2008年12月28日日曜日

中国名言集①文字あらわれて鬼すすりなく

 今からおよそ3500年前、中国で文字が生まれた。殷という国が中国東部(山東省・山西省)にあった。殷王が、ことを起す際に占い、結果を獣や亀の甲羅に文字(甲骨)を彫り付けた。甲骨文字から、文字が作り出されていった。文字がなかったころはヒモを結んでお互いに示し忘れないようにした結縄の世(「周易」他にみえる)であったという。文字は権力の支配の道具として生まれた。「人」、「子」、「女」は形をなぞらえて作る象形文字として生まれたが、3300年前ころ動態漢字として、女が子どもをあやして、すきすきする様を「女+子」とし、「好き」、人が木陰で休むのを「人+木」で「休む」としていった。殷第27代 武乙(ブオツ)のころには2~3000の記号が揃って、一連の事柄をメモできる「文字」の体系ができあがった。(以上*)

 文字は残虐な支配者の記録でもあった。例えば「懸」という字は「首」を逆さにして糸で吊るしてぶらさげるという字源です。心をとれば「縣」として○○縣として境を表す字となります。20世紀前半まで、中国では「字を書いた紙」を鎮魂のため燃やす「惜字炉」がありました。漢字には魂が宿っていると信じられてきました。(以上**)中国の古いことわざに「文字あらわれて鬼(人魂)すすりなく」(列氏という書にみえる)とありました。(以上*)

 日本には紀元前後中国から漢字が伝えられましたが、当時は言霊の世界で、言葉にして言うことに霊がこもるという考えがあり、以心伝心の世界に容易に文字が踏み込みませんでした。6世紀、仏教が百済から招来され聖徳太子の時代以降、漢字が採用されるようになってきました。支配者として道具が必要になったのでしょう。500年間、漢字を受け入れるのに躊躇してきた国民性にも思いを馳せてみるのも、興味深いことです。(以上**) 


 中国の古い歴史をことわざでたどろうと、先学の書籍を勉強して、紹介しながら断続的に掲載していきます。ご笑覧くだされば幸いです。(WELL BE)

(*)朝日文庫 中国名言集(上)=藤堂明保=より一部または大要を引用 、(**)NHK日中二千年漢字のつきあい=加藤 徹=、より一部または大要を引用)

2008年12月26日金曜日

映画「歩いても、歩いても」を観ました。

 12月に入って以来、忘年会が続き、不養生がたたって風邪を引いてしまいました。熱が出ましたので、懸命に寝て、ようやく小康を得て、妻との映画クラブとして「歩いても、歩いても」を12.26(金)千里セルシーシアターで観ました。

 ほぼ、80%の入りで関心の高さが伺えました。

 原作・脚本・監督 是枝 裕和、出演 阿部 寛、樹木 希林、原田 芳雄 老夫婦と息子と娘夫婦の盆の里帰り(長男の15回目の命日)をベースにおき、観る各人に日常をだぶらせて思い起こさせるよい作品でした。(例えば、次のようなことです。)

 広い家に医者であった老夫婦が住んでいる。長女一家がいそうろうできないか?と思っている娘とそうはしたくないと思っている?母親の心理がこまやかな包丁さばきに織り成されている。

 息子夫婦は、失業中をかくして、両親と対話しながらとりつくろう。親父のがんこさ加減、息子の意地の張りようが会話と態度ににじんでいる。

 私はこの映画を観ながら、小津 安二郎の手法が入っていると思った。海のアル丘の上の風景、電車が丁度頃よい時に視界に入ってくる。また、去っていく。小津と違うところは、静と動が画面で混在していること。これにより、画面に躍動感と観る人に少々のいらだちを与える。若い躍動感を感じ、是枝監督の可能性を見出すことが出来る。

 お正月も上映しています。(WELL BE)

2008年12月11日木曜日

関大二階堂 善弘教授の「日本禅宗寺院に残る宋代の神々」受講しました

 渋沢栄一記念財団寄附講座 関西大学  二階堂 善弘教授の「日本禅宗寺院に残る宋代の神々」を12.10(水)、受講しました。

 中国から渡った神々は日本ではそのままの当時の姿を残していますが、中国・チベット・朝鮮においてはともに変化し、その変化はほぼ同一とのことでした。例えば4天王の持ち物・・・現在では・・・

     日本         中国他大陸
多聞天 宝塔と三叉の戟    傘
広目天 筆と巻物 戟槍    蛇または龍
持国天 刀・槍・戟 金剛杵  琵琶
増長天 刀・槍・戟 金剛杵  剣

(私見)日本は物持ちが良いのか? 変更を嫌うのか? 外来文化に畏敬の念があるのではないでしょうか?これらは唐の時代からの到来物と思います。多少当時はキナくさかった(刀・槍・戟をもっていらっしゃる)のでしょうか?その後、大陸では平和がおとづれ、傘や琵琶をもつことに変化したと思います。青森の「ねぶた祭り」も中国からの輸入のもので、現在の中国ではなくなっていて、日本で見れる喜びを王敏さんが書いておられました。

  現在の中国では、三国志の関羽を神格化した関帝を祭っていることが多く、当家でも横浜で買い求めた関帝像が矛をもっていらっしゃいます。

 二階堂教授は当講演会シリーズの司会をされていますが、中国の神様他、ITにも強い方と知りました。いつも、ひょうひょうと司会されている二階堂教授には中国の神々が守護され、中国の神々の研究を進めておられるように思いました。(WELL BE)
          

2008年12月8日月曜日

関大3研究所合同シンポジゥムに出席しました。

 12.6(土)関大東西学術研究所、経済・政治研究所、法学研究所の合同シンポジゥム「アジアにおける経済・法・文化の展開と交流」に出席しました。概要をお知らせしましょう。

 KARIMOVA Surayoさん(ウズベキスタン科学アカデミー副所長)の発表
 ギリシャの科学の伝承者として中世の時代を通してインドの0の概念をくわえた数学・天文学・航海術等の研究が盛んで、後にヨーロッパ社会に諸技術を伝播させた。蒙古の襲来、植民地時代、ソビエト連邦では有益な発展は出来なかった。(通訳 神戸大学磯貝さん)

 徐 国君さん(中国海洋大学学長補佐・教授 ハイアール他社外取締役)の発表
 現在の財務会計は、資金・資本の管理が基本となっている。行為価値を加えた立体会計が必要である。行為とは人間の行為のことで、人間の創意工夫による価値創出が会計として含めねばならない。尚、具体化に向けて緒に就いたばかりとの事でした。発表後、価値の追求は資本主義でないか との質問に対して、資本・お金に主眼をおかず、人間に置くところが違うとの事であった。(通訳 唐 楽丁寧さん)

 杜 鋼建さん(汕頭大学法学院院長・教授)の発表 
 中国政府のトップ層に、儒家思想(日本では儒教)の大切さが理解されてきつつあり、「公」から「民」へ流れが変わっていくだろう。
 現在の問題は「公」が「公の権益」を増やすため「規制」をかけ、「公」の人達の出世につながるような制度を作ってきた。杜さんの主張にようやく誤りに気がついて、政治のTOP層が耳を傾けているとのことでした。発表後、武士道は儒教思想に裏付けられているとの質問に「侍は刀を抜かないことを旨としている。儒家の思想は「徳」を大切にしている。」との回答をされていました。(通訳 白 巴根さん)

 中国の変わりゆく現状を認識しました。行為価値会計の導入の目論見、「公」から「民」へ、香港・マカオ・台湾統合を意識した「儒家の思想」による政治がじわじわ進んでいくのでしょう。この先は国家の代表が選挙で選ばれることも遠い先に意識されていると思いました。中央アジアの科学の貢献については忘れられがちなことで東洋と西洋をつなぐ意味でも伝播する意味でも大切な地域だと思いました。(WELL BE)

2008年12月4日木曜日

王柯先生の(歴史の和解・民族思想の超越)講座を受けました

 12月3日関大、渋沢栄一寄附講座で神戸大学王柯先生の「歴史の和解・民族思想の超越」講座を受講しました。次の通りでした。

○民族について
1 「民族」とは 日本製漢語 族が矢という字を含み潜在的に戦闘性がある。明治時代の国粋主義者が考案したのを、日清・日露戦争で勝利した日本に中国の当時の最高級の識者が来日して日本知識人(主に国粋主義者多い)と筆談をもって交流してこの語を中国に広めた。

2 その一人、魯迅は「藤野先生」で謙虚・勤勉の日本人を知る一方、日露戦争で勝利した、日本学生の戦場での残虐性を指摘している。

3 孫文は東京で夫妻の写真を撮っている。民族を当時支配していた、満州族から漢族の国にすべきと「民族意識」を高揚し、辛亥革命で「中華民国」を樹立した。樹立後は、歴史的、地理的要因で満州族を除外しなかった。モンゴル・チベットはいずれ回復するとの路線をひいた。

4 その後の日本の中国侵略で初めて「異族」を認識した。中華民族という概念が出てきた。

5 戦争時代、競って「百人切り」とかの言葉が新聞にみられた。中国人がもしそんなことをしていたら、日本人はそのことを知ってどう思うだろうか?やはりむごいことが国民の意識としてあった。。

○北京オリンピック後のある対日意識と中国の反省
1 2008.9.17 杭州 日本女性サッカーがドイツと対戦、中国の観客はドイツを盛大に応援した。

2 屈辱感を味わったその戦いの後、日本女性サッカーチームは 謝謝 中国の 横幕を用意し、中国観客に礼を表明した。

3 このことで、中国の人は自分達の 不明 恥を知った。 
・・・9.18が満州事変の起こった日であることに原因しているようです。

(中川私感)
1 中国の人々に抜き差しならない戦争に起因する反日感情がある。 

2 王柯先生には、日本に侵略された被害者意識がみられた。

3 我々は、中国人に接する時、潜在観念の中で「日本人は残酷、侵略性がある」と思っていると考えた方がよい?と思います。

4 我々日本人には他に向かう、残虐性があるのだろうか?・・・韓国の金先生のいわれるように、四界、海に閉ざされているために知らず知らず内向き指向となり、逆切れが外に向かうと残虐性になるかも。日頃からホンネレベルで自己の表出が必要なようです。

◎結論 日本と中国は、「民族」と「国家」の枠をはずして、交流すべきである。その心は「友好」。

○台湾のこと 質問で台湾学生から、本土との民族意識について王柯先生に質問がありました。「台湾と原住民を除けば同じ(漢)民族、政治家ではないので、発言に責任がありませんが、50年後統一されているでしょう」と。・・・すっと50年という言葉が出た。日本の総理にしても一般人にしても、すっと50年後という言葉がでるだろうか?と思いました。時間をかけて解決する問題が日本にないのと、思考形態が短期的ではないでしょうか。

王柯先生のまじめな、どこまでも日本に一部の警戒するような眼があることを感じ取ったのは、いきすぎた見方でしょうか?漢奸(日本びいきの漢人として本国人から白い眼を向けられる)にならないようにと注意されているようです。検討中の「日中の歴史とりまとめ」の10人の中国人学者の8人までをご存知とのことです。(WELL BE)

2008年11月29日土曜日

中国について

 関大渋沢栄一記念財団寄附講座「東アジアと日本 過去・現在・未来」4回受講他NHK教育TVで最近勉強した「中国について」をまとめました。茫洋とした大国の中国を浅学の小生が、先人・偉人から聞いた聞き置きとしてご参考いただければ幸いです。

中国の基本思想の骨格は紀元前500年-同200年の戦国時代にほとんどが出尽くしている。(作家宮城谷 昌光さん) 孔子・孟子・老子・荘子・墨子・・・群雄の諸国が割拠していた時代、支配者は賢人を探し、その意見を入れて政治を行った。・・・そうなのかもしれない、ひるがえって日本には比肩する思想家はまだ国民の間に定着していない。

近代中国の一般語彙のおよそ1/3(約1000字)は明治時代の初め日本より逆輸入された(明治大学 加藤 徹教授) 人民・共和・銀行・金融・民主・自由・経済・権利・義務・国会・憲法・司法・立法・行政・・・清末期の中国の学者は、中国の古典をベースとして新しい概念をいいあらわそうとした為、「経済」は「計学」、「社会学」を「群学」としたり、どうにもならなくなったとのこと。・・・このことが素直に中国の人に伝わっていないかも。。。

