2009年1月15日木曜日

中国名言集⑤宋襄(そうじょう)の仁

 斉の桓公が、BC643年に亡くなった。殷の棄民が国を作っていた宋に襄公という後世、次のことで有名になる宋国のTOPがいた。中国南部に楚という国があり、宋の襄公が中央部で覇権を得ようとしているようで、面白くないものを感じていた。BC638年冬、楚は大軍を整えて北上し宋との国境の泓水のほとりにおしよせた。宋軍の面前で隊伍を乱して川を渡り始めた。参謀の子魚が、
「襄公どの多勢に少勢の我々は今攻めるべきです。」といった。
襄公は、そ知らぬ顔、楚軍は川を渡り終えたが、隊列が整わない。また、参謀の子魚が言った。
「今こそ、攻めるべきです。」
襄公は動かなかった。ようやく敵の隊列が整った。襄公はついに言った。
「かかれ!」

 その結果は散々だった。部下が口々に不満を言った。襄公は「われ亡国の子孫なりといえども、列をなさざる敵に向かって鼓を打たず」と。

 この時に受けた傷で翌年襄公は亡くなった。(藤堂明保「中国名言集」上より脚色記載)

 何とも、痛々しいが、清々しい話です。これが人間が「義」を重んずるということなのでしょう。中東では現在きなくさい紛争が起こっています。正々堂々たる史実を多くの国の人が共有し歴史に学んでほしいですね。(WELL BE)

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