。単語用例カードを、都度ピックアップして、一旦、出来上がっても改定にそなえる人々。薄暗い辞書編纂部に10数年の時が流れ、「大渡海」が編纂されていく。その人々に「恋」が紡がれ「普通の生活」が丹念に描かれる。

 ちなみに、主人公の名前は馬締(まじめ)光也、恋人となる人の名前は林 香具矢(かぐや)なにか作者の思いいれと遊びが感ぜられる。

 小気味よい読後感が残る。どこか主人公たちに親近感がもて、主人公たちが、身近にいる感じがする。2011年 光文社刊 ☆☆☆☆[2012.3.22中川 昌弘]

2012年3月21日水曜日

[Let‘s Watch Movies]メリル・ストリープ主演「マーガレット・サッチャー」

「マーガレット・サッチャー」(鉄の女の涙)監督: フィリダ・ロイド メリル・ストリープがサッチャーさんの中年、老年を演じアカデミー主演女優賞を獲得。

 食料品店の娘に生まれた、マーガレット・サッチャーさんはオクスフォード大学を卒業し、よき伴侶を得て、首相に成り上がる。

 フォークランド゛紛争では、決然と戦いを指示し、英軍艦が沈められ300余の人々がなくなったところでは、観るものがサッチャーさんと一体化して、悲しみをこらえる自分を発見して驚くほど入魂の演技。

 イギリス議会の与野党の論戦に2党による民主主義の真髄を見る思い。通貨もユーロー一本化に反対し、ポンドを残したのは、現時点で見るとサッチャーさんの慧眼による。日本にもそろそろ女性首相の登場がまたれるように思える。男女を問わず「鉄の人」が求められていることを痛感する。

 10年、首相の座にあり、引退し、現在は精魂使いすぎたのだろう、レーガンさんも然りであった。認知症しなっておられる。人間として、尊敬できる。そのこわもてのさまをメリル・ストリープが好演。東宝シネマコンプレックス他で上演中。2011年イギリス映画(☆☆☆☆1/2)

2012年3月14日水曜日

[Let‘s Watch Movies]アラン・レネ監督作品「風にそよぐ草」

第62回カンヌ国際映画審査員特別賞受賞、出演 サビーネ・アガマ アンドレ・デェンリエ他。89歳のアラン・レネ監督作品 フランス映画。

 人は幾つになっても恋をするのでしょうか?熟年の紳士淑女の恋物語です。
女性歯科医が、ある日はハンドバックをひったくられた。中にあって捨てられた財布をある悠々自適な男性が拾う。女性の写真が入っていた。警察に届ける。ここに男性の妄想が始まる。女性のことが気になってしかたがない。ストーカーまがいに連絡を試みる。これが映画の導入部です。

 男性には良妻と子供・孫もいる、よい家庭がある。女性には仕事がある。この整然とした秩序がだんだんと恋に発展してしまう、男性の妄想像がマンがの噴出しのように登場し、おもしろくアラン・レネ監督はひきこんでくれます。

 両者の共通点は飛行機狂という趣味の世界。いつしか、追うものが、追われるものに変わっていく。89歳にして、恋を描くって、フランスでは普通のことなのて゜しょう。シネリーブル梅田で公開中。(☆☆☆☆ 2012.3.14 中川 昌弘)

2012年2月11日土曜日

[ギリシァ神話を学ぶ(3/3)]「パリスの審判」


 ギリシァ神話を描いたネサンス絵画の中の「パリスの審判」をみてみましょう。

 エーゲ海を臨む小アジアの地にトロイアと呼ばれる国があった。紀元前1250年頃、ギリシャ連合軍がトロイアに戦勝したことが、吟遊詩人ホメロスによって「イリアス」として語られた。ローマ時代になって、ギリシャ神話をオウィディウスが「変身物語」として記録した。それをもとに16世紀以降ルネッサンス画家たちが絵画にした。代表的なものにルーベンス(1577-1640)の「パリスの審判」があります。

 スパルタ王妃カッサンドラはトロイが燃えるさまを見て次男のパリスを生んだ。よくない夢だったので、パリスを野に捨てた。後に牧童に育ちます。

 大神ゼウスはレトを見初めます。レトが白鳥が好きなことを知り、白鳥に変身してレトと交わりレトは卵を産みます。その内の一つより、美しいヘレンが生まれます。ヘレンはスパルタ王の妃となりました。その美貌は羨望の的でした。
 