中国の歴史家は総じて政権の正当性を主張する役割を持つ(東京大学 北岡伸一教授)
・・・いろいろな日中戦争の犠牲者の数字が出ているが、歴史家が政権の思惑を踏まえて発言しているかもしれません。慎重に発表された数字を見極めねばならないと思います。加害者で侵略者であったことは間違いない事実ですので、一部の指導者にその責をゆだねず、一人一人の国民は先祖の過ちを受けてたち、謝り、賠償請求破棄については今後に報恩の行いが必要と思います。かって小生が上海を旅行した時、頭の陥没した人が、日本人だと知って、頭を指差し、お金を求められました。小額の寄付でその場を済ますことが出来ました。
 
チベットの人権問題を外国の人は云々するが、自国の尺度と自国の利益の視点で見ている(中国中央民俗大学副学長 ショニマさん[チベット族]) 中国の民族自治区に入る前は、奴隷制度で人民の90%は自由がなかった。現在は格段に改善されている。

30年-40年待って欲しい、公害の問題も解決されているだろう、中流層が育ってきている(東洋学園大学 朱 建栄さん) 30年前、日本も公害に悩まされ、克服して今日の日本があるように、中国は日本の30年前と一緒の状態です。時間をいただければ、解決していきます。現在、富みが一部の人に偏り国民の10%の人が国の富の41.6%を占めています。(日本39%、フランス62%、アメリカ69%)格差感がありますが、中間層がそだっています。低所得層7億人、中間層5億人、富裕層1000万人(年1500万円以上)。徐々に改善されていくでしょう。地方の長より選挙によって選ぼうとしています。何十年も経つと国のトップも選挙で選ばれるでしょう。日中は成熟・助け合い・協勝でいかねばならない。・・・あまりに広く、大きい国で、もう少し勉強した後でないと判断がつきません。

中国人は100年、500年先のことをいう(某経営者) 日本人には考えられない遠い先のことを考えて、ものをいう。・・・幾人の方にも聞きました。全員がそうなのか一部の人か判断つきませんが、そのような方が多くおられるのでしょう。 

中国人は国のトップに茫洋たる人を選ぶ(作家 北方 謙三さん) ・・・毛沢東、周恩来を思い描けばぴたりと当たっています。人口が多いので、麻生さんタイプはこの国ではもたないと思います。日本との国交回復で「小異を越えて大同につく」と毛沢東か周恩来がいっていました。

中国の思想・哲学・文化の主流は(天・道・性)「理」(公共哲学共働研究所所長 金 泰昌さん)・・・中国語で「雨が降る」は、まず現象がある何かが降りてくる、それは雨だった。「下雨了」
「雨がやむ」は、既に雨が降っているので、主語+動詞で「雨停了」
 この語順を考えると、中国の人は「理」屈でものをいう、考えるようです。この意味はまだまだ理解できません。ちなみに金さんは「韓国」は(相通・通変・通達)「気」と「日本」は(内面・内側・内向)「場」といわれています。

中国人は家族・友人とのつながりがある(関西大学 竹内 洋教授) 日本では「カウンセリング」が若い人の間でひろまっている概念、中国では現在のところそうでない。このことは日本の若者は孤立して相談相手がいない、中国人はいるということなのだろう。・・・中国人は友人を大切にします。食事でもよばれると大皿でたっぷりと出て、どうぞどうぞと。先の大戦で、中国の人は多くの日本の孤児を里親としてひきとって育てていただいたが、今の日本だったら、どうだっただろうか?まず、家族がつながっていた過去のよい習慣を今に戻さねばならないでしょう。

 広大で巨大な中国のことを一匹の蟻が勉強しています。また、3ケ月後くらいにレポートいたしましょう。(WELL BE)
 





 

2008年11月19日水曜日

映画における人生の時間=講演を聴いて=

 11月18日大阪谷町四丁目さいかくホールで公開講座フェスタ2008、羽衣国際大学安東教授の映画における人生の時間-その縮小と拡大-を聞きました。概要は次の通りです。

人生とは再会と別離
 小津安二郎監督「東京物語」で冒頭と最後のシーン はじめに夫婦二人の会話があり、最後に夫1人の映像有、それぞれ第3者が窓越しに挨拶する。

 木下恵介監督「二十四の瞳」高峰秀子の扮する先生が、教え子の戦後の姿に戦争での別れ、病による別れ、等々に出会う。

 いじー・メルツェル監督の「老優の一瞬」では人生は10分ほども長くはないと、老優の皮膚にしみこまれた人生を若い頃の映像と帰し方の映像を織り交ぜ、人生の一瞬を映像で見せてくれる。

 ろべーる・アンリコ監督の「ふくろうの河」では、南北戦争で敗れた南軍の兵士の処刑場面を映す、首に縄がかかり、下は渓流、処刑の寸前、受刑者は瞬間の希望に思いを馳せる、・・・河へおとされた、手の紐を解く、もがき、足の紐を解く、もずもに出る、鉄砲が撃たれる、かいくぐって必死で泳ぐ、激流を下る、砂場に手をかける、生の喜び、ひたすら林道を走る、眼前に愛妻の顔が、・・・・はたして結末はどうだったのだれぞれのろうか・・・・

 安東教授のゆるやかでなめらかな講演は続く、まるで映画を観ているようだった。

 今回の映画講演に観たのは、人生の別れと希望、終焉の姿だった。受講者はしんみりと安藤監督の映画を味わった。人生とは、生きるとは、それぞれの思いをもって帰途についたのでした。(WELL BE)

2008年11月12日水曜日

格差感社会から信頼社会へ

 11.11(火)公開講座フェスタ2008で大阪市谷町4丁目のさいかくホールにいき、関西大学教授 竹内 洋教授の「ポスト格差社会論:信頼社会の構築にむけて」を聴講しました。

 氏の講演の要約をすれば「現在は、格差社会というより、格差感社会であり、お互いを信頼しない”不信社会”であり、お互いが信じあえる、信頼社会の構築にむかうべきである。」とのことであった。

 格差社会について:江戸時代にももっと厳しい士農工商という格差があったが、誰もそのことを問題にしなかった。経済格差が増えると、凶悪犯が増えるという説があるが、そこまでいっていない。格差があるとマスコミにあおられて思い込んでいるが、現実は格差感社会ではないだろうか。

 信頼社会について:カラオケ社会というべき状態で、人に自分のことを一方的に聞かせるが、人の歌(こと)はきかず、次に何を歌うか(話そうか)としている。学生がよく、自分探しというが、親・親戚とつながっているはず、つながりの中に自分がいることになっていない。日本で臨床心理学がはやっているが、これは、自分がどうしたらよいかと相談する人を探しているから。中国ではそのニーズはなく、親・親戚・友人とつながっているのだろう。夏目漱石が「それから」で主人公のダイスケにいわしているが、「昔は人と人がつながっていて、よかった。(日露戦争後)どうもバラバラになってきてよくない。」といっている。これからもわかるように、かなり、以前から、人と人とのつながりが希薄となつてきている。
 これからは「つながり」の中で自分を考えることが大切である。

 示唆に富んだ講演でした。格差については厳然と広がりつつあるという認識を持っています。これは、就業人口の1/3が非正規社員となっていることが所得格差を生み、若年層に「富むルーチンの人たち」と「貧しいルーチンの人たち」に2分化していることが、活力をそぎつつあるのではないでしょうか。この解決の糸口は見えず、グローバル化と金融不安による不景気が更に非正社員の数を増やす傾向にあるのは困ったことです。もう一つは、IT化による対面コミュニケーションの減少と、アメリカの金融危機で見られた机に座っての”浮業”で簡単に稼ぎ、簡単に無くす、汗のかかない”産業”が蔓延しつつあることでしょう。

 信頼社会をつくっていくことは、大賛成です。先日、NHKTVでカンサンジュンさんが夏目漱石の「こころ」を解説されていたが、真にこころを許せる人を見つけることは難しく、またそれが人生の大きな目的であり力となるというようなことを、いっておられた。親・親戚と深くつながり、信頼の置ける人を見つけてその友情をはぐくむことが、人生の大きな力となると思いました。(WELL BE)

2008年10月31日金曜日

2つの国際化の講座で考えること

 10.25関西大学吹田市民大学「国際化を再考する」-日本の国際化をめぐる問題群-政策創造学部教授安田信之氏、10.29渋沢栄一記念財団寄附講座「日中関係と東アジア」-世界史の中の東アジア-ハーバード大学名誉教授 歴史学者の入江 昭氏の2つの講座を聞いて、考えを深め、新たとしました。

 前者の要旨は、国家と個人の関係より、地方政府・中央政府・地球統治体と個人の関係に移行とつつある、あるいは、移行すべきである、ということであった。背景に国際化から地球化にかわりつつある現状の認識にある。日本に在住する外国人の比率は208万人で約2%に近い。個人、NGO、企業が地球的にむすびつきつつある。等々である。

 後者は、世界の歴史をここ130年ほどを2つにわけることができ、1870-1960年代 主要国が確立され、欧米(日)が植民地支配による帝国主義の時代であった。世界の1/4の人々が3/4の人々を支配する時代であった。1970年代より現在までは、多くの植民地が独立し100以上の新興国がおこった。BRICSの興隆、アラブ産油国の隆昌があり、1960年代までは米欧(日)が優位であったのが、そうではなくなってきた。欧州は仏独が過去3度戦争したが、協調し、EUとしてまとまり、東アジアでも中国・韓国・日本が共同体的にまとまる可能性があるとのことであった。

 中国とは、2000年の歴史を通じて、長く教えられ、近代の一時期、教えることもあった。現在は日用品の輸入元として密接な関係となっている。韓国には、1500年の歴史で、漢字・仏教・技術を教えられ、力をつけては侵略すること2回、完全に和解には至っていないが、韓流のドラマを通じて、文化的にはつながりつつある。漢字を共通のベースとして、米をたべる3つの国は、つながっており、文化交流、歴史研究、環境保全・・・、そして実質的な経済で結びつけりばよいと思います。

 世界金融危機という外圧を契機として、互恵平等の立場でつながりの一歩が踏み出せばよいと考えました。まずは、小さな小さな動きとして、中国、韓国のことをよく知ろうと思いました。(WELL BE)

2008年10月25日土曜日

"世界金融危機のいま"・・・関西大学吹田市民大学講座(世界経済と日本)を受講して学んだこと

 9月28日より10月24日まで毎金曜日5回の(世界経済と日本)を受講しました。

 ブラジル、アメリカ、NIESから中国、スペイン、世界マネーフローの中より関心のあるアメリカの金融異変に的を絞って、講座を聞いてみました。知識のなさゆえに確定的なことはわかりませんが、いわゆる"なんとなく"次のようにわかったつもりになっています。

①アメリカのレーガン政権以来の自由開放的な規制緩和路線に、金融破綻の源流がある。
②アメリカは、サブプライムローン等金融工学的な証券等に代表される"ペーパー"を世界に販売して、ドルを集め、資金の要求元の開発途上国にアメリカからドルが流出し、世界の景気を支え、いわば資金の"ポンプ"役を果たしていたが、リーマンブラザースの破綻に端を発して、お金の流れに変調をきたしてきた。
③アメリカの人々は、住宅を担保として、その7-80%の与信限度内でカード等、国民一人当たり一日7ドル程度消費し、商品を買ってきた。
④サブプライムローンは低所得者の住宅ローンを基にしたものでなく、その購入者は投資を含めて2軒目を購入している人も結構いるらしい。仮に1,000万円の住宅ローンのある人の債権を100等分すれば、1人10万円、みんなで薄めて証券化して安全にしょうという当初の狙いがあった。ところが複雑に多くの債権分割をまとめた証券にすると、説明書数十ページとなり、ろくろく中身を理解せず、世界の金融機関に流通がされていた。日本の金融機関もかっていたようである。
⑤リーマンブラザースが破綻したきっかけは、S&B、ムディーズ、ピッツ等格付け会社が、急に格付けを変えたことで破綻した由である。格付け会社の眼がにぶっていたといえる。
⑥日本は国債約30兆円毎年発行して、国内借金を国民が負担して税収約50兆円とあわせ約80兆円の国家予算となっているが、アメリカは不足分を世界から借金して国をまわし世界から商品を買って生活している。日本はアメリカの輸入で国内をうるわしている。中国もアメリカに商品を売って国力を富ましてきた。
⑦アメリカの金融機関が疑心暗鬼となって企業に貸し渋りをすることにより、アメリカ企業の業績がわるくなれば、日本に跳ね返り、アメリカ企業が商品の購入を減らし、日本の企業の輸出が減り、日本の景気に悪い影響を与える。
⑧一方、ドル、ユーロの価値が下がれば円が上がり、あわせて輸出不利となる。直近で1ドル90円強となっている。
⑨講師の先生は、今、株を持っている人は、売ってはいけません。但し、私は責任持ちません。とのことでした。 
⑩ここ数日、世界の資金は日本に集まっているとのことでした。

