孔子(BC552-479)の言った言葉として「論語」学而篇にある。
「学而時習之、不亦説乎。有朋自遠方来、不亦楽乎、人不知而不慍、不亦君子乎。」(学んで時には復習する、うれしいですね。(一緒に学んだ)友が遠くから訪ねてきてくれる。また、楽しいことですね。人が(自分が学んでいることを)知らないことだって、何とも思わない。君子ですね。)
今の中国山東省にあった魯の孔子の生きた春秋時代は下克上の列強国割拠の時代でした。魯国の司法大臣まで登りつめたが、56歳以降69歳まで多くの弟子たちをつれて魯国を出て諸国をまわる。伝えられる数字では3000人の弟子を有していたというが。孔子の死(BC479)以降弟子たちや孫弟子たちが孔子の言った言葉を残した。20篇に及ぶ。その中の最初にあるのが冒頭の言葉です。
孔子は「周」のよき昔に戻すべく、君臣、親子さまざまな「礼」を守ること、親子の「孝」、人間として生きる上で大切なことを人々に語りかけた。「論語」の最初に学ぶこと、そして時に復習すること、一緒に学んだ人たちが訪ねに来てくれる喜び、そして自分の能力をたとえ人が知らなくてもいいじゃあないか、と語りかけてくれる。
中国では漢代以降、孔子・孟子を中核にすえた儒教が国教となりました。以降、中国の各層によきにつけ、悪しきにつけ中国人のバックボーンとなって今日に至っていると思います。
日本には6世紀の半ばに百済より「論語」がもたらされた。おりおりの政権に重要視され、聖徳太子の17条憲法「和を以って貴しとなす」も論語にあり、徳川家康の遺訓「人生は重荷を背負って山道をいくが如し、急ぐべからず」も論語が原典にあり、家康は論語学習を押し進めました。江戸時代では町民から武士まで「論語」を学ぶことががさかんとなりました。武士道に「忠義」等多大の影響を与えました。明治以降、和魂洋才で一旦は漢籍を捨てたかに見えますが、どっこい儒教は日本的儒教として人々の底流に生きていると思います。それがこれらの論語に元をなす名言です。他に「一を知れば十を知る」「・・30にして立つ、40にして惑わず、50にして天命を知る。・・・」「仁義」「孝行」・・・古くなった理屈は取捨し、今に通用するものは取り入れて勉強していきたいと思います。野球用語の敬遠も元は論語にあります。「三省堂」の三省(友に謀りて忠ならずか、交わりて信ならずか、習わざるを伝えしかと日に3省する。)、「温故知新」(古きをたずねて新しきを知る)、「学習院」の文字も、明治の元勲山形有朋も「論語」よりきているとのことです。陳舜臣「論語抄」他を参考としました。(WELL BE)
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