 「不和の神」は黄金のりんごをメリクリウス(英名マーキュリー)にさずけ、神々の使者となって、3人の美女に美しさを競わせ、牧童のパリスが黄金のりんごを一番美しい人へ渡すこととなりました。一人はアテナ(英名ミネルバ)自分を指名すれば軍事力を与えると、もう一人はアプロディテ(英名ビーナス)自分を選べば世界一の美(ヘレン)を与える、最後の1人ヘラ(英名ユーノ)は政治力を与える、と。結局パリスは「美」を与えてくれるアプロディーテを選び、へレンを略奪しトロイに連れて行きます。絵画はその選ぶさまを描いています。各々にいわくのあるアットリビュート(目印)で、誰かがわかるようにしています。アテナはフクロウ・カブトと盾、アプロディーテは幼神エロス、ヘラはくじゃくです。

 トロイに連れて行かれたヘレンの奪回を目指してギリシァ連合軍が10年にわたって、トロイを攻め、最終局面で木馬の中にギリシァ兵士が隠れ、贈り物と思ったトロイ軍が城内にもちこみ、ギリシァ兵士が夜陰にまぎれ城門を明けて攻め込みトロイを滅ぼします。

 長い間、単なる神話伝承の世界と思われていましたが、近代になってドイツのシュリーマンがトロイの地を発掘してトロイとギリシァの戦争があった事を実証しました。

 そんな神話の有名な部分をルーベンスをはじめ多くのルネッサンス期の画家が絵画としました。トロイで敗残の人々の一部がローマに渡って、ローマを建国したとの一説もあります。ヨーロッパ人の青年期は科学(紀元前に地球の外周距離をほぼ想定、ピタゴラスの定理、AD120年には48の星座を記録)・芸術(アイスキュロス・ソフォクレス・エウリピデスの悲劇や彫刻や線絵の壺)・哲学(ソクラテス・プラトン・アリストテレス)民主制(多数決による統治・裁判)・オリンピック等マラソン等スポーツを他を立ち上げたのはギリシァ人であり、他民族を取り込み、他者を認めるこころの広さを発揮したのが壮年期としてのローマであり(BC1世紀のキケロはギリシァ人の優秀性は認めるも、証言の重要性等フーマニタースと称する人間性をを知らないといっている。議論をふっかけて人間とは何かを考えたソクラテスは裁判で多数決により死刑を宣告された)、ギリシャ・ローマを引き継いだ現在のヨーロッパは熟年期とも例えられるのでしょうか。

 ギリシァ連合軍とトロイとの戦争から気の遠くなるような年月、およそ3250年ほどが過ぎ、その後の他民族の流入で現在のギリシァは、古代のギリシァではありませんが、ECの中で大変な財政危機の状況に追い込まれています。ギリシァ神話を勉強して思いましたのは、古代の叡智を今一度、呼び戻し、ヨーロッパが一つとなって今回の危機を脱出して欲しいことです。
 (参考図書 阿刀田 高「私のギリシャ神話」 逸見喜一郎「ギリシャ神話」 地中海文化を語る会編「ギリシャ世界からローマへ」)(2012.2.11 中川 昌弘)

[ギリシァ神話を学ぶ(2/3)]「メディア」

ギリシァ悲劇「メディア」を記します。

 紀元前のずっと昔、エーゲ海の奥深く、イオルコスという地をアイソン王が治めていたが、父親違いのベリアスに図られ、王位を失う。王子が成年に達するまでということでしたが、次々とベリアスは王子たちを殺し、末弟のイアソンだけが残り、山中に逃げ、半人半馬の賢人ケイロンに育てられ、厳しい教えを受けました。
 成人になってベリアスの前にイアソンが出て行って王位の返還をこいました。ベリアスはコルキス(コーカサス)にある金の羊の毛皮を取り戻してほしい、王位はそれからだ、といったのでした。イアソンはアルゴー船で東に向かいました。

 コルキスのアイエテス王は申し出を断りました。

 幼神エロスが神々の意向を受けて、コルキスの王女メディアに金の矢を射て、イアソンを恋こがれるようにしました。王女メディアはイアソンに首ったけとなり、イアソンに煎じた薬を体に塗り、やけどをしないようにして、不眠の竜も薬草で眠らせ、金の羊の毛皮を奪い、イオルコスに持ち帰ったのでした。