 また、朝日新聞によると、アメリカの世界に流出する投資資金はしぼみ、自国内の損失補てんに戻っている由です。

 昨日作った駄句 "日は沈む 沈んだ日なら また上がる"

 現役時代の1995-1997年景気ウォッチャーの仕事でした。その頃の 円 最高値 1ドル 78円でした。未来は予期できません。この時代にふさわしい産業、商品が出てくるものと思います。上記まとめは参考程度とされ、読者の責任でご判断をお願いします。(WELL BE)

2008年10月20日月曜日

映画「敵こそ我が友」を観ました

 十三第七芸術劇場で「敵こそ我が友」を観ました。拙宅に新聞折込のチラシもかって入った、配給サイドの熱のこもるPRでした。

 実在のナチスの軍人で、フランスリヨンで、多くのユダヤ人を検挙してアウシュビッツに送り、戦後は、アメリカに対ソ連対策に利用され、むしろエキスパートとして売り込み、その後ボリビアに行き、チェ・ゲバラの暗殺を指揮、同国でナチズムの再興を計画し、最後はフランス法廷で終身刑を宣告され1991年死去した。映画は、ドキュメンタリーとして、当時の実写フィルムをベースに様々な人の取材で構成されている。名はバルビーといい、南米ではアルトマンと名乗っていた。
 徹底的に自己をナチス精神で鍛えると、死ぬまでその精神はついえない。冷酷な拷問も、目的のためなら何とも感じない。追い詰められて「あなたは(若い頃の写真を示して)この人物を知っているか?」と聞かれても「知りません。」と顔色一つ変えずに答えていた。

 国家は闇の部分で、この人物をしたたかに生かし、利用したといえる。ドイツ、アメリカ、ボリビアと。現代でもどこかに、このような人がいるのかも知れない。一人の鉄の男の人生とみれば、不動の精神に驚きを禁じえない、。十三第七芸術家劇場で10月末まで延長して上映されている。(WELL BE)

2008年10月2日木曜日

「教養とは」の講演会を聞いて

 10月1日吹田市メイシアターで大阪大学学長鷲田 清一氏の「教養とは」の講演を聞きました。現代人は1か0かと結論を急ぎすぎる。この反対のじっくりと考えることの出来る人が「教養がある」ということだった。鷲田氏によると明治時代以降、子供は病院で生み、子供は学校に行かせ、身近な食べ物は、作り付けのものを買い、終りには、病院でお世話になり、家族や地域が触れ合う機会さのものが少なくなってきている。そのことにより、他人に何でも考えてもらうことになっており、変でもなくまったく正しいという理屈が成り立ってきている。自分を安全な攻撃を受けない立場におき、他を非難するクレーマーもめだってきている。

 それでいいのだろうか?自分の頭で考える習慣をもつ必要がある。先の衆議院選挙では改革か改革でないか、郵政民営化かそうでないか、2者択一で国民は自民党を選んだ。ニュースキャスターの意見をイメージとしてとらえ、次の総選挙では、民社党? と、自分の頭で考えず、イメージで判断しょうとしているのではないだろうか。その状況をあたかも劇場にいて拍手喝采するかのように。

 自分の頭で考える力が「教養」だと鷲田氏はおっしゃっている。

 新聞TVの内容やキャスターの言葉から、余分なものを捨てさって真実を探り出す力が求められる。静かな環境で考え、ものを書いて考える習慣や議論すること等が必要なことしょう。近頃、納得の行く講演でした。(WELL BE)
 

2008年9月27日土曜日

映画「おくりびと」を観て

 監督滝川洋二郎、主演本木雅弘、広末涼子、山崎努 助演 笹野高史他 映画「おくりびと」を観ました。良い映画でした。納棺師の物語です。

 良いところは、「生」と「死」を考えることにあります。様々な人の「死」があります。観るものは生きている俳優の「死」という作り事と思って観ます。対極にある「生」は「食べる」ことにあり、そのシーンは多く出てきます。何処まで行っても観る人は「生」の立場です。

 音楽は久石 譲、チェロの音色が何ともいえない情感を誘います。

 3人の男優が魅せます。本木さんの真面目な演技が締めます。納棺師としての立ち居振る舞いは、歌舞伎の役者の所作に似ていました。山崎さんの存在感は大きくどっしりして映画全体をまとめています。笹野さんの、脇役として陽性な役どころをこなします。「死」とは次の世界への「門」とは言いえて妙です。

 監督の滝川さんはややもすれば暗いテーマを随所にユーモアを織り込んで、明るくテンポ良く話を進めて行きます。モントリオール映画祭グランプリおめでとうございました。映画館は月曜にかかわらず一杯でした。(WELL BE妻と観る)

2008年9月24日水曜日

映画「ノーカントリー」を観る

 千里中央セルシーシアターで先日、コーエン兄弟監督「ノーカントリー」を観ました。

 映画は最初の数分間で観客の心を掴まねばならないと、クロサワ監督が語っていた。その点も合格、アメリカの砂漠に死体がごろごろ、車の残骸も数台。観るものはこれは一体ナンなのかと考える。
 また私は言う、「よい映画ってのは、観終わって、この映画は何を言いたいのかと考えさせる。」と。その点も合格。狩にいって冒頭のシーンにであって、大金が残っていた。これをもって逃げる男。これを追う男たち。悪を懲らすシェリフもまた追う男を追う。
 この間、死体がごろごろできる。「生」と「死」を語っているのか、アメリカのひどい状態を語っているのか"NO COUNTRT FOR OLD MEN"という原題の意味は何なのか?興味は尽きない。今ひとつ、妻のいうには、アカデミー賞等映画賞を何らかの形で取っていると見ごたえあるはずと。もう一つは誰が監督かも観るポイントだと。その点、「ノーカントリー」は本年度アカデミー作品賞他4冠とっていた。

 よい映画はもう一度観たい映画のことでもある。この映画を機会があればもう一度観てみたいと思っています。(WELL BE)

2008年9月18日木曜日

父が娘に語る「ヨーロッパ」(5/5)

下図は2007年現在のEU加盟国図だ。右上は海外領土だ。オーストリア、ベルギー、キプロス(2004年)、チェコ(2004年)、デンマーク、エストニア(2004年)、ドイツ、ギリシャ、フィンランド、フランス、ブルガリア(2007年)、ハンガリー(2004年)、アイルランド、イタリア、ラトビア(2004年)、リトアニア(2004年)、ルーマニア(2007年)、ルクセンブルク、マルタ(2004年)、ポーランド(2004年)、ポルトガル、スロバキア(2004年)、スロベニア(2004年)、スペイン、スウェーデン、オランダ、英国の27ケ国だ。主な拠点は、ブリュッセル(ベルギー)[欧州委員会=定員27名 任期5年 他]、ストラスブール(フランス アルザス・ロレーヌ地方にありドイツとの国境に近くEUの象徴的な場所といえる)[欧州議会=定員784名 任期5年 他]、ルクセンブルク[欧州司法裁判所=判事27名 任期6年 他]


最後に地球のパイは一つ、どこかの国がプラスになればマイナスの国がでる。主な要因は2つある。1つは資源、あるところと、ないところがある。これはどうしょうもない。2つめは、総合知力だ。自然や人間社会を学ぶことができるものが勝つと思っている。ヨーロッパも過去に学び、機軸を中欧のフランス・ドイツにおいて、各国が喧々諤々議論をしてきた。ヨーロッパの総合知力がEUを生んだと思っている。

聡子も子育てが大変だが、いろいろな方面に興味を広げ知識を深めていって欲しいと思う。お父さんもがんばるからね。
[断りのない画像はHP辞典より拝借した]            (終)  

父が娘に語る「ヨーロッパ」(4/5)

EU

 第2次世界大戦後、ジャン・モネーがフランスとドイツ両国にまたがる地域の鉄鋼と石炭を有効に活用しょうとして、経済の共同管理を発案し、具体化に向かう。それまでにあったベネルックスのオランダ、ベルギー、ルクセンブルクの関税同盟とフランス、ドイツ、イタリアなどの3ケ国とで1958年ローマ条約が結ばれた。聡子もローマ条約というのは学校で習わなかったかな。EECヨーロッパ経済連合体の発足だよ。まずは関税同盟から次に人の往来の自由をめざすものだった。1973年にはイギリス、アイルランド、デンマークが加わった。1979年ギリシャが加わり、1989年スペインとポルトガルが加わって10ケ国となる。1991年聡子もきいたことがあるだろう、オランダの保養地マーストリヒトでEU首脳会議が開かれEU設立条約に15ケ国が調印し、1993年正式にEUが発足し、経済、安全保障、司法からなる統合がはかられる。1995年にはスエーデン、フィンランド、オーストリアが加わりEUヨーロッパ連合となる。1999年、このうちの11ケ国で単一通貨ユーロが導入された。これは大きな前進だ。2004年には、東に広がり、ポーランド、ハンガリー、チェッコ共和国、バルト諸国が加わつた。そして現在27ケ国となっている。域内移住が自由となった。国境を越える物流のトラックも、そのまま走り去ることができるようになった。建築家も芸術家もよその国で同じ権利を保障されるようになったのは画期的なことだ。

 冒頭にいったが、1988年訪欧物流使節団に参加してベルギーのブリュッセルを訪れた。欧州共同体スタートにむけて、物流がどうなるかという視点と世界における欧州がどうなるかとの観点もあった。当時、心配していたのが域内が自由化され、スペイン等の安い労働力がフランス、ドイツの物流労働者の職を奪わないかとのことだった。現在も同じ悩みはあるようだ。東ドイツにも行ったが、小さな車が目立ったよ。西から東、東から西に入るのは大変なことだった。ベルリンの壁も見てきた。奇妙な落書きがあるのが印象的だったよ。EUに向かうエネルギーがベルリンの壁をとりはらった遠因だ。また、ソビエト連邦の崩壊も時代が要請したペレストロイカによるが、EUへの動きがそうさせたともいえるのではないか。域内を自由に往来できるのは画期的なことたが、EUという経済的にも人口的にもアメリカを凌ぐ一つのパワーとなって、農業の保護のため関税自由化に反対するなど外の世界へ意見発信している。ソビエト連邦はイデオロギーでくくった連邦国家だった。それが内部矛盾を生じ、解体した。EUは、ばらばらな国々が経済、司法などを軸にまとまってきた。ここに軍事、行政を統合しょうとして大国のエゴ、つまり国の大小で票数を設定する等が出始めている。

 不戦のヨーロッパ、聡子はどう思うかな。1ついえることは長いヨーロッパ内部の抗争、戦争がこの共同体で多分なくなることだろう。これはすばらしいことだ。どれほど、国が違うということで、戦争をし続けてきたことだろうか。今後に望まれることは各国の経済等のせめぎあいは残しながらも現在試行中の広域リーダーの選出によるギクシャクしたエゴをなくした、中央政府と各国(地方)の調和のとれた連邦経営を望みたいところだ。(続く)

2008年9月17日水曜日

父が娘に語る「ヨーロッパ」(3/5)

ドイツ


1871年普仏戦争で、プロシャがフランスに勝ち、鉄鉱石や石炭の豊富なフランスとドイツの国境に位置するアルザス=ロレーヌ地方を自国領土として「ドイツ帝国」成立を宣言した。この地域はその後、仏独の確執の地域となり、戦争のたび領有が変わる。ドイツにはその後、ノイシュバンシュタイン城を作ったバイエルン公ルードヴィヒ2世の狂気があった。ワーグナーに魅せられて夢の空想の世界の城を1886年に創った。現在では有力なドイツ観光ルートとなっている。一見の城だと思うよ。是非、訪問していただきたい。では、何故実用的でないものを作ることが認められたのか?ミュンヘンのビアホールに先に言及したが物流使節団の時にいった。知らない同士が肩を組んで大合唱していく。こんなところにドイツの農村的なまとまりが感ぜられる。裏返せば、ヒトラーのような狂気にもだまって受け止めて従って行くところがあると思っている。ルードヴィヒ2世は、ノイシュバンシュタイン城建設の後、精神病として失脚させられている。

