2009年1月28日水曜日
中国名言集⑦詩書礼楽をもって治む
藤堂明保「中国名言集」(上) 「詩書礼楽をもって治む」より主たるところを引用してご紹介しましょう。図は春秋時代の中国を大づかみのため"晋"を加えました。当時の。春秋五覇=黄河下流の山東省に斉、その西隣の黄河北に晋、揚子江の南に越、その西北揚子江沿いに呉、揚子江上流北に楚がありました。
孔子生誕より約100年前、BC659年秦の王位に繆公(ビュウコウ)がついた。当時の中国は春秋五覇(斉・晋・楚・呉・越)が周王をみかけ上の盟主としていた。秦は黄河のコの字を左90度回転させた下部にあり、当時「夷狄(いてき)」と見られていた元遊牧民でした。中央の勢力に関心を持ち、紆余曲折を経て2人の政客を採用しました。それが蹇叔(ケンシュク)と百里奚(ヒャクリケイ)でした。この「二老」をブレーンとして、その知恵と情報を利用してついに黄河の岸(山西-陝西の境)までを勢力に収めて「わが馬に黄河の水をのましめん」という野望を実現したのでした。
繆公(ビュウコウ)の晩年、遊牧民「西戎」のところから由余(ユウヨ)という漢人が使者としてやってきました。
繆公「中国は、詩書・礼楽・法渡で政治をしているが、時に乱れることがある。夷狄にはこれがない、何をもって国を治めているのですか?」
由余「これこそが中国が乱れるゆえんです。上古聖帝の時代は別として、後世に及んでは、貴族は豪奢に流れ、法はいきわたらず、責任を下にかぶせています。上下恨みあいて、殺しあっています。しかるに、夷狄の人たちは上は徳をもって下に遇し、下は忠信をいだきてその上に仕えていますね」
夷狄からみれば「詩書礼楽の文明」は封建貴族の退廃と、はてしない消費の競争にすぎないと思われたようですね。繆公は文明とはおそろしい毒をもつものだ、と思ったようです。東方の毒気にあたらないように注意をして政治をおこなったとのことです。
最近のTVニュースに北朝鮮の金正男が流暢な英語で、つやのある風貌をみせていましたね。本国では対照的に質実に生きている2000万人余の同胞がいます。北朝鮮のリーダーがこの名言を見れば胸をなでおろすかもしれません。結局は、いずれの陣営の国も、国民に十分な「職」と「食」を提供でき「希望」を与えられるよう、指導者が情熱をもって指針を出し、国民もボトムアップする英知を発揮していかねばならないと思います。アメリカのオバマ大統領の決意と国民の熱気、わが日本では大阪府橋下知事の熱意のリーダーシップと府民の支持、地球の処々で変革の動きがでていることは頼もしいことです。(WELL BE)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