 譲位を迫りますが、ベリアス王は「少し待て」というのをメディアは若返りの薬を与え、ベリアス王を殺します。イアソンはようやくイオルコスの王となりました。

 イアソンとメディアの間に子供が出来ます。イアソンはコリントスの王女とねんごろになります。コリントスの地もイアソンとメディアの間にできた子供が継ぐことで、イアソンはメディアの了解を求めたのでした。

 メディアの怒りは心頭に達し、コリントスの王女を猛毒の衣装で殺し、一粒種の子も殺してしまいます。愛する夫イアソンに対しては何も出来ませんでした。その後のメディアは、ようとして消息は不明でした。メディアの子孫が王になる、それでいいではないか、は男の論理。夫は憎い、でも愛している、結局、分身の子供を殺すその情念たるや現在でも涙を誘います。
 
 BC5世紀ごろ、ポリスと呼ばれる都市国家が200はあったようです。当時は、ソクラテスもアテネの町を闊歩し、議論をふっかけていたことでしょう。このころにエウリピデス「メディア」が製作されたのでした。当時の人々は、ペルシャとの戦争に勝ち、奴隷制のもとに過酷な労働からは解放され、昼間、悲劇(喜劇)が人生を考える場として円形劇場で上演され、楽しんだのでした。コロン=合唱隊の歌と仮面をつけた語り部の俳優で構成されていたようです。近代に一大発展している姿が歌・ストーリー・背景と五感を総動員して楽しむ歌劇だと思います。

 
 (参考図書 阿刀田 高「私のギリシャ神話」、地中海文化を語る会編「ギリシャ世界からローマへ」)(2012.2.11 中川 昌弘)

[ギリシァ神話を学ぶ(1/3)]「アポロン」

少し、ギリシァ神話を勉強しました。3回にわけて記します。

 アポロン(英名アポロ)は大神ゼウスとレトの間にエーゲ海にうかぶ3km2のディロス島に生まれた双子の1人、芸術・予言・弓術・医療・牧畜・哲学の神様です。

 昔、昔のギリシァでは毎日、陽があがるころから陽が沈むまで太陽をアポロンがヘイバイトスの造った4輪馬車を駆動して引っ張っていると考えられていました。(双子のもう1人はアルテミス[英名ダイアナ]月を馬車で駆動していると考えられていました・狩猟の女神)アポロンはニュンペーのクリエメネーとの間にバエトーンという子がいました。バエトーンはアポロンの子ではないと人々にいわれたので、真偽を父アポロンに聞いた。「本当にわたしの子だ」とアポロン。「本当なら何でも聞いてくれますか?」とバエトーン。「それでは、太陽の運行の4輪馬車を貸してほしい」とバエトーン。その危険性故にアポロンは断りましたが、どうしても、バエトーンがいうことを聞かないので、あまりのひつこさに、しぶしぶアポロンは了解せざるをえませんでした。
ある日、4輪馬車のたずなを息子にゆだねました。喜んだバエトーンですが、馬車の制御が出来ず、蛇行、大地は、炎と化しました。大神ゼウスはやむなく、自身の得手の雷電をバエトーンに投げつけました。バエトーンは馬車から放り出され、炎の中に死んでいきました。バエトーンの妹のへーリアスたちは、兄の運命を悲しんで、河岸のポプラの木になりました。彼女らの涙は琥珀の球になりました。

 アプロディテ(英名ビーナス)はクロノスから生まれ、西風に吹かれてキプロス島に流れ着きました。アプロディテの子エロス(英語名キューピット)は相手に黄金の矢を射ると、恋こがれるようになり、鉛の矢を射ると、きらいにする力を持っていました。エロスはアポロンに黄金の矢を、ダプネに鉛の矢を射ました。アポロンはダプネに恋こがれるのでした。ダプネは逃げ切れず、月桂樹になってしまいました。アポロンは悲しみ、ダプネのことを思って月桂樹を冠としました。現在でも、スポーツの勝者に月桂冠があたえられているのはその名残です。

 アポロンはヒィアキントスという少年を愛しました。二人で円盤投げの遊びをしていたら、アポロンの投げた円盤がヒィアキントスの頭に当たってしまいました。そこから鮮血しヒィアキントスは死にましたが、倒れたところから真っ赤な花が咲きました。その花をヒァシンスというようになりましたとさ。