イギリス

イギリスはインドを植民地して、アヘンを生産し、清に売り、清がこれを拒否することでアヘン戦争が起こる。イギリスは戦争に勝つ。中国の科挙制度は598年から1905年まで続いたが、この弊害が過去のことをよく知ることで権益を得た階級による中華思想を生み出し、清は軍事的に強力になった西の世界を知らなかったため、イギリスに破れ、香港を割譲する。一方の日本は、明治の初めに100人に近い有能な人々による使節団をイギリス他ヨーロッパに派遣して先進文明を学んだのはその後の明治日本づくりに大いに役立ったのだった。立憲君主国のため、日本の皇室はイギリスの大学に留学して帝王学を学んでいる。イギリスはこの500年対外戦争に負けていない。堅実な国である。しかし、食事は種類少なくおいしくないのは風土と国民性からだろうか。

世界大戦

1914年、オーストリア皇太子の暗殺で始まった第1次世界大戦では、ドイツとハプスブルグ家のオーストリアがフランス、イギリスと戦う。日本は、日英同盟を結んでいることによってドイツに参戦、海南島を占領し、漁夫の利を得る。やがてアメリカが加わって、ドイツは敗れる。
 ドイツは敗戦後の莫大な賠償金が支払えず、各国の猶予をとりながら次第に、ナチスが入り込む余地を作ってしまう。国民は現状の小市民的平和に眼を向けて、ややこしいことは耳を閉じて通り過ぎ、聞こえのよい言葉のみを聞いてゆく。一か八かのヒットラーに従い、ポーランドに侵攻し、第2次世界大戦に突入してしまう。ロシアでは1914年、帝政が滅び共産党が国を継ぐ。ポーランドの一部割譲の密約を結んで、ドイツと不可侵条約を結ぶ。一方では。ヒットラーには理にかなうビジョンもなく、ドイツ民族が優秀であるというなんの根拠もない考え方で狂信的に戦争を推し進めていく。一旦結んだ条約も、都合によって解約してロシアに侵入する。しかし、地力の差というか結局1945年、イギリス、アメリカ、ソビエト連邦の側が戦争に勝つ。ヨーロッパの戦後を2分したのは、イデオロギーの違いの自由陣営とソビエト連邦だ。長い間、冷戦が続いたが、EU結成の動きやソ連のゴルバチョフのペレストロイカにも影響されて、1989年ベルリンの壁がとり除かれ東西ドイツは統合される。1992年には、ソビエト連邦もロシア・ウクライナ・ベラルーシ・リトアニア・グルジア他各民族ごとに解体される。(WELL BE To Be Continued)

2008年9月16日火曜日

父が娘に語る「ヨーロッパ」(2/5)

グローバル化とワリをくう人々と国

 ルネサンスはイタリアからフランス・ドイツへ向かっていく。この時代の大きな出来事は、11世紀ごろ中国で発明されてイスラム経由でヨーロッパに入ってきた、羅針盤だ。航海術のレベルアップとなり、船は多くの人で漕ぐガレー船だった。コロンブスによるアメリカ発見、バスコ・ダ・ガマによる喜望峰周りのインドへの到達によるグローバル化の第一歩が記される。マゼランは世界一周を果たす。グローバル化は16世紀からはじまっている。タバコ、じゃがいも、トマトがアメリカからヨーロッパに渡る。東洋の香料=胡椒がヨーロッパにもたらされる。胡椒は肉の保存に必要だった。遠洋航海による貿易で富を蓄積した、スペイン、ポルトガル、次いでオランダが隆盛してくる。イギリスでは、グローバル化の後の食卓にはインド方面からの紅茶、アメリカからの砂糖が輸入された。

 聡子、これらの生産地は植民地化していくのだよ。アメリカの労働力はアフリカから奴隷として提供されたのだよ。一つの国が、楽しい食卓やティーパーティーを囲むと、他方で、安い労働を提供してこれを満たしていく構図が出来る。英米合作映画「おいしいコーヒーの真実」(2006年)によると現在のコーヒーも一杯330円のコーヒーとすればエチオピア等の農民にわたるお金は3-9円、生活し教育を子供にするためには2倍のお金がいるといっている。世界の15歳以上の非識字者9億人15%、後発途上国では60%の人が字が読めない。無知な人々の搾取の上においしいコーヒーが飲める現実があるという構図だよ。16世紀から20世紀はそのようなヨーロッパ先進国の住民の満足のために他方が搾取される歴史といってそう誤りでない。

 綿花をインドから安く輸入して、少ない人手で織物を織って付加価値を高めて輸出して利益をあげる、そのために紡績機械が必要となる、人や物の移動手段も必要となって蒸気機関車の発明といった産業革命もその延長線上に考えられるのだよ。また今のアフリカ問題も奴隷売買の行われていたころからのワリをくっていることの延長線上にあるといえる。1500-2000万人という、黒人労働力がアメリカに移動して、農産物を作るための過酷な労働を強いられ、アフリカでは金ダイヤモンドの産出にも駆り出され、白人はよい上澄みのところをとってきたと思うよ。アフリカの低迷は今に続いている。16世紀以降ヨーロッパ内部でも経済的な覇権をアジア・アメリカ・アフリカに植民地を作る事によって競い合ってきた。オランダ、スペインが新航路開拓によって新世界が発見されて、16世紀半ばから興隆する。またイギリスとフランスは君主制をひき10世紀以降、たびたび戦ってきた。100年戦争というのもあった。イギリスの方が優勢で、ヨーロッパ大陸の今のフランスの領地を一部得ていた。

グーテンベルクの活版印刷機の発明

 15世紀の半ば、ドイツ出身のグーテンベルグは活版印刷機を開発し、ラテン語の聖書を印刷した。一冊、当時の一人の年収の2年分だったようだ。高価だが、聖書の普及という地底水脈として脈々として流れ、ローマ教会に対抗するプロテスタントを生み、宗教改革につながっていった。ヨーロッパの民衆レベルの精神的改革に大きなインパクトを与え、やがて国家をローマカソリックのくびきから解放していくのだよ。

フランス

 劣勢のフランスを持ち返したのが、ジャンヌダルクだ。イギリス軍に一泡も二泡もふかせたのだった。その後の帝政は1792年の革命によって一旦は滅びるが、ナポレオンがかってのローマ帝国の再興が頭にあり、ヨーロッパ・アフリカを統一しょうとして立ち上がり、フランク帝国をつくった。ナポレオンはロシアに攻め入り敗れる。フランス人は起死回生の一念をもち立派な文化をきづいているという自負と気位が高いのは歴史のせいだと思う。フランス料理も人々に洗練されてきたので、おいしいね。(WELL BE)

2008年9月15日月曜日

父が娘に語る「ヨーロッパ」(1/5)


 今のヨーロッパは欧州(EU)連合として、27ケ国域内、パスポートでフリーで入れるようになっているとのことだ。1988年、お父さんが物流視察団でイギリス・オランダ・ベルギー・東西ドイツ・スエーデン・フランスのヨーロッパ6ケ国に行った時は、旅行社が面倒を見てくれたが、入出国は時間がかかり大変だったよ。聡子はフランスに行ったんだよね。

 その後、1992年から2006年まで年1冊づつ発行される塩野七生さんの「ローマ人の物語」1-15を読んだが、聡子も何冊か読んだよね。中世以降のヨーロッパは精神として、ギリシャ文明、キリスト教のDNAをもちローマ帝国の栄光を深いところで追い求めてきたように思うんだ。ローマ帝国は、紀元前753年に起こり、ゲルマン民族の移動も影響を与えて紀元後395年に東西に分かれ、西ローマ帝国は476年に滅び、東ローマ帝国は1453年まで栄えたのだった。図はHP辞典によるが、ローマ帝国版図の拡大(赤)紀元前133年、(橙色)紀元前44年、(黄)14年、(緑)117年だ。

 一番の貢献は帝国のインフラ整備に努め、ヨーロッパ大陸の今で言う、スペイン・フランス・ドイツ西の一部、イギリス、そしてアフリカ、小アジアにまで街道、いわゆる“ローマ街道”を発達させた。塩野七生さんの「ローマ人の物語」10から借用するが、構造は、①最下層 通常 巾4-4.2m深さ1.5mまで掘り下げ最小でも30cmの深さで砂利を敷き詰めていく。②石と砂利と粘土層の土を混ぜ合わせて敷き詰める。③小ぶりの石を弓状に詰め込んでいく。④接面がぴたりと合うように切った一辺が70cmはある大石を隙間なくつめていく。ここを軍隊が進んでいったのだよ。戦争がなければ旅人が行き来して、今のドライブインのようなものもあったのだよ。またローマ人は風呂好きだった。大浴場が作られ、都市に水道も整備したのだ。だが、残酷な面もあり、円形闘技場で剣闘士同士や猛獣と戦わせ、それを見物したことだ。お父さんはヨーロッパを観光で2度行った。ポンペイで古代の道路を見た。両端の馬車の通る凹んだ溝が車輪で石が磨り減っていた。すごいものだった。その頃、日本では弥生時代で農耕社会だった。文明度は天と地の違いがあった。(WELL BE続く)

2008年9月4日木曜日

映画「スカイ・クロラ」を観て

 先日、押井 守監督の「スカイ・クロラ」を梅田ブルグでみました。森博嗣原作で、アニメ映画でした。昨日の新聞によると、ベニス国際映画祭に出品されているとのこと。

 死なない若者が主人公。現場は、ショーとビジネスとなった空戦の舞台。「生きる」とはを映画は問いかけてくる。同じことを繰り返すが風景は異なるという人生、どこにでもある現実だ。それをメランコリックなアニメの主人公が演じている。愛して、憎んで、また愛して生きていく。その人生を観客に静かに問いかける。観終わって、アニメという創作を超えた声がささやいてくる。「生きるってどういうことなのだ」と。アニメの画像も似たものが時間をおいて、どこか少し違えて現れてくる。やたらにタバコをふかす若者の不安な心中がタバコを吸うという行為に現れている。THINKINGを残す不思議な映画だ。ベニス映画祭での幸運を祈りたい。(WELL BE)

2008年8月22日金曜日

映画「おいしいコーヒーの真実」を観ました

 十三「第七芸術劇場」で映画「おいしいコーヒーの真実」を観ました。イギリス・アメリカの作品で監督/プロデューサー マーク・フランシス、ニック・フランシス。エチオピアのコーヒー流通改革で少しでも生産者の収入をあげようとする方をキーパーソンとしたドキュメンタリーの物語。

 「おいしいコーヒー」の豆を提供するエチオピアのコーヒー農家の場合、売価330円の一杯のコーヒーの取り分は3-9円僅か1-3%、他は貿易費用や卸売り焙煎メーカー小売等の中間に流れる。コーヒー豆1KG=2円、1日8時間働いて約50円、現状の倍の価格でないと子どもを学校にやれないという。コーヒー価格はニューヨークの先物市場で決定され、そのコストに見合うよう扱う業者は各コストを引き継げていく仕組み。あるとき価格が暴落して、そのままという。

 一杯のコーヒーを飲めば、原材料を提供してくれる方におよそ1-3%お支払いすることになります。消費者が安くておいしいコーヒーを望みますので、生産者取り分の割合を上げるには流通機構の省略しかないようです。

 とかく、この世の中は誰かがワリをくって、その分、誰かが得する構図になっています。生産者ルートから流通ルートの改革をせまるしかありません。映像にUSAから援助穀物が続々とやってきます。現地の有力な人は先進国から憐れみを受けたくない、貿易で自ら稼ぎたいといいます。そのためには知識のある人の養成が必要です。

 この国の人は教育に力を入れたいと誰もが思っていますが、学校をつくり維持するお金がありません。低開発国の低賃金の労働に支えられてわれわれは一杯のコーヒーをおいしくいただいています。悩ましいことです。

 地道な教育支援が今、必要です。(WELL BE妻と観る)

2008年8月18日月曜日

映画「明日への遺言」を観ました。

 千里セルシーシアターで小泉 尭史監督「明日への遺言」を観ました。第2次世界大戦後、B級戦犯となった東海軍司令官岡田中将の法戦の物語。
 無差別空襲で、多くの人がなくなった。落下傘で米軍機より脱出した34名の米軍人に対して、戦時略式裁判を行い戦犯として処刑した。この責任はどこにあるか?ジュネイブ条約では、民家への爆撃は禁じられている。昭和20年以後、アメリカ軍は焦土作戦として無差別空襲を行ってきた。岡田中将はこれの実行者を戦犯として扱ったとの主張をする。

