いずれも老子の言葉です。
「史記」によると孔子が洛陽に周の蔵書かがりをしていた老子を訪れ「礼」を教えもらったと記述されています。老子の活躍時代はいろんな説がありますが、孔子と同時代とも考えられ、紀元前の中国の墳墓より「老子」の言葉を書き付けた布片が出土しています。その言葉は5000字強で、函谷関の関守の依頼で「道」と「徳」81章を作成し、関守に渡し、どこともしれず去ったと記録されています。
⑧「上善(若)如水」(原書には若とありますが如としました、)とは小川環樹訳注「老子」によると「最上の善とは水のようなものだ。」(水のよさは、あらゆる生物に恵みを施し、しかもそれ自身は争わず、それでいて、すべての人がさげすむ場所に満足していることにある。(水を)「道」にあれほど近いものにしている。)ということです。・・・水は高きところから低きところへ流れていきます。似ている名言に「水は方円の器に随(したが)う」(韓非子)というのがあります。水は柔軟で四角の器にも、丸い器にもおさまる、つまり、上しだいで下がついていくという意味です。わが国の戦国時代の知将、黒田如水もここから名づけています。
⑨「足るを知る者は富む」同訳注によると「(もっているだけのもので)満足するのが富んでいることであり・・・」ことわざ慣用句辞典によると「満足することを知っているものは、たとえ貧しくとも精神的には富んでゆたかである。」とあります。この考え方からでたと思われるのがロを真ん中に吾、唯、足る、知るという円形の字体です。
老子は現状を満足、何かするよりも何もしない方へ、大よりは小へ、高いところより低いところへ自分をおくといった考え方で、まず個人の健康であることがなりより大切であるという主張です。
「道」を標榜し、人より「地」が、「地」より「天」が。「天」より「道」が上位で、「道」の上位は「自然」すなわち何もしない天真爛漫の赤子の状態とのことです。国で言えば、治めず、自然のままがよい、上の人は下の人に干渉しない、それ故、国は小がよい。儒教思想がやかましく人倫を説く時、その反動として、ほっとする中国の人々の心のよりどころが、老子そして後に紹介したいと思っている荘子だったようです。老荘思想はやがて道教となっていきます。(WELL BE)
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