 アポロンは芸術の神として、世界のオペラの殿堂ミラノ・スカラ座の建物上部に4輪馬車の駆動姿が浮き彫りとなって今も勇姿を人々に魅せています。
 (参考図書 阿刀田 高「私のギリシャ神話」、トマス・ブルフィンチ 大久保博 訳「ギリシャ神話」上下)(2012.2.11 中川 昌弘)

2012年1月27日金曜日

[エッセー]「いのち を はぐくむ お食事」

先日、新聞に「100歳までサビない生き方」という本の宣伝が出ていました。その中に“「水」の飲みすぎはよくない“との一項がありました。さっそく大手の1-2FあるT書店に行き、店員に問い合わせしました。「しばらく待って下さい。」と端末を操作され、2Fの係員に携帯電話で調査依頼2Fになし、1Fまで探して頂いた。この間、5分。やっと手にとらせて頂いた。一目見て、買わざるをえなかった。(笑い)

 白澤卓二(順天堂大学大学院教授・医学博士)著。30-60歳の女性をターゲットとした本だった。水については、日々、ジュースやお茶などで摂っている程度でよいと書かれていた。(それまでの私の知識は、医学博士等の著書と雑学によって、食事の1時間前に、良質の水を飲む、朝起きて、肌温度のコップ一杯の水、お風呂に入ってコップ一杯、同様・・・)そのおりおりごとに判断したい。年齢とともに、水の飲み方も変わるだろう。こうだとの思い込みはさけたいと思いました。

 「100歳までサビない生き方」の一部を紹介しましょう。

 食事については、食材の色を注意して、からフルにとる。野菜をべースにミソ・しょうゆ・キムチなどの醗酵食品を摂る(肉・魚も必要)。朝食は必ず摂る。昼は20分、夜は30分かけて、良くかんで食べる。その他・・・・食べることに注意してインナーからビューティーをつくる。免疫力をつくるポイントは整腸であること、(いらない用済みのものを排出して、おなかの中をすっきりさせておく)等々101のポイントがわかりやすく述べられています。

 現在、注意深く摂っていますのは、良質のヨーグルト、キムチ、納豆、プルーン、ひじき、少量のナッツ類、酢のもの、鮭、じゃこ等一物全体食などで、ベースはカラフルな野菜。コーヒー・お茶(プーアール)もひんぱんに飲んでいます。

 前回レポートの多胡輝さんの本では「まごわやさしい」 「ま(マメ)」「ご(ごま)」「わ(わかめ)」「や(野菜)」「さ(魚)」「し(しいたけ)」「い(いも)」がよいと紹介されていました。

 食が人間を創る、究極は整腸が免疫力をつくるわけでして、よく考えて日々の食材を選び、よくかんでいただきたいと思っています。そしたのちに、生かされるいのちを精一杯生きていきたいものと願っています (2012.1.27 中川 昌弘)

2012年1月6日金曜日

[エッセー]笑いの効用

かって、「笑わない人だ」といわれたことがある。またある時は、「笑う門には福来る」の色紙を贈られたことがある。小生に「笑い」が少ないことを示しているようだ。

 昨年末、多胡輝著「100歳になっても脳を元気に動かす習慣術」を読んで「笑い」の脳へのよい影響を知った。この本は5章からなるが、第1章に「ボケ防止に笑いはつきもの」と多胡氏の強い「笑い」へのメッセージを汲み取ることが出来る。

 ダグラス・フェアバンクスは「10時までに顔に微笑をたやすな。そうすれば微笑みは1日中、顔から消えないでいるだろう」といっている。

 触発されて、朝、寝床で昨日のことを思い浮かべ、笑いのネタを探すようにしている。この時、頭の中がくるくると回転しているのがわかる。「笑い」のネタが見つかったら、誰かに言ってみる。相手の「笑い」をとれれば、その時自分も「笑っている」。

もう何十年も前に、このことにきづいていたら、多分、もっと出世していたろう。

 ボケ防止の決定打は「笑い」であると多胡さんの意見に同感します。

今の日本を明るくするのも「笑い」だ と思います。

明治時代はじめの東北の日本人は、暮らしぶりは素朴だが、「みな笑って生活していた」とイギリスの女流探検家ルースさんが記録に残しているとのことです。

「笑い」の根源は「足るを知る」ことかもしれません。(2012.1.6 中川 昌弘)