 岡田中将演ずる藤田まことの迫力ある演技が映画をおおう存在感を発生させる。仏教に帰依し、その責任をまっとうしょうとする姿勢は見るものの心をうつ。終盤、藤田まことが詩吟を演ずる。これをテープで指導したのが、兵庫高校出身の旧友のO氏であると知っていた。内容はよくわからなかったが、低い声で歌う岡田中将の心情が出ていた。暑気をしのいで、しばし時を過ごした。(WELL BE)

2008年8月13日水曜日

映画「北辰斜めにさすところ」観ました

 日野原重明さん推薦だったので千里セルシー劇場で神山征二郎監督「北辰斜めにさすところ」を見ました。

 旧制第7高等学校(熊本)を舞台にした、“北辰斜め”を放歌高吟していたバンカラ時代と当時の生徒たちの現在の年取った姿を二重にだぶらしながら描いている。三国連太郎など老齢俳優と緒方直人など若手俳優が対象的に“回顧”と“希望”を表出する。
 第5高等学校(熊本)との川上哲治記念球場での野球対抗戦がクライマックスの舞台となる。

 誰かが、撮っておかねばならない映像であったのだろう。

暑中の、映画に3益あり。①精神を高揚し話題を提供する ②次何見る?と観る作品を探す、好奇心の高揚 ③夏は避暑となる(WELL BE)

2008年8月12日火曜日

宮崎 駿監督「崖の上のポニョ」を観ました。

 先日、NHKTV「プロフェッショナル」で宮崎監督の「崖の上のポニョ」の製作苦闘ぶりを見て、観てみることにしました。

 ポニョという魚の子とソウスケという5歳の子を取り巻く"愛"の物語でした。劇場では子供さんが多く、クスクス笑っていたので救われました。大人の頭でどうこうというのも控えたいと思います。童心に返り、批判をせず楽しめればいいと思いました。

 オール手書きのアニメーションでは、ソースケに再会したポニョがうれしさを込めて抱きつくところは「プロフェッショナル」でいっていた通り、ドーンと迫力がありました。

 また主題歌が頭につきます。ポニョポニョポニョ魚の子♪よい歌です。内容はみてのお楽しみです。(WELL BE)

2008年8月8日金曜日

NHK中国語会話聞き始めました

 企業定年前後に、2年間吹田市勤労会館の中国語会話に通いました。いままた、北京オリンピック開催を契機に、NHKラジオ中国語会話を聞き始めました。省略された簡体字と、4声の中国語発音を学んでいます。なかなか道は遠いですが、続けていこうと思っています。

 ①8:15-8:30 ②15:30-45 ③22:50-23:05第2放送で放送されています。毎日、諺が出てくるのが中国の奥の深さです。

 19Cアヘン戦争でイギリスに敗れ、20C日本に侵略され、ズタズタになった中国人の尊厳がようやくオリンピックで回復されようとしています。中国語を学びながら、苦悩する13億人の民の生き様と未来に向かう喜びを感じたいと思っています。(WELL BE)

2008年7月31日木曜日

映画「いまここにある風景」を観ました

 中国の現状をすさまじくも描かれていました。カナダ映画です。
原料は世界からやってきて、世界の工場として組み立てているエンドレスな風景。
三峡ダムのとてつもない大きさ09年完成。かって、万里の長城をつくったエネルギーがここにあります。

電機ゴミ集積と金属の拾い取り、油のたれながしをはじめとした土壌の徹底的な環境破壊怖い国である。北京オリンピックと四川大地震のダメージも併せて中国は史上初めての試練の中にいるのだろう。
世界を考えるための注目の一作。テアトル梅田で08.8.15まて。(WELL BE)

2008年7月25日金曜日

眼の健康法を実行しています

 所属した企業の年金基金の夏号が送られてきました。その中で、T氏がすこやかライフの一つとして、「眼の健康法」をなさっているとの記事に眼を留めました。現役時代にT氏に直接指導を受けたことがあります。左右上下斜め上下、反対側の斜め上下、各々を顔を動かさずに見ます。またくるくると右から上、左、下とぐるっと眼を回します。反対方向も眼を回します。視力が向上するそうです。

 先日新聞記事で、片目を明け1点凝視する。今度は反対側の片目も同じところを1点凝視すると眼がよくなるとのことでした。

 以上に触発されこのところ毎日、両目で各方位を見つめる、眼を廻す、反対側も廻す。1点緑の葉を片目で凝視する、反対側も同様にする。気がつくと実行していますが朝に実行することが多いです。少しは視力が回復することでしょう!?ご参考下さい。(WELL BE)

2008年7月13日日曜日

池上正治著「中国四千年の自力強壮法」を読んで(2/2)

 身近な食べ物のエッセンス、2回目です。
[膀胱を利(とお)す]・・・セロリ(膀胱炎や排尿痛にすりつぶして飲む)、豆乳
[腎を養う]・・・トリ肉(ビタミンA、手羽にコラーゲンたっぷり)、ナマコ、エビ
[胆を壮んに]・・・牡蠣、ユリ、キュウリ
[肝を平らかに]・・・セロリ、レタス,ピーマン
[脳を健やかに]・・・ニンジン、レンコン

 腎臓でろ過された尿が400mL-600mL膀胱に一時ためられる。腎臓は年とともに衰える。その表れは髪の毛が白くなることで知る。膀胱の出口は筋肉でくくられている。胆嚢は肝臓で作られた胆汁をためる。肝臓は人体の一大化学工場です。脳は未知の部分が残っている指令所です。

 本書は、中国4000年の知恵から導かれた、漢方薬の説明が主であるが、身近な食べ物のみを抜粋記載しました。興味のある方は、一読くだたく、とりあえずエッセンス、豆乳、ニラ、ニンジン、レンコン、鶏・羊肉、トマト、豆・・・参考下さい。(WELL BE)

2008年7月11日金曜日

池上正治著「中国四千年の自力強壮法」を読んで(1/2)

 当書は、陰陽五行にうらずけられた五臓(肺臓、脾臓、心臓、腎臓、肝臓)六腑(大腸、胃、小腸、膀胱、三焦、胆嚢)の解説と、漢方薬の説明が中心となっているが、身近な食べ物のエッセンスを2回に分けて記します。

「清」・・・「清める」冬瓜、メロン、豆乳(大豆は豊富な植物性蛋白質の宝庫である以外にサポニン[浄血]、カルシゥム[精神安定]を豊富に含む)
「健」・・・ニラ<ベーターカロチン>、トマト<リコピン・・・加熱するとよく吸収される>、酢<食欲を増す>、プ・アール茶<健胃の薬効>、ビールや酒<食欲増進・・適量>
[通]・・・[潤腸、通便、通腸]アボガド・バナナ、アーモンド・クルミ・ゴマ
[健]・・・ニラ、イモ、マメ(インゲン・ソラマメ、エンドウ)、カボチャ、レンコン
[安]・・・羊肉(マトン・・抗酸化、抗老化、抗ガン)中国の諺「羊肉を食べれば体があたたまる。」

 口・鼻から清らかな「気」(酸素)を吸って縮めて降下させる。「はりのある」声を出したい。にごった「気」(炭酸ガス)を外に出す。肺は意識して深呼吸など膨らませる。腹式呼吸で「気」酸素を取り込み、口からゆっくりといらない「気」炭酸ガスを出したい。「肺は水行をつかさどる」

 胃気壮んであれば、五臓六腑は皆さかんとなる。胃は消化吸収のはじめ。一日に分泌される胃液の量は2.5リットル。食べれなければ人間は駄目である。「胃は水穀の海」

 胃からの水穀を受けて小腸6メートル強、大腸2メートル弱、消化吸収の部門として食べ物を吸収排出準備しながら通過させる、通じなければ困るところである。

 脾はリンパ組織のかたまり、血液の貯蔵と循環、人体の防衛をするところ。

 心臓は血液のポンプで、8の字をした立体交差点。1日9キロリットル(ドラム缶40本分)の血液を送り出す。(つづく。もの言わぬこれらの五臓六腑に感謝したい。そして、慈しみたい。WELL BE)

2008年6月24日火曜日

映画「マンデラの名もなき看守」を観て


 梅雨空の中、ロフトB1Fテアトル梅田で観ました。2度のカンヌ・パルムドールに輝くビレ・アウグスト監督作品、主演:ジョセフ・ファインズ(恋におちたシェイクスピア)。南アフリカ初の黒人大統領ネルソン・マンデラ(1918-)の27年に及ぶ投獄生活の中で、看守としてつとめた男の心の軌跡が、マンデラとの人間的なふれあいを通じて心が開かれていくことを描いている物語。その中で、孤島や僻地での看守と妻との生活の揺れ、かっての黒人差別の白人の考え方の実態、黒人暴動の底辺、マンデラの不退転の人間平等の思想等が描かれている。

 この映画で感じたことは一つ。マンデラの不撓不屈の人間平等への信念、看守の人間としての成長の過程、人の言うとおりでなく、断固とした“自分で考える正しいこと”へ回帰すること、この2人の確固としたゴールにむかう信念の素晴らしさである。この映画は、観る者に、「動かざる信念をもつことの素晴らしさ」をおしえてくれる。(WELL BE妻と観る)

2008年6月22日日曜日

達磨会行われる

 読書会をG氏、U氏とで6年ほど前より回り持ちでおこなっています。6月22日、豊津の喫茶店で私の担当として「道元・禅・禅の言葉」をテーマとして実施されました。達磨会とは、読書会のネーミングです。

「何故、道元・・・をとりあげたのですか」
私が30歳代の前半の頃、40歳代前半の上司から
「君、道元は“只管打座(しかんたざ)”といっているんだよ」
「・・・・」
「つまり、座ることが全てなのだよ。」
「・・・・」

 以上の問答がありましたが、その時はさっぱりわかりませんでした。

 その後、30何年にして勉強しました。それでBLOGに掲載の「小説」を作りました。「何故、小説か」ですって?レポートとして断定するには、自信がないからです。

 メンバーより「自己より世界を見るのでなく、世界から自己を見る。(世界から見ていれば”秋葉原”の事件は起こらない)」「座禅のおり呼吸を意識してあげる」「自己主張すると、”不満”が残る。自己防衛すると、”不安”が残る。第3の自由自在な生き方をすればどうでしょう」「道元は心身脱落、心身一如、修証一如と禅を実践することを説いている。」「5分でも10分でもそれ以上でも、“無”に到達するまで気楽にやればいい。座禅中“無”となって、座禅後、“普通”に戻れば、また翌日、座禅で“無”になればよい。」

 人によりいろいろな座り方あります。世界から自分を見て、第3の生き方を目指す限り、大過なく生きられそうです。(WELL BE)

小説 -道元禅師求法の人生-(3/3)

3. 正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)

WB 正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)を書いた経緯はいかがでしたか?

教授 道元は生涯を通じて、お釈迦様の後継者として、真の仏法を残そうとしたのです。若い頃から著述を重ね、40歳ころから正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)として形にしていかれます。100話を構想したといわれますが、実際は95話となっています。これも後の世の人がまとめることになります。僧としての、心がけを食べ物の用意から、小用大用の始末から、座禅の組み方から、日常生活も仏道そのものと説きます。清冽な一生にただただ、頭が下がります。文章はかなり難解で哲学的です。

WB 内容は難しいようですね。

教授 哲学書ともいえますでしょう。難しいけれども魅力があるのですね。研究は絶えることがありません。

WB ひとことでいいますとどうなりますか?

教授 釈迦が悟りを開いたその姿をそのまま引き継ごうというものです。釈迦が荒行苦行しても悟ることが出来ず、難行苦行では駄目だと、菩提樹の下で座禅を組んで悟りに至りますが、それを続けよう、ということです。悟るために坐るのではなく、ただ坐り無心となれば、悟っている、つまり個々人がもっている本来の自分=仏=の世界を坐ることであらわそうということですね。「仏道をならうといふは、自己をならふなり。自己をならふというは自己を忘るるなり。自己を忘れるといふは、万法に証せらるるなり。万法に証せらるるといふは、自己の心身および他己の心身をして脱落せしむるなり。」

WB むつかしいですね。

教授 ただ座り続けることです。習禅のためでなく、参禅するのです。何も考えずに。雑念が湧いたら、湧くにまかせ、その内に消えて波長の長い、アルファー波やシーター波の流れる、つまり大脳=考えること、小脳=運動すること、これを静止し、脳幹のみで生きる状態となることでしょうか。その存在は日、月、星、空、山、川、海・・・に証明してもらうこと、となりますか。

WB ・・・。道元禅師をどう思われますか?

教授 一生を仏道の正法が眼に蔵している根本を伝えようとされ、過去1000年日本に生まれた偉人の中で、突出した方だと思っています。「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」が800年後にも読まれているのがその証しです。そして忘れてならないのは、柔らかい心を持った詩人だったということです。「春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて すずしかりけり」と鎌倉で求めに応じて歌っています。55歳、病んで京都の在家信者宅で「今まで、個の跳梁(ちょうりょう)をことごとく押さえ、仏の道を究め、生きながら黄泉(よみ)に落ちていく(意訳)」の言葉を残し次の世界に旅立たれた。超純な求法の一生を締めくくられました。弟子の2代目の懐奘禅師は80歳の死の直前まで、亡き道元禅師に師事、道元禅師の命日の8月28日に死にたいとして3-4月の寿命と医師に言われながら8月20日を過ぎてまでがんばられました。その後の4代目瑩(けい)山禅師も総持寺に本拠を置き活躍され、有能の後進の人を集めたと云えるでしょう。武士や農民の支持を得ました。江戸時代には良寛和尚も道元禅師をお慕いしました。今日の曹洞宗は、1万5千ケ寺を有するに至っています。

WB 有難うございました。壮絶故に魅力的です。人生とは、かくありたいものですね。

教授 人生とは若い時は希望と使命感に燃えた行き方があり、道元は日本で悩んで宋にわたり、如浄禅師に会い、伝えるべきものを持ち帰ります。中年には中年の生き方があり、出会いがあり、よき弟子懐奘に会い、波多野義重に出会って、永平寺という法統の場所を得、熟年には熟年の生き方があり、「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」を世に残されて人生を完成させます。夢を持ち、その実現に向かい、苦闘し、その実りを晩年に得て、過酷な修行のためか55歳で次の世界にいき、後の世の人に指針を残す人生を歩まれました。道元を学ぶ場合は、表現が難しいので細部にこだわらず、何を云わんとされたか、大きな流れを掴むことです。

WB 瞑想するやり方を半跏趺坐や、ベンチに座ったりするやり方をし、場所も気に入りの緑陰の中とか、ベランダとか室内とか電車の中とか、時と場合により変えてリラックスすることを心がけるのをどう思われますか?

教授 いろんな場所でいろんなやり方でなさるのはよろしいのではないでしょうか。下腹に意識をおき、眼は前方下部をみた方がいいでしょう。そして”かど”のとれた人間になることをめざしてください。道元禅師の教えにあるように洗面からトイレ、食事をすることから全てに心をこめて、その時その時を生きていくとよいと思います。禅は東へ、インドから中国を経て日本に伝わり、日本の風土に溶け込んできました。現代では、日本からアメリカへ渡り、広大でゆるやかな禅が広がっていっているようです。禅に興味を持つ私たちは、道元の精神的な支えの中にいるという流れを感じて、自分にふさわしい禅はどういうものかを考えて工夫・実践していけばいかがでしょうか。

 WELL BE君は「自分の納得するスタイルの禅を生活の様式に取り入れて出来るだけ細部に心をそそいで、自分なりの”かど”のとれた生き方を創りあげよう」と思った。謝意教授にお礼をいい、上空の太陽が希望に満ちているように感じて、大学を後にしました。 (END)

2008年6月21日土曜日

小説 -道元禅師求法の人生-(2/3)

2.実践

WB 如浄禅師に会ってどうなりました?  

教授 とにかく修行したいといって、これを了解されたのです。道元は来る日も来る日も修行しました。ある早朝、近くの僧が居眠りしているからといって如浄禅師にこっぴどく大喝された。それを聞いた道元は瞬時に「悟った」と感じて、如浄禅師に焼香、礼拝しました。師は「どうしたのだ?」と問いかけると、「悟りました。」と道元は申されました。日ごろから熱心な修行を見ていましたので、即座に同意し、釈迦から如浄までの仏を継ぐ書類に次に継ぐものとして「道元」としたためてもらったのです。如浄は「只管打坐(しかんただ)」を教え、権力に近寄ることないよう、深山幽谷に入って、佛の道を極めるようにといわれました。

WB 28歳、日本に帰ってこられていかがでしたか。

教授 中国にわたった過去の最澄、空海など先師たちが経典、仏具を持ち帰りましたが、道元は、徒手空拳、「悟り」を持ち帰ったと豪語され、釈迦から達磨大師、如浄禅師から道元へ続く「嗣書」も持ち帰ります。
WB なるほどなるほど、道元の「悟りのみを持ち帰った」とは気概が伝わる言葉ですね。

教授 京都の深草や伏見で、布教しょうとします。さっそく座禅の仕方を「普(ふ)勧(かん)座禅儀」に著述し、続いて「弁道話」、「現成公案」を筆録執筆される。有名を聞き懐奘(えじょう)他が弟子になります。後に道元からの聞きおきを「正法眼蔵随聞記」として後世の人がまとめることになるメモを懐奘(えじょう)禅師は残しています。

WB 道元の教団としての結束拡大はどうだったのでしょう。

教授 30歳代の道元のひたむきな布教は徐々に人々を感化させていきます。41歳のころより弟子が増えてきます。

WB 人との出会いで懐奘(えじょう)禅師以外の出色の人がいたのでしょうか?

教授 43歳のおり、波多野義重との出会いが大きかったと思います。六波羅密寺で道元の話を武士の波多野義重一党が聞くことになります。波多野氏はいたく感激して北の庄にある自領にこられないかと道元を誘う。道元もこの誘いをうけて、48歳のとき、北の庄に永平寺を開いたのです。仏教の経典が中国に入ってきたのは永平年間(58-75年)、洛陽にもたらされました。その中国の年号をとって永平寺としたのです。

WB 本当は京都で定着されるのが普通ではないでしょうか。

教授 京都では、当時の仏教界が道元を異端者と見て妨害が大きかったのです。

WB 私の場合も、大変苦しい時期はありましたが、優れた上司に出会い、その後の人生に大きな影響を与えていただけました。

教授 中年の時期は人生の果実を生むために大変大事な時期で、どなたにも困難が多い時期です。この頃に、優れた人や運命的な人と出会い、何かをなす具体的な行動をすれば、よい果実を得られるのではないでしょうか。道元禅師は正にそのように歩まれました。(to be continued)

2008年6月20日金曜日

小説 -道元禅師求法の人生-(1/3)

WELL BE君(以降WB)は、朝日の射す那庭大学で同大仏教学部 謝意教授に鎌倉時代に活躍された曹洞宗(禅宗)の開祖の道元禅師(1200-1254)についてお話を聞きました。

1.人生の目標

WB 道元は貴族の子供さんですね。

教授 父は村上天皇から分かれた源氏の10代目に当たる久我通親(みちちか)公、母は藤原基房卿の娘の伊子、1200年1月26日生まれだ。母は道元を身ごもった時、今後500年間並ぶもののない偉人になるとの夢枕の啓示を得たといわれている。道元が3歳の時父が、8歳の時母が亡くなっている。小さいころから、仏道に入ろうと決心していたようです。9歳のころから仏典を研究していました。

WB  比叡山に上ったのではないですか?

教授 道元は求道心旺盛で、13歳で比叡山へ上りましたが当時の僧界にあき足らなさを感じて、14歳の時に山を下ります。そして、園城寺の公胤を訪ね、更に公胤の忠告により臨済宗の京都建仁寺に、宋から帰朝していた栄西禅師(-1215)に会います。18歳の時、栄西の後継者の明全に師事し、詳しいことを学んでいきます。24歳になって明全と共に宋にわたります。宋の海岸についても3ケ月、陸に上がれませんでした。

WB  それは何故ですか?

教授 僧としての戒壇の手順を日本で十分踏んでいなかったからとのことのようですね。明全はすぐに天童山に入り修行ができたのですが。

WB 宋に入っての印象はどうだったのでしょうか?

教授 宋の明州慶元府の海岸である日、阿育王山の老僧がしいたけを求めにきました。道元は、「貴僧のような高僧の方がわざわざ、ここにこられなくとも、代わりの者を寄こせばいいのではないですか?今晩、船に泊まっていただき、いろいろとお話をお伺いしたいのです」というと老僧は、「何を云われる、大事な仕事をしているのです。今晩は寺の食事の用意があるのでお断りする。」といわれ、道元のこころにこのことが長く残るのです。つまり、日本では、使い走りと思われる仕事や、食事の準備は小物がやるようになっていたのですが、宋では違う。些細なことが重要ではないのか、と考えるようになりました。人生の中年以降で編まれる「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」に食事の用意、作法、用便に至るまで細かい日常が仏の行為そのものだという考えを、規定として作っていきますが、それらの端緒となる出来事でした。
道元は3ケ月後、天童山景徳寺に入ります。その禅に満足できず、中国諸山遍歴の修行の旅に出かけたのです。なかなかこれというものに出会わない日々が過ぎゆきます。26歳の時、ある僧に、天童山に如浄禅師がいるから会えば良いと云われて、会いにいくのです。

WB ひたすらな、仏道を求める旅を生まれてから青春時代を通じて、道元はされてますね。

教授 人間は何をすべきかということは生まれた時から決まっているのではないでしょうか。このことがわかっている人は少ないです。道元の場合は、自覚をもって、仏道を極めようという、大きな目標を持っていましたね。

WB 私の場合は、小学生のころ単純に電気会社の社長になりたいと、たあいのない夢一杯のころもありましたが、人の役に立ち、道を究めるというそんな壮大な目標はなかったですね。

教授 そうでしょう。(笑い)道元の場合、幼くして、父母をなくすという環境も大きな一因でしょうね。ただ、それも宿命だったのかもしれません。道元の青春時代までは、求道そのもので、如浄禅師にあうまでは迷いも多かったようです。曹洞宗(禅宗)の開祖として釈迦以来の法統を継ぐ存在となって道元禅師の人生は後世にも影響を与えました。

WB 話は変わりますが、15世紀の韓国での実話を脚色したTVドラマ「チャングムの誓い」のおさないチャングムが非業の死をとげた母の「スラッカン(王宮料理室)の最高女官になって、母の無念を晴らして欲しい」との遺言を守り、艱難辛苦の後、宮廷に入り、王様の主冶医にのぼりつめますが、どちらも共通するのは幼いころからの思いを実現させていくことが似ているようですね。親に絶対的な忠誠を誓う「チャングムの誓い」は儒教を知る上で参考となりますが、道元の宗派も先輩を敬い儒教的といっていいのでしょうか?

教授 その通りです。ただ、中国人の法政大学王敏(わんびん)教授が日本の儒教は論語読みの儒教といっていますので、真の儒教ではないようです。(to be continued)

2008年6月7日土曜日

映画「山桜」を観る


 主演:田中麗奈・東山紀之 | 原作:藤沢周平 監督 篠原哲雄
観終わって、「よかつた!」という印象でした。
何がよかった?って 主人公の男女が苦難の道を歩んでいる。
だが、終り近くなってそれらの苦しみを乗り越えて
ハッピーになりそうだからだ。
時代は文化文政の頃の江戸の東北の海坂藩、
でもどりの嫁と、正義のために鍛えた剣をふるう武士。
2人は惹かれあうが、そこには大きな障害が横たわっている。

しかし、観ているものにも共感と希望を与えてくれる。その象徴が今年も花を咲かせる清楚で美しい山桜だ。。。
 清々しさが残る。(WELL BE妻と観る)

2008年6月2日月曜日

服部緑地都市緑化植物園で憩う


 梅雨曇の中、2台の自転車は服部都市緑化公園についた。正面の公園入り口はいって北西の道路には榎、カイノキ、ブラシノキ(写真右)、ユリノキ(写真右下)、ハナミズキなど代表的な街路樹が植わっている。そこを散策して、公園の入り口の広いスペースにあるベンチに腰をかけた。

 正面には、こんもりした緑の林が見え、手前には、赤白の花が金属の構築物のまわりに球状に添う形に咲いている。色の花は能動的な働きかけを、緑の林は癒しを発信している。

 2人は自転車を降り、そんなことをいって時を過ごした。

 ここにくれば、みどりの木々から癒しをいただける。また相反する能動的なものが、花から迫ってくる。
しばし時間を忘れて、話に花を咲かせた。

 憩いの場所は現代の人間に必要、と思った。(WELL BE)

2008年5月26日月曜日

第10回吹田ボランティアフェスティバル、NPO SELFフリーマーケットに参加して


 08.5.25(日)吹田市役所駐車場で小雨の中、吹田ボランティアフェスティバルが開催されました。NPO SELFとしてみどり組の有志による植木提供によるその販売、エコクラフトクラブによる竹細工に加え、今回はじめて”もったいない組”と事業開発部によるフリーマーケットを開催しました。事業開発部員としてフリーマーケット(以下フリマ)の検討、値札つくり他に参画しました。

 終わってみての印象は次のようです。
① SELF構成員のもっていた不用の商品を、それを欲しいという他の人にフリマを通じて移動したということです。全体量は変わりません。
② 売上は、移動の印としてうけとったということで、額は問題ではありません。それらはNPO SELFの活動に使われることでしょう。
③ この移動に際して、NPO SELFの商品を提供された方のボランティア精神の充実感、開催にいたる売り手としてかかわった人の奉仕満足感、買われた方の安く買ったという割り得感、3位一体の充実感が残ることでしょう。
 これらを支えたのは、フリマをやるんだという"もったいない組"リーダー、事業開発部長のU氏の率先垂範の車による商品引取りなどに表れた熱意であったと思います。何事も1人か2人の"思い"がことをなりたたしめるようです。

 世の中全体は一つで、持てる人、持たない人の調和の中にありますが、時々はそれらをならすフリマのようなものがあればいいのかも知れません。(WELL BE)

2008年5月22日木曜日

MY PICやってみました

 MY PIC、早速注文してみました。
㈱ワンネットのHPのいろいろなサンプルより、自分として気に入ったイラストを選択して、HPの案内通りに入力します。

 自分の写真を1枚つけます。

 シンザトさんという方が、イラストレーターの了解をもらってOKとなれば、支払いをコンビに経由で振込み 致します。

 @1575円でした。入金確認後、イラストレーターが作業に入り、数日まつと、SAMPLEと明記された試作品が到着します。気に入ったのでOKを出しました。

 納品完了です。できあがりは、さっそくBLOGの表紙に入れました。自己紹介のイラストがそれです。何事も経験です。1枚できると、もう1枚欲しいなあ、というのが実感です。(WELL BE)

㈱ワンネットHP

2008年5月10日土曜日

販路マッチングナビゲーター向け詳細説明会に参加しました

 先の販路マッチング商品プレゼン会を受けて08.5.9販路マッチング詳細説明会(天満橋近畿経済産業局会議室)が開かれ、世話役として不肖小生が担当し、㈱ワンネット 川添社長、ナビゲーター8名、近畿経済産業局事務局2名の参加でした。

 ㈱ワンネットの商品は約400人のイラストレーターからなる、豊富なキャラクターが選べる個々人のイラストをマイピク・スマイル、気分はすっかり東京ヤクルトスワローズ(東京ヤクルトスワローズのユニフォーム姿)、叶絵(My Vision)、ウエルカムボード(記念用)として企業の販促向けに1点5,250円で販売されています。個人向けはマイピク等1,575円からで、仕様によって、デザイナーにより価格は異なるとのことです。

 販路ナビゲーターは企業向けを担当いたします。次のような利用例が考えられます。
・ (個々人の)販売員を親しみやすいイラストシールにして、名刺や販促物に添付して顧客の「ほほえみ」を得て、商談のスムースな入口とする。
・ (グループの)サービススタッフを好ましいイラストにてトータルとして顧客にしたしみをもっていただく。
・ イラスト化した販売商品を、プレゼント作戦として顧客や代理店販売員の似顔絵イラストにもってもらってPRする。似顔絵の人がうれしがってPRしてくれる。

 まずは※「隗(かい)よりはじめよ」で㈱ワンネットさんにイラストを作っていただこうと思っています。また、ナビゲータとして、関心ある企業にPRをしていきたいと思っています。企業の皆様にはよろしくお願いします。個人としてご興味あるときは、下のBLOG、HPを開いてみられ、コンタクトをされればいかがでしょうか。(WELL BE)
㈱ワンネット公式BLOG "マイピク販売の苦闘?ノリゴエさん"
㈱ワンネットHP


 ※<中国の戦国策・燕策>人にこうしろというよりも、いいだした自分がまず始めなさい。戦国時代に燕(えん)の国の昭王が賢者を国に招こうとした時、その臣の郭隗が「王がまことに賢者を招こうとするなら、まず、この隗を優遇してごらんなさい。そうすれば、私よりまさった賢者が集まってきますよ」といった故事による。もとは一流の人を求めるなら、二流の人から用いて優遇せよ、という意であった。(ことわざ慣用句辞典)

2008年4月26日土曜日

㈱ワンネット 似顔絵サービス「マイピク」面白そう

 08.4.24(木)販路マッチングナビゲート第40回商品プレゼン会で㈱ワンネット 似顔絵サービス「マイピク」の話を聞いてきました。おもしろそうな商材です。㈱ワンネットHP

 2つのサービス①「マイピク・スマイル」②「ハッピィ・スマイル」をナビゲーターとして企業に紹介できそうです。

 ①「マイピク・スマイル」写真をメイルで送れば、およそ1Week程度で約400名のイラストレーターの似顔絵集より好みのスタイルを選択して注文できる。法人向け1人分5250円(消費税込み)で名刺・販促ツール等に利用できる。[個人対象は1575円(同)]

 ②「ハッピィ・スマイル」企業が、得意先や消費者に広告媒体としてプレゼントする仕組み。飲料メーカーで例を示せば、会社の宣伝したい飲料水をプレゼントする相手に持ってもらって①のような似顔絵を消費者や販売者にプレゼントする方法があります。この場合、消費者や販売者が自分のイラストのついた似顔絵に商品を持ってもらって、さまざまに使うと宣伝効果がでてきます。

 おもしろい企画商品なので、詳しい説明会を5月初・中旬に聞くこととしました。

 詳細は後日のBLOGでお知らせしましょう。(WELL BE)

 

2008年4月20日日曜日

大阪市立科学館プラネタリウムの感動

 4月19日、肥後橋西の大阪市立科学館のプラネタリウムを観ました。世界で5番目に大きいドームとのこと。臨場感のある解説(録音声でなく、この場で説明されている)を受けながら40分間、星の世界に酔いました。


 全天に夜がやってきました。大阪の東西南北が画面下に写し出され、太陽が沈み、月があがってきました。恒星(北斗七星、ふたご座、獅子座他)と惑星(火星と土星)が南と真上の空に輝いています。より暗くすると満点に星がまたたき、思わずウワーッと声が出そうです。

 宇宙の創生から銀河や星星の誕生の仕組みが「BLOG小説 博士の愛している宇宙」にありましたように、更に詳しく、専門的な映像で示され迫力がありました。
 特に、およそ2000億個の恒星で構成される銀河たちが数千億個ある!! 様が奥行きのある映像で果てしない宇宙に思いを馳せました。

 家に帰って後、寝床で、キラキラ光る星と共に眠りにつきました。

    春の夜の 部屋万天に 星が満つ(WELL BE おそまつでした)

―08.7.18展示場リニューアルオープン 5/7-7/17同展示場は休館、プラネタリウムは開場

2008年4月11日金曜日

映画「かもめ食堂」を観て


 北欧の国、フィンランドのヘルシンキにコーヒー、パン、おにぎりやシャケ定食などのメニューをもつ「かもめ食堂」を経営する女性たちの物語。群ようこ原作、監督荻上直子 主演小林聡美 助演片桐はいり, もたいまさこ 2006年製作。

 何故、舞台がフィンランドなの=森と湖の国だから。魚を好んでいるから共通点あるかも。

 「かもめ食堂」の椅子、テーブルは木を基調としている。食器も白をベースとして大振りでシンプル。お店の雰囲気は通りからガラス越しに見えいたってシンプル。何ゆえかフィンランドのヘルシンキに来ている日本人女性経営者は、プールに通い、合気道を自宅で練習する。最初の内は食堂に人が入らず、多少はらはらさせられるが、助演者のユニークなユーモアのある2人の登場で次第に人が通ってくるようになる。フィンランド人も数人登場する。日本オタクの若者、コーヒー通の一人の男性、3人連れの熟年女性、中年夫婦。それぞれが「かもめ食堂」にきて、コーヒーやパン、シャケ定食などを食べている。北欧家具の席に座ってコーヒーを飲んだり、日本式定食を食べたりする風景の中の自然で好ましい雰囲気に、いやしがあるようである。

 ともかくも、観ての感想は「さわやかたった。」の一言。千里中央セルシーシアター、観ました。(WELL BE)

2008年4月4日金曜日

[小説] 博士の愛している宇宙(3/3)-地球に人類の登場-

W B 900-1000万年前、アフリカで霊長類がゴリラと猿人に別れ始めたと新聞にでていました。

博士 そういう説が最近いわれているのは確かだね。木から地上へおり2足歩行を始めた。2本の手が歩行から解放されて、自由となり脳が発達していく。4-500万年前には、原人として、体は毛で覆われていたがアフリカ大陸の東部に大地溝帯があり、一説によるとそこにできた湖になじんでいた一族から毛がなくなっていって人の原形が誕生したともいう説がある。結局、食糧を求めてアフリカから世界へ拡散していく。何種もの旧人が生まれるが、淘汰されていって、20-40万年前ぐらい前の新人を祖先として現在の人類が生まれたと考えられるのだよ。人類の化石がアフリカから沢山発見されており、アフリカ生まれという説は動かない。

W B 137億年前の宇宙のビッグバンから太陽系の元の星の誕生とその消滅の過程から、46億年前に超新星として太陽が生まれました。同時に惑星として地球が誕生し、ずっと時代が下って4億年前に大気中に21%の酸素が充たされました。7-8000万年前に哺乳類が生まれ、その哺乳類の一つの人類の原形が1000万年前に猿から分離し始め、ごくごく数十万年前に新人類が出現し、紀元前3000年~紀元前後にかけて、エジプト・ギリシャ・ローマ・メソポタミヤ・インド・中国の古代文明が栄え、ここ200年ほど前に近代文明をおこし、宇宙の原理を解明している現代が、必然にやってきたと思えば、すっきりしますね。

博士 宇宙がビッグバンの後、気の遠くなるような137億年を経て、地球に人間がいることは、はじめに言ったように、偶然ではないのだと思っている。不可思議なことだよ。物理の方程式が一つ違っていても生命は生まれていない。また、年代のとらえ方だが、文明が生まれて約5000年だよね。地球が生まれて4捨5入すれば50億年だよね。100万年を1年とカウントすれば5000年だよね。何千万年~億年前を100万年単位で何年?とカウントすれば理解しやすいよ。

W B 100万年かあ、それも気の遠くなるような単位ですね。わかりました。結局、宇宙創造主が自己の観察のために太陽と地球と人間をつくったのだと思うほうがハッピーですね。


博士 およそ20年前、欧米の科学者の一部は宇宙創造主説を神の問題としていっており、日本ではニュアンスは違うが、元神奈川大学の学長の桜井邦朋さん(1933~)がこの説を推進している。私は、桜井さんに同感してこの説を信じているのだよ。わしは、それが正しいと思っている。銀河系宇宙は2000億個の星がある。その一つに太陽があり、その惑星に地球があり、人が住み、科学を発達させて宇宙のことがわかるようになってきた。銀河系以外にアンドロメダ星雲他3000億個の島宇宙があることが想定されている。これからいろんなことがわかってこよう。よく晴れた日の夜空を見上げれば、過去に光を放った銀河系の星を見ていることになる。銀河系以外の星雲や星団は高性能天体望遠鏡、ハッブル宇宙望遠鏡や電波・X線等特殊望遠鏡でしか発見できない。勿論目には見ることができないが、しだいに明らかになる宇宙を思い描くことは、果てしないロマンがあり素晴らしいことだと思う。

W B 今日はよい勉強をさせていただきました。

WELL BE君は、宇宙には意思があるという説に共鳴し、「宇宙」をこよなく愛しているお茶の湯博士のことを、うれしく思って、那庭大学を後にした。  (終)

2008年4月3日木曜日

[小説] 博士の愛している宇宙(2/3)-地球に生命の出現-

W B いつごろ植物や生物は生まれたのですか?

博士 海にはアメーバーや細菌が30億年前に存在していたが、10億年前、菌類の遺伝子が爆発的に誕生している。約6億年前、突然変異によって緑藻などの植物が生まれている。光とCO2で酸素を生む光合成作用で酸素を海中に充たし、やがて空中に酸素がとけだしていく。生物では海の生き物として約6億年前の化石に三葉虫がある、くらげや、魚の原型も生まれている。陸上は赤ちゃけた岩山が続いていた。鉄も酸化され海に沈殿し、後の人間が利用することになるのだよ。海は生命の母なのだ。

W B オゾン層はよい影響を与えたようですね。

博士 その通り。約4億年前、先ほどもいったが、オゾン層が紫外線をさえぎり、植物が徐々に上陸すると、5億年前ころに生まれた昆虫類が海中より植物を追うように地上に進出する。ひれの発達した総鰭(き)類の魚から両生類(呼吸はエラから肺へ)が出現し、多くの動物が新しい世界に進出したのだよ。 

W B 植物はどうなったのですか?

博士 陸上の植物は大型化し、植生の領域を拡大していったのじゃ。3億数千
万年前の石炭紀には巨木が発生し、大森林が形成されたのじゃ。後に、石炭、動物の屍骸等も含めて石油になり、現代の人間に掘り起こされ、エネルギー源 となっているのはご承知の通り。大陸は、ゴンドワナ、ローレンシァなど6つの大陸が合体し超大陸パンゲアができる。地球の半分を覆っていた。2.5億年前、超大陸パンゲアを構成するゴンドワナ大陸の氷河が溶け出した。氷河時代は陸地の1/3が氷に覆われていた

W B へえー、現在、温暖化がさけばれていますが、大きなスケールでみないといけないようですね。寒い期間もあり、暖かい期間もあり繰り返していたのですね。

博士 その通り。パンゲア超大陸は、1年に約10cmづつ分裂してゆき、2.5億年かかって現在の5大陸となっていく。その間、大きな寒期と暖期の期間もくりかえしていく。生物は過去7億年間に9回、大量絶滅した。恐竜は約1.6億年間、繁栄したが、6500万年前に絶滅した。

W B 科学雑誌で読んだことがありますが、メキシコのユカタン半島付近に直径10kmの小惑星か彗星が秒速30kmの速さで衝突して、大地震がおこり、粉塵が太陽の光を何ケ月にもわたってさえぎって、世界はまっくらとなり、植物が育たず、食べ物も無くなって恐竜が絶滅したということですが、6500万年前とのことでした。7-8000万年前、人間の前身にあたる哺乳類がねずみのような小さな体で、恐竜と共生していたとも本に書いていました。

博士 そうだよ。その恐竜が絶滅する暗黒の時代でも、ほそぼそと哺乳類の祖先は生き残っていったのだよ。では人間は何万年前に生まれたのかな?(続く)

2008年4月1日火曜日

[小説] 博士の愛している宇宙(1/3)-地球の黎明期-


 ある晴れた日、那庭大学で、WELL BE(W B)君は同大名誉教授お茶の湯博士より「宇宙の話」を聞いた。

W B 宇宙はビッグバンで始まってどのくらい経ちますか?

博士 137億年だよ、WB君。

W B 何故、宇宙は始まったのですか?

博士 そこんところだ。宇宙創造主がいて、宇宙を創ったのだ。

W B 宇宙創造主?では創造主の意図は何だったのですか?

博士 やむにやまれぬエネルギーの発露だったというべきだろうね。

W B 太陽系が生まれたのはどのような経緯ですか?

博士 ビッグバンの後、超高熱の中、ガス空間から星雲過程を経て、それはそれは長い時間をおいて幾多の星ができた。その一つが太陽の元の星だったのだ。元の星は数十億年経ち、爆発した。再び、ガスとちりが残った。ぐるぐるとまわるガスとちりの星雲の中心が太陽となり、廻っていた星雲が次第にかたまって今の惑星になったのだよ。

W B 地球にだけ生命が育ちましたが、不思議なことですね。

博士 そこだ。宇宙の創造主は自らの状態をチェックして記録させるため、地球を、後に人類を創った。地球と太陽との距離は約1.5億kmあり、それより短くても、長くても生命は生まれなかった。

W B 地球ができて46億年と聞いています。

博士 そう。よく知っているね。はじめの数億年は、微惑星が地球に衝突して衝突時は16,000度となった。衝突のエネルギーはやがて大気を創りだしたのだよ。地球は水蒸気とCO2やメタン等のガスで覆われていたのだ。地球は数百気圧の大気によって温室効果が生まれ、地球全表面が溶岩で覆われるマグマオーシャンの時代であつた。その後、40億年前まで続く。

W B 徐々に冷えてきたのでしょうか?

博士 そうだ。それでも1300度の地表は、来る日も来る日も雨・豪雨、正に天地創造の時代だったのだ。地球表面は次第に冷えていき、CO2が中心の大気となっていったのですぞ。このCO2もやがて、冷えた海に吸収されていった。

W B それはいつごろまで続きますか

博士 40億年前から35億年前のころだ。このころ核に核膜のない単細胞生命が生まれている。真核生物になるのにさらに20億年ほどかかっている。海の存在が物質から生命への飛躍が可能となったのだが、最初は酸素はなかった。
静かな浅瀬で太陽と水中のCO2からエネルギーを創る「光合成」により藍藻コロニー・ストロマトライトの表面に密集した藍藻類が酸素を生み出していったのだよ。徐々に酸素は増えていき、今から10億年前に急速に酸素は増加する。0.0001%しかなかった20-25億年前の酸素は4億年前には現在のレベルの21%に達している。酸素は成層圏にオゾン層を創りだし、太陽の紫外線を防ぎ、海で生まれた生命は、陸上への進出をはたしていくのだよ。(続く)

2008年3月28日金曜日

08.3月にみた中国映画「長江哀歌」「胡同(フートン)の理髪師」

妻君       その国のことを知ろうと思えば、映画がいいわ。
WELL BE(以下W B) そのようだね。では中国について最近何かいい映画上映している?
妻君       「長江哀歌」と「胡同(フートン)の理髪師」はどうかしら。
W B        では観てみようか。

「長江哀歌」

2006年、ベネチア映画祭でサプライズ上映。すぐさま審査員がグランプリを決めた傑作。監督・脚本:ジャ・ジャンクー。
 4つの章からなる。1タバコ2酒3茶4糖(アメ) これがユニークだ。
 三峡ダムの建設を背景に、沈み行く村に、人を訪ねていく中年の男と女の別々の人生を描く。中国の生々しい多くの貧しい人々、ほんの一握りの富んだ人を登場させる。金持ちの人の無情を感じ何かを決意をする女人、訪ね歩いて金で売られた妻の実情を見て、貧しいが、前向きに決断する男、監督はたんたんと両極を描き出す。素朴な俳優の誠実な演技をバックに「希望はある」というメッセージが観客に届く。喧噪の三峡ダムが歴史的価値としても見ごたえはある。

 3月はじめ千里中央セルシーシアターにて観ました。

「胡同(フートン)の理髪師」 


2006年、監督を務めるのはハスチョロー。93歳の実在の理髪師をモデルに胡同(フートン)という北京の古い街から出張理髪師が、なじみの老友の頭を散髪に出かける。老人たちのマージャン、林立するビルの進出で胡同(フートン)が取り壊しになる予告のペンキ「折」という字に"、"をいれた字がまるで囲まれる、ある老人の息子はベンツに乗る、息子の妻がいやなエゴの顔を老人に向ける、紫禁城横の赤い壁の道を自転車でゆく老理髪師、その息子は定年となり、お金をせびりにくる、日本でもありそうな風景がたんたんと描かれる。

 3月20日過ぎ十三の第7芸術劇場で観ました。

W B       中国はこんとんとしているね。
妻君      そのようね。かっての日本もそうだったわ。

2008年3月19日水曜日

人間の力を信じた神戸沖埋立ゴミ等処分場

08年3月18日(火)、NPO SELFもったいない組主催で、大阪湾フェニックス計画(大阪湾圏広域処理場整備事業)の一環である神戸沖埋立ゴミ等処分場の見学会があった。神戸六甲アイランドの沖合にほぼ長方形547m x 1576mの区画に護岸を築き平成12年より、近隣地方自治体で発生する、ゴミの焼却後の残りを毎日、10tトラックにして800台分の8,000tを埋め立てている。15mの水深があったが現在、約5mとなり、計画投棄容量1500万m3の約53%が埋まり、平成33年までのゴミの残存物を投棄することが出来る。


 阪神電鉄大石駅を南に徒歩15分ほど下った岸壁の近くに兵庫建設事務所があった。20名ほどの一行は2階で一通り説明を受けた後、ランチに乗り、神戸空港を西に見て、ゴミ処分人工島に到着、ダンプカーやシャベルカーや小船で処分ゴミを投棄する様を係員の説明を聞きながら見学した。当日は、関西TVが取材に同行した。

 海上処分場を見た瞬間、宇宙は自己を観察するために人間を創り出したという学説が脳裏をかすめた。この広大な作業を考案した人達だったら、宇宙を観察せよとの宇宙創造主からの要請に応えられるに違いないと。人間の無限の可能性を感じると同時に、毎日1人平均1,100grの生ゴミを出し(うち、60%が包装資材)、市町村の第一次処分場で約10%、110grとされてここに運びこまれる処理済みゴミを、半減できる知恵・方策・技術が未来に向かって生み出されることを期待します。


 人間が生きていく限り、廃棄物が出る、これを地球内で処理する限り、人間社会は存続する。

 3月20日(木)関西TV18:15ころより見学の内容は20分前後放映される予定です。見学の感動の余韻が残っています。VTR録画をとる予定です。

 神戸沖埋立ゴミ等処分場見学会を計画されたNPO SELFもったいない組関係者に厚くお礼申し上げます。(WELL BE)

2008年3月8日土曜日

すいた森のサポーター「ザゼンソウ&春芽」観察会


 吹田市環境部地球環境課(企画運営:NPO SELF)がSGC6期生とNPO SELFのメンバーに参加を募った、琵琶湖北西の滋賀県高島市今津にある吹田市の水源の一部として森を大切にしょうと企画された「森のサポーター」活動07年度最後の行事である表記観察会に3月7日参加しました。2005年、SGC(Suita Green College)4期生在学中より、一度は「森のサポーター」活動に参加してみたいと思っていました。

 「森のサポーター」活動は、すいたの水源の一つとされる琵琶湖に流入する水源地として設定され、NPO SELFが4年来、木歩道を作ってきて、07年に完成し「すいすい歩道」と公募され命名されています。(写真:中央の小山周辺の道・・・吹田市立少年自然の家の職員が我々の為に雪をかきだしていただいていた。)今回は9時マイクロバスで吹田市役所を出発し、目的地近くの湿地に群生するザゼンソウの観察と、今津の「吹田市立少年自然の家」での簡単な入所式を終え、水源の観察をしました。

 雪の中、長靴を履いて、人生をさまざまに経験した人たちが、ザックザックと1列縦隊で先人の作った、木歩道を歩く中、都会人がこの場所でこれから未来に向かう子供たちのために、骨折りした、あるいは骨折りしたのだな、とそれぞれ、かかわりあいに応じて思ったことでしょう。次に近辺の樹木の春(冬)芽観察がSELFみどり組M・N・T氏の説明により行われました。

 雪の積もる「すいた森の水源」の近くの8本の樹木(トチノキ、コブシ、オニグルミ、エゴノキ、ノリウツギ、ハンノキ、クヌギ、クマシデ)の春(冬)芽を観るべく案内者の用意いただいたレジュメとサンプルを木々を見回りながら、見本を手に取り、ルーペで観察するものでした。3月にSGCを卒業し参加された6期生の方々とも何かしら心の交流が出来たように思いました。

 樹木の春(冬)芽がいずれ育ち、花となり葉となり、あるいは葉であつた痕跡を残していく不可思議を学びました。17時5分吹田市役所にバスは帰着しました。心地よい疲労を感じ、貴重な一日を過ごすことができ、実行に携わった関係者の皆様のご努力に敬意と感謝を申し上げます。(WELL